solitude


彼女はいつも包み隠さず好意を伝えてきた。
駆け引きも打算もなく。

いつの頃からだろう。
あの少女の笑顔が頭から離れなくなったのは。
傍にいると、心が早鐘を打つようになったのは。

彼女の仕草すべてが、愛おしくなったのは。

僕の愛しい少女。大切な少女。
僕は彼女なしの人生に耐えられるだろうか。
…否。断じて否。


「女王候補をやめて、僕の傍にいる気はない?」
突然の僕の提案に、少女は満面の笑顔で頷いた。


正式に教官と女王候補を辞めた僕たちは、二人だけの生活を始めた。

いつものようにアトリエで絵を描いている間、
モデルとなっている少女は、窓際に椅子を寄せて窓の外の景色を見ていた。
雨雲が空を暗く覆い、窓に強い雨が打ち付ける。
強風が樹木を激しく揺らし、窓枠もがたがたと悲鳴をあげている。

「すごい嵐…」
アンジェリークの呟きに、僕は言葉を返す。
「そうだね、この惑星にしては珍しいよ」
一年中霧がかかるこの惑星では、
晴れ渡ることも少ないが、天候が崩れることも少ない。
だが、今はあざ笑うかのように風が唸りをあげている。


「あっ!今光った!」
窓の外を見ていたアンジェリークが突然叫んだ。
2秒ほど間をおいて、雷鳴が轟く。
「うわぁ、今の近かったですね」
ケロッとした顔で僕に話しかける。
「…意外だね。シーツにくるまって震えるタイプだと思ってた」
初見の印象は正に「清楚な女の子」といった、おとなしい少女なのだ。
アンジェリークは何もなかったように笑顔を向ける。
「光ったら、「来る」って身構えて待つから、かな。
雷に対してはあまり恐怖感ってないんです。全然ってわけじゃないですけど」


「私が怖いのは、雷とかじゃなくて…」

外の嵐が騒がしくて、アンジェリークの声がよく聞き取れない。
続きを聞き取ろうとして、絵筆をおいて
アンジェリークのそばに近づいたとき、
突然今までにない閃光と大音響が轟いた。

「アンジェリーク、…大丈夫かい?」
僕は自分の胸に縋り付いている少女に声をかけた。
「え…、あ、きゃあ!ご、ごめんなさい、セイラン様」
「謝ってもらうようなことじゃないんだけど」
アンジェリークは真っ赤に頬を染めて、さっと手を離した。
…僕としては少し名残惜しかったけど。
「あ〜、びっくりしたぁ」
「はは、やっぱり怖いの?」
「違います、突然で驚いただけですっ」
さて、どこまで信じてあげようか?


アンジェリークは眠そうな瞳をしながら、窓の外を眺め続けている。
「…もうこんな時間か。この絵、もうすぐ完成なんだ。
僕はもう少しアトリエにいるから、今日は先に休んでて」
「はーい」
アンジェリークはパタパタと小走りに寝室へ向かった。


3時間もたった頃だろうか、やっと絵を描き上げた。
琥珀色の髪をした天使の描かれたキャンバスに布をかける。
「君に逢ってから初めての作品だ。…『seraph』…ちょっと単純すぎるかな」
アトリエの灯りをおとして、僕も寝室へ向かった。

音をたてないようにそぅっとドアを開ける。
いつもは二人一緒に部屋に入るから変な感じだ。
そういえば、アンジェリークを一人で寝かせたのは今夜が初めてだ。
多分もう寝入ってしまってるだろうと思ったが、
予想に反して、アンジェリークは起きていた。

枕を抱えて、微かに震えながら。


……怯えてる?
いったい何があったというのか。

「…アンジェリーク…?」
声をかけると、バッとこちらを振り向く。
枕を放り投げて駆け寄ってきたかと思うと、思いっきり抱きついてきた。
「…セイラン様ぁ…」
か細い声で僕の名を呼ぶ。
明らかに安堵と恐怖を含ませて。
「…怖かったんです……」

