時、越えて



俺の恋人は、今の俺を見て「貴方が好き」と言ってくれる。
だがもし、俺が『今の俺』じゃなかったら?

君は愛してくれるだろうか。
俺じゃない俺を、自分は受け入れられるだろうか。

もしも………もしも、少年の日に戻ったなら――




「『オスカー』です」

「………………………え?」


事の起こりは今日の朝のこと。

いつもの通り女王の執務室へ書類を持っていこうとしていたロザリアは、
宮殿の廊下で、きょろきょろと周りを見渡している少年を見つけた。

聖地に出入りできる者はかなり限られており、
宮殿に出入りできるものはさらに厳選されている。
それなのにこんな場所に見知らぬ子供がいるのは、どう考えてもおかしい。

ロザリアは、出来る限り怯えさせないように少年に近寄ると、
少年の名前を問いただし――返った言葉が先程の言葉だった。


「………えーっと、もう一度、お名前を教えて下さるかしら?」

優しく言われた言葉に応えて、少年――どうみても12,3歳の――は、
紅い髪をさらっと跳ね上げ、はっきりと繰り返した。

「だから、俺の名前はオスカーだって言ったんです」

「………えええええぇぇぇぇぇぇ!??」



オスカーの姿がどこにもないこと。
聖地の外へ出た形跡もまったくないこと。
昨日に執務室を辞してから、オスカーの姿を見た者がいないこと。
そして、聖地に入った形跡もないのにオスカーによく似ている少年がいること。

それらの事情があきらかになると、聖地は大騒ぎになった。


急遽、謁見の間に召し出されたその少年は、年の頃なら12,3といったところか。
その顔は精悍さよりもあどけなさが見られるが、
その軽やかな動きは躍動感があふれている。

彼は確かにオスカーによく似ていた。
いや、オスカーそのものと言って良かった。

燃えるような紅い髪も。
凍り付くような蒼氷色の瞳も。
挑戦的に周りを射る眼光の鋭さも。

オスカーの姿がなく、オスカーによくにた少年がいる。
隠し子じゃないのかと混ぜっ返す者もいたが、
守護聖であればこそ、否定できない要素もある。
力強い炎のサクリアは、確かにこの少年の身に宿っている。

そして、女王が最終的な判断を下した。

「確かに、彼はオスカーだわ」


謁見の間がざわつくが、異論を唱える者はいない。
「大丈夫よ、しばらく様子を見ましょう」という女王の意向により、
その少年――オスカーは、そのまま私邸を滞在場所として、
賓客扱いで遇されることになった。

女王は、謁見の間を退室していく少年の後ろ姿を見送り、
何かを考えるように、その目を細めた。



最初は慣れない様子で落ち着かなかったオスカーも、
数日もすると快活に邸や周囲を散策し、
一週間もする頃には客を迎えて談笑するほどまでに馴染んできた。



「オスカー!」

私邸のバルコニーで談笑していた少年を、よく通る美しい声が呼ぶ。
オスカーは、ふっと視線を巡らせ、その声の主を認めてぱっと破顔する。

「――ロザリアさん!」

そんな風に呼び返され、ロザリアは妙にくすぐったい気分になる。
以前は『お嬢ちゃん』、恋人になってからは『ロザリア』と呼ばれていたのに
その本人から、実に子供っぽい(実際子供なのだが)笑顔で、
人懐っこく「さん」付けで名前を呼ばれるのだから。


「今、そっちに行きます!」

言うなり、バルコニーの手すりに手をかけ(ちなみに2階である)、
オスカーはひょいと身軽に飛び降りる。
ロザリアが驚きの声を出す暇もなく、
目の前に降りてきたオスカーは得意げに胸を反らせて笑いかける。

「こんにちわ」

ロザリアはふうっとため息をつくと、驚きで強張った身体の緊張を解いた。

「まったくもう…。話相手を任せる人選を間違ったかしら。
どうも、だんだんランディに似てきますわね」

「はは。そういう言い方はひどいなぁ、ロザリア。
12,3の男なんて、多かれ少なかれ、みんなやんちゃなもんだよ」

バルコニーの奥から、ランディが姿を現した。
オスカーはバルコニーの彼に向かって大きく手を振る。
生来、面倒見のいいお兄さん気質のランディは、邸をしばしば訪れ、
彼のいい話し相手になっており、オスカーも彼によく懐いていた。


