商経同窓会
前会長 馬場 宏之

 新装なった御井学舎同窓会館の名称は「千歳会館」と決りました。千歳は筑後川の別名、千歳川から頂戴したものです。この機会に千歳川の由来についていくつかの文献と私見を交えご披露したいと思います。
 千歳川の呼称については、661年第37代斉明天皇が、朝鮮半島の百済から救援要請を受け、新羅に出兵(白村江の戦)した際、現在の朝倉町に本営を構えられ、享年68歳で崩御されましたが、本営の横を流れていた大川に天皇の長寿を願って「千歳川」と命名されたのが千歳川のネーミングの由来だとされています。
 筑後川(千歳川)は板東太郎(利根川)、吉野三郎(吉野川)と共に筑紫次郎とも呼ばれる国内有数の大河川で多くの伝説を残し、また幾つかの呼称を持ちながら、その流域に肥沃な土壌と恵を提供して来ました。公式に「筑後川」という呼称になったのは寛永15年(1638年)徳川幕府から久留米藩への通達によるものだそうです。
 筑後川(千歳川)は高良山(高牟礼山)と共に郷土の二大シンボルであります。本学校歌の一節に、「大河は悠々我等が修学のふるさと」とあり、また旧制中学明善、久留米商業、附設高校の校歌に千歳川と高良山が歌い込まれていることをみても、筑後人がいかに郷土の象徴としての千歳川に誇りと畏敬の念を抱き、心のよりどころとしてきたかが分かります。
 また地元、久留米藩はこの千歳の名称を大事にしました。1860年代、当時の久留米藩は開国と殖産興業を富国強兵の方針とし、勝海舟の訓練所に士官を送り航海術を学ばせ、汽船(600トン)を購入、千歳川に因んで千歳丸と命名し沿海貿易に力を入れました。久留米中学(今の明善高校)の初代校長・梅野多喜造は、この千歳丸の士官であったというエピソードがあります。
 隅田川の水はテムズ川に通ずという名セリフがありますが、視野を広げて世界を見つめようということでしょう。
 御井キャンパスには現在300名を超える留学生が勉学に励んでいます。千歳会館がグローバル化時代の開かれた国際交流の拠点としての役割も果たすことを祈念します。


朝倉町、恵蘇八幡宮の裏山には、斉明天皇の御陵、前方後円墳があった。墳を囲んだ石柵に「齋明帝藁葬地」の文字が読みとれる。 齋明帝御陵のある高台から千歳川(現 筑後川)を望む。






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