ふと外を見ると、いつの間にかすっかり嵐はおさまっている。
あれほど強かった風もやみ、樹々のざわめきも聞こえない。
やはり雷に怯えた…ってわけではなさそうだ。…とすると?
「暗闇が怖かったの?」
だが僕の問いかけに、アンジェリークは首を横に振る。
まあ、そうだろう。
何度も夜を共に過ごしてきたが、闇を怖がったことは一度もない。
「…雷も暗いのも怖くないです…、私が怖いのは…っ」


「…さっき、目が覚めたら…なんにも音がしなくて…」
確かに、ここは静かだった。
風の音もしない。嵐の後のせいか虫の声すら聞こえない。

まだ微かに震えながら、アンジェリークは懸命に言葉を続ける。
縋り付く手をぎゅっと握りしめて声を絞り出す。
「ほんとに、なんにも聞こえなくて…すごく静かで……だから怖くて…!」


嵐よりも、暗闇よりも、静寂が恐ろしい、と。

アンジェリークにとって、音とは生命の声なのだろう。
樹々の声。風の声。水の声。大地の声。そして、人の声。
その声が聞こえないとき感じるものは…底知れぬ孤独。


僕は後悔していた。
アンジェリークを、片時とはいえ一人にしたことを。
腕の中で震える少女が孤独に慣れた瞳をしていないことは、
誰よりもよく知っていたはずなのに。

僕はアンジェリークの身体をきつく抱きしめた。
この腕の力で恐怖を消し去ってしまえればいいのに。
苦しそうな声にはっとして力を緩めたが、それでも抱きしめた腕は離さない。
しばらくそうしていると、アンジェリークは今度は穏やかな声で呟いた。
「セイラン様の鼓動が聴こえる…」

瞳を閉じて、耳を僕の胸に押しつけて、
僕の鼓動に耳を傾けている。
僕の、生命の音に。


「…落ち着いた?」
アンジェリークは静かに頷いた。
「身体が冷えるよ。ベッドに入って」
アンジェリークの背中に手を添えて、ベッドサイドまで連れていく。
ベッドに腰掛けると同時に腕を引いて、アンジェリークを再び強く抱きしめる。
「ごめん…、アンジェリーク。
淋しい思いをさせてしまったんだね。
お詫びに、今夜はずぅっとこうして抱きしめててあげる。
だから安心して眠るといい」
柔らかな髪を撫でながら囁きかける。
さっきまで幼子のように怯えていたアンジェリークは、その言葉に安堵したのか、
おとなしく僕に身体を預けてきた。


どのくらいたったのだろう。
僕の腕の中で、アンジェリークは安らかな寝息を立てている。
その寝顔はいつになく可愛い。
「しまったなぁ…」
安心させてやりたくて抱きしめているのはいいが、
この寝顔を見ていると、理性を保つのが難しくて困る。

髪を指で梳いたり、頬に触れたりすると、アンジェリークは微かに声をあげる。
僕だけしか知らない、甘い声。

眠っている少女に、僕は独り言のように囁きかける。

「…音がないのが怖い、か。わかるような気もするよ。
僕は何の音がしなくなっても構わないけど、
君の声が聞けなくなるのだけはいやだからね」

…でも、半分、嘘だ。
僕のこの耳が聞こえなくなっても、
この目が見えなくなっても、
君が傍にいてくれれば、それでいいんだから。


もし、君が突然僕の傍から消えてしまったら。
僕はどうなるんだろう。
想像してみようとして、背筋を悪寒が走り抜けた。
襲ってきたのは途轍もない恐怖。


咄嗟にアンジェリークを抱く腕に力を込める。
「…僕の…僕のアンジェ…っ!」

「……離れ…ない…で……」
絞り出したその声は、いつもの自分からは考えられないほど
恐怖に打ち震えた、か細い声だった。


「…この腕の中以外どこに行けって言うんですか?」

突然聞こえた少女の声に、僕は驚いて