ロザリアたちは、機会があると、オスカーに話を聞いている。
だが自分が何故王宮の廊下にいたのか、それは本人にもわからないらしい。
気が付いたら、あの場にいたのだ、と。

「でも、なにか、理由があったような気がする。
思い出せないけど…とても…大切ななにか…」

部屋の奥へ戻り、3人でテーブルを囲んで御茶会をする。
何かを思い出そうと、瞳を閉じて考え込む彼に、
ランディとロザリアは複雑な表情でティーカップを玩んだ。

「――無理はしないようにな。ゆっくり、考えればいいよ。
急いたって、いい結果なんて出やしないんだ」

「うん…ごめんなさい」

そう頷いたものの、けして納得しているわけではない様子に、
ランディとロザリアは顔を見合わせてしまう。

カチャン、とソーサーにカップを置いたランディは、
俯くオスカーの肩をぽんと叩いた。

「――よし、オスカー、遠乗りにいこう!」



聖地の外れ、小高い丘の上まで、栗毛の馬が2頭駆けていく。
風を切って気持ちよく走っている間は、余計なことは考えないで済む。

ランディは手綱を引き、丘の頂で馬を止める。
次いでオスカーの馬がその足を止めた。

「あそこに見えるのが、さっきまで俺達がいた邸ですね。
えっと…そのさらに向こうが宮殿で、
女王陛下とロザリアはあそこにお住まいなんですよね」

記憶をたどると言うよりは、覚えたことを復唱する形で、淡々と話す。

「…ああ、そうだよ」

ランディは微かな痛ましさを感じながらも、相槌をうつ。

『思い出せ』と無理強いしてはいけない。それは分かっているけれど。
こうやって『大人のオスカー』のいつもの乗馬コースをなぞったり、
いつも見ていた筈の景色を見せたりしている自分に気づくと、
無理するなと言いつつ、結局、自分も無意識のうちに彼に
『オスカー』に戻れと無理強いしているのだろうかとも思う。

多分、彼もそれをそれとなく感じているに違いない。
ランディは、ギリッと手綱を握ると、馬上からオスカーへと向き直った。

「…なあ、オスカー。俺はさ、君が元に戻るって信じて疑っていないんだよ」

オスカーは、興味を引かれたようにランディを見る。

「女王陛下が、おっしゃっていたろ?『大丈夫』って。
大げさな話じゃなく、陛下の一言には、絶大な信頼が持てるんだ。
陛下がそうおっしゃった以上、けして悪い事にはならない」

「…女王陛下…が……」

オスカーはその言葉の何かに、はっとしたように表情を引き締めた。
だがそれを隠すように表情を消すと、ランディに問いかけた。

「貴方は、俺に早く元に戻って欲しいと思ってる?」

問われて、ランディは暫し言葉を探す。
彼が元に戻って欲しいと思う、一番の理由は何かと。

「ん?…そう、だなぁ…。戻れるといいなとは思うよ。俺はともかく、
…ロザリアが、淋しがるだろうから。『あの人』の恋人だしね」

オスカーは、それを聞いて寂しそうに目を細めると、
何かを考え込むように丘の頂から聖地を眺め続けていた。



その夜遅く、執務室で残務を片づけていたロザリアが、
ふと何かに気づいたように顔を上げる。
部屋の窓に、かつん、かつんと何かが当たる音がする。
窓際に寄ったロザリアは、階下の人影を認めると慌てて窓をあけた。

「…オスカー!」

「ごめんなさい、こんな時間に。今から出られる?」



夜も更け、すでに人影も見えない庭園で、
ロザリアは噴水の縁に腰掛け、傍らに立つ少年を見上げる。
オスカーは拳を握りしめると、彼女から目をそらしたまま、言葉を紡いだ。

「…俺…元に、戻れると思います。
なんでこうなったのか、分かった気がするんです」

ロザリアは、予想外な言葉に、目を瞠る。

「多分、『俺』自身が望んだんだ…。…元の『俺』が。
根拠はないんだけど、なんとなく、わかるんだ。
だから元に戻るのも、俺の考えてる方法で多分間違いないと思う……」

そこで言葉を切ると、オスカーは噴水の縁に腰掛けたままのロザリアを見返す。
ロザリアを見つめる瞳は切なげで、
それは普段の彼からも元の彼からも想像し難かった。

「今まで、何人もと話した。…当たり前だけど、みんなが言うんだ。
『元に戻れるといいな』『早く戻ってやれよ』って。
そして決まって……ロザリアが、寂しがるから、って…」

オスカーは、悔しげに拳を握りしめる。

「………だけど、俺は…戻りたくない」

諫めるでもなく、悲しむでもなく、ロザリアはその言葉を静かに聞いていた。
オスカーは、自らの腕で自分を抱きしめる。

「――この気持ちは……俺のものだ。
最初は『元の俺』が抱いた気持ちだとしても、
今…ロザリアを大切に思うこの想いは、今の俺のものだ!」

少年のオスカーがロザリアを呼び捨てにしたのはこれが初めてだった。
オスカーの頬を、透明な滴がつたう。


「……駄目なのか。俺じゃ…ロザリアを護ってやれないのか」

「オスカー…」

「その名を呼ばないでくれ!
ロザリアは、いつも俺の向こうに、違う俺を見てるんだろ。
同じ『オスカー』だけど…それはやっぱり『俺』じゃない。
俺だってこんなにロザリアが好きなのに、
ロザリアが求めている『オスカー』は……――俺じゃ駄目なんだろう!?」


自らまでもを巻き込んで、燃えさかることしか知らぬかのような激しい炎――
ロザリアはオスカーの本質を今更ながらに目の当たりにする。


「オスカー」

「呼ぶなって言ってるだろ…!」

「…わたくしが愛したのは、オスカーの生い立ちではないわ。
過去を愛したわけではなくてよ。
わたくしは、ただその存在を愛した…それだけだわ」


ロザリアは、ゆっくりと立ち上がるとその細い腕を伸ばし、
今は自分と同じくらいの位置にあるオスカーの肩を、そっと抱いた。
少年は、ロザリアの腕の中で少しずつ力を抜いていく。

「…俺は、ロザリアを護れるか?」

「ええ」

「俺は、ロザリアを好きでいていいのか?」

「勿論よ」

「ロザリアは……俺を必要としてくれるのか?」

「貴方を不要と思ったことなど、一瞬たりともないわ」



ロザリアは、オスカーの耳元に自らの唇を寄せると、
微かに、だが思いを込めて、短い言葉を囁いた。

オスカーの閉じた瞼から、再び滴が伝う。

「――……………ありがとう…」

オスカーは、しばらくの間、ロザリアの腕の中で静かに涙を流した。


その時間は長かったのか短かったのか。
オスカーはロザリアの腕を解くと、少し寂しげに笑った。

「…ありがとう、ロザリア。その言葉だけで、俺は………」

そして、オスカーはロザリアに背を向けて歩き出した。
その寂しげな微笑みの裏に隠されたものを、理由もなく、ロザリアは感じ取った。
ロザリアは、止める方法も思いつかぬまま、
それでも何かをしなければと駆け出し、オスカーを追いかける。

「オスカー…!まって、貴方……!」


「…俺は、戻らなくてはいけない。それは俺が一番よくわかっているんだ」

追いすがってきたロザリアの腕を掴み、オスカーは首を横に振る。

「許してくれ、ロザリア」

その言葉が耳に届いたかと思うと、ロザリアの首筋にオスカーの手刀が入った。
自分の腕の中で意識を失い、崩れ落ちていくロザリアを支え、
オスカーはもう一度、ロザリアを抱きしめた。

