だから、より高きを目指して〜2〜
バタバタ──バタン!
書庫の扉を荒々しく開けて、転がり込んできた小さな影があった。
メイは驚いてそちらを振り向くと、
気配には気づいていたらしいシルフィスが素早く駆け寄り、
その闖入者に手を差し伸べ、立ち上がらせていた。
「メイ、シルフィス、助けて下さいな!」
見合い話を持ってくる兄から逃げまどう、ディアーナであった。
二人は心得たように頷き合うと、シルフィスはディアーナを抱え上げ、
書庫の奥の、裏庭に面した窓を大きく開ける。
ディアーナも慣れたもので、余計な動きをせず、シルフィスの首に手を回し、
おとなしくシルフィスに身を任せていた。
「メイ、後をよろしくお願いします!」
言うなり、シルフィスはディアーナを抱えたまま、窓の外にひらりと身を躍らせた。
「おっけー。まっかしとき」
メイは、立ち上がった椅子に再び腰を下ろすと、羽ペンを持ち替え、
何事もなかったように本を開き、書き終わったレポートを捲り、
さも勉強中です──といったように未使用の紙に適当にペンを滑らせた。
数秒の後、再び書庫の扉が開いた。
メイは扉に視線を投げると、予想通りの人物がそこにいた。
出来る限り吃驚したような声を出して、メイは話しかけた。
「あ、殿下ぁ?めっずらし〜…。こんなとこにくるなんて」
今回は例外だが、セイリオスが来るのは、実際珍しいのである。
一国の皇太子がわざわざ書庫まで足を運ばなくても、
必要な資料の類は、大体の場合に置いては、執務室まで直接届けられるからだ。
「──あ、邪魔してすまないね、メイ。
…ディアーナが、こちらに来なかったかい?」
言いながら、セイリオスは、
書棚の間や、机の影に不審な影がないか、視線を走らせている。
「え〜?ディアーナ?ううん。知らない。
つーか、今日は誰かの相手してられる余裕なんてないのよ〜」
「…そうか、今日は研究院のレポートの締め切り日だとか言ってたね。
いや、ほんとうに邪魔してすまない。失礼した」
「あ…ちょっと待って、殿下」
メイは立ち去ろうとしたセイリオスを呼び止めた。
羽ペンを指で玩びながら、メイは、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「…ねえ殿下。ディアーナの結婚相手探す前にさぁ。
殿下のほうが先に身を固めるべきなんじゃないの?」
セイリオスも、今年で26歳になる。
一男子としても、皇太子としても、すでに伴侶がいてしかるべき年齢である。
ディアーナよりも先に結婚していてもおかしくない。
セイリオスは、複雑な心境で苦笑を浮かべた。
「あの破天荒な妹が嫁ぐまでは、おちおち結婚なんてしてられないさ」
「でも、殿下にだって、好きな人くらいいるんじゃないの?」
メイは自分でも気づいていなかったが、ほんの微かにペンを持つ手を震わせていた。
問いかけておきながら、その答えを聞きたくない、という、、
矛盾した心を抱えていることには気づいていたが。
セイリオスは返答しなかった。
好きな女性?
いる。確かにいる。目の前に。
三年前、目もくらむような鮮やかな光を放ちながらあらわれた。
だが、当の本人から『身を固めろ』だの、『好きな人くらいいるんじゃない』だの
言われるようでは、プロポーズのひとつもできやしないではないか。
いや、プロポーズ云々の前に、一人の男として見てもらえてもいないのではないか?
考えれば考えるほど、落ち込んでくる。
半ば自棄で、セイリオスはメイに問いかけ返した。
「君こそ、どうなんだ?19歳になったんだろう?
とうに結婚してていい歳だ。求婚者の一人や二人、いるんじゃないのかい?」
その言葉にメイの肩がぴくっと揺れたことに、
セイリオスは気づけなかった。
メイは手をひらひらと振りながら、明るく言い放った。
「あたし〜?いないって、そんな物好きな男!
いいのいいの、あたしはね、独身通して、最高の女魔導師になるの!
いつかシオンを押しのけて、筆頭魔導師になるのがメイさまの野望なのだ!」
セイリオスは意表をつかれて、絶句した。
確かにメイの魔導の才は目を瞠るものがある。
不安定だった魔法力もきちんと制御されるようになり、
メイはこの三年で、確実に力を付けた。
昨年にはすでに緋色の肩掛けを拝領している。
「だが筆頭魔導師とは…また大きく出たね」
「目標はでっかい方がいいし、
それに、意味もなくなりたいんじゃなくて、
ちゃんと理由だってあるんだよ。…誰にも内緒だけどね」
「私にもかい?」
「うん。でも…そうだね。夢が叶っ…あ、いやいや、野望が実現したときに、
まだ知りたかったら、教えてあげよう♪」
夢を野望と言い換えて、あくまでメイは冗談に紛らわそうとする。
だが、今メイが言ったことは本気であることをセイリオスは察した。
きっと彼女なりの、強い理由があるのだろうということも。
「なれるよ…。君ならきっと、ね。
異色の筆頭魔導師の誕生を、楽しみにしてるよ」
そして踵を返し、今度こそ書庫を後にしようとした。
ふと、扉の前で立ち止まり、振り返ってみると、
セイリオスは、自分を見つめているメイと視線が合った。
メイはふわっと微笑み、
「何?」
と問いかける。
それだけのことで、ドキン…と胸が高鳴る。
──偶然?それとも、君も私を見てくれている?