「ありがとう……今のこの俺を………愛してくれて……」




少年は、星の間への廊下を、迷うことなく歩いていく。
歩き慣れた道…おそらく『元の自分』が。
そして、星の間の扉に手をかけると、重く軋んだ音を立てて扉が開く。

扉の向こうには、一人の女性が佇んでいた。
金の髪を揺らし、その身が統べるべき無数の星を背に微笑む姿に、
オスカーは自然と、頭(こうべ)を垂れる。

「来たわね、オスカー」

「…はい」

「『あなた』がここに来た…それがどういう意味か、分かっているわね」

「わかっています。…わかっていると、思います。
『オスカー』は、陛下にお願いして…少年に時を戻したのですね」

目の前の女性は、沈黙を以てそれに応える。

「もう一人の貴方の望みは叶ったのかしら」

「わかりません…いえ、おそらくは叶ったのでしょう。
…今の自分は、確かに幸せです。
…だけど、やはり戻らなくてはいけない…今の自分は在るべき自分ではないから」

「そう…後悔がないのなら、敢えて『よかった』と言っておくわ。
ならば、お還りなさい。貴方が在るべき姿へ」

微笑みながら翳された手から感じる波動に、
オスカーはゆっくりと眠るように瞼を閉じていく。
白く暖かな空間に意識がとけ込むのを感じながら、
虚ろな瞳で、オスカーは言葉を紡いだ。

「陛下…最後の我が儘を……。彼女に…伝えてください…」

光に包まれ、見慣れた姿へと変貌していく様を見守りながら、
応とも否とも応えず、金髪の女王はただ笑みを浮かべる。
白い光に少年がすべて包まれた頃、漸く口を開く。

「…それは、私のするべき役目ではないわね。
大丈夫、貴方なら、自分で伝えられるわ」



ロザリアが再び目を覚ましたとき、傍には…オスカーがいた。
少年のオスカーではなく…いつもの、見慣れた青年のオスカー。

「………オスカー…?」

「――気が付いたか」

ロザリアは、数瞬の沈黙のあと、瞳を閉じた。

「………そう、彼は…戻ったのね。貴方に」

「いろいろと…迷惑をかけたな」

ロザリアは首を横に振る。

迷惑なんかじゃなかった。ただ……。
もう、あの幼いオスカーはいない。
戻りたくないと、涙を流した少年は、もうどこにもいない。
彼もまた、自分が愛した人なのに。自分は彼に何かしてやれたのだろうか。


声もなく涙を流すロザリアを、オスカーは何も言わずに見守っている。
頬に流れた雫を、節張った指が拭う。


哀しくはない。
悲しまなければならない愛し方をしたとは思わない。
だけど、何故だか涙は溢れる。今だけは泣かせて。
貴方を想って流す涙なら、許してくれるでしょう?


オスカーは、僅かにその双眸を伏せると、
そっとロザリアの手を取り、自らの手で包んだ。

「すまなかった…それから…ありがとう…」

ロザリアは、顔をオスカーの方へと傾ける。
その瞳には涙を浮かべてはいたが、その口元には微笑みが浮かんでいた。
オスカーの言葉にゆっくりと首を横に振り、
そして、少年のオスカーに伝えた言葉をもう一度、目の前の青年に呟く。

いつだって、どんな時だって、貴方に伝える言葉はたった一つ。



嗤ってくれ。愚かな男がバカな真似をしたと。
結局信じ切れなかったのは自分自身。
それでも君は、すべてを受け止めてくれるのか。
徒に君を悲しませたことを償うことが出来るなら、この身に代えても償おう。
許されるなら、これからも君を護ることを許して欲しい。

時を越え、記憶を越えても、俺の真実はたった一つだったから。



『愛している』


fin.

智砂乃さんと「同じテーマで話を書いてみよう!」といきなり決めた突発企画、藤之バージョンです。
智砂乃さんの作品は「星に願いを」です。智砂乃さんはちゃんと「子供」なオスカーなのに、私の書いたのは12,3という、なんとも中途半端にがきんちょなオスカー(笑)。
やんちゃざかりな年齢に設定したばっかりに、自分でも風様と区別が付かなくなったり(笑)。
そして、自分で書いといてなんですが、女王のサクリアはもはやなんでもあり状態。
トロワで建物直せる位なんだからこれくらい誰もおどろきゃしないって〜と無責任に書いたです(笑)。