その言葉は飲み込み、セイリオスは、別のことを口にした。
「君達は、ディアーナに見合い話を勧める私に、眉を顰めているのだろうね。
私にも、わかってはいるんだよ。ディアーナの意志を無視して話を進めても、
ディアーナの幸せにはならないと。かえって不幸にすると。
だがディアーナは…私に何も言ってはくれないんだ。
なら、皇太子として、王族に課せられたことをしなければならない」
メイは、セイリオスの目をまっすぐに見て、問いただす。
「…もし、仮にディアーナにもう好きな人がいたとして。
殿下は、ディアーナの相手が誰であっても祝福出来るの?
『王女』に相応しくない、って反対しないと、言い切れる?」
セイリオスは言葉に詰まった。
つまりは、メイの言ったことに反論出来ないのだ。
セイリオスは大きなため息をついた。
「私は…弱い人間だな。最近、特にそう思うよ。
迷いなどというものは、治める立場の人間にはあってはならないものなのに…。
皇太子としての立場と、ただの兄としての立場で、意見が二転三転する。
私の弱さだ。嘲ってくれていい。君の、まっすぐな強さが…羨ましい」
それは、2年程前に一度だけメイに見せた弱音と酷似していた。
セイリオスは、他の誰にもこんな弱さを見せていない。
目の前の、眩しい少女を除いて。
それを知らぬまま、しかし真摯にメイは答える。
「殿下は、強いよ。自分で思ってるより、ずっと強い人だよ。
あたしの強さは…強さっていうか、したたかさだけど…上っ面だけだもの。
殿下は強いよ。──それをあたしは知ってる。
…それだけじゃ、ダメかな。足りないかな」
メイの真摯さがセイリオスには強く伝わる。
それが嬉しくて、微苦笑を湛えて、ゆっくり首を横に振った。
セイリオスは瞼の熱さを自覚していた。
「…充分だ。…ありがとう」
セイリオスは、感謝の言葉を述べると、書庫を後にした。
メイは気づかない。
その言葉が複雑に絡み合った感情に裏打ちされていることを。
メイの傍にいるときだけ、セイリオスが切なげに目を細めることを。
パタン…と閉じられた扉を見つめながら、メイはため息をついた。
もっと彼の力になってあげたい。
叶わないことと、知ってはいても。
「…セイル」
扉の向こうに、呼びかける。
本人の前では絶対に言わない呼称。
親友達にもまだ言えない。
他人の前ではもってのほか。
一人でいるときだけの、答えの返らぬ呼びかけ。
まだ秘密。きっと一生秘密のままかもしれない。
だって、相手は王子様。比喩でもなんでもなく、本物の王子様。
白馬の王子にあこがれる、小さな少女ではいられない。
「あたしの王子様」じゃない。
「みんなの王子様」だ。
『結婚を考えていい歳だろう?』
ダメだよ、セイル。
あたしはきっと、一生結婚しないよ。
だって、言えないよ。
「殿下が好きなの」
金糸の髪をした親友の主君で。
「セイルが好きなの」
桜色の髪をした親友の大切なお兄さんで。
「貴方が──好きなの」
──空色の髪をした貴方は…手の届かない存在で。
だから。だからせめて。
「──せめて、誰のものにもならないで」
そう願うのは、わがまま。
「──せめて、あたしにセイルを護らせて」
そう願うのは、夢。
メイは、誰もいなくなった書庫を後にする。
中庭から、王宮を見上げる。
セイリオスの部屋の場所。
中庭からは見えないけれど、壁を隔てて、一つ向こうの部屋。
それを見つめながら、メイは瞳に強い意志を湛える。
貴方の傍らに立つことが許されないなら、
せめてあたしが命をかけて、貴方を護るの。
だから、強くなる。
だから、傍で護れるように、より高きを目指す。
「──貴方を護るために、あたしは強くなってみせるの」
それは遠回りをし続けた二人が、
思いを通わす、ほんの少し前の物語──。
智砂乃さんに送りました、「だから、より高きを目指して〜1〜」の続きです。
今回は完全にセイルとメイに視点を絞りました。意図的じゃなく結果としてそうなっただけです(笑)
今回のセイルは自分でもやんなるほど、消極的で臆病です。
「皇太子」を意識させたらこーなっちゃったんですが、ゲームのEDくらいの強引さが欲しいものです(笑)
なにせ私がセイル×メイを好きになったのは、あのEDでの勢いなんだから(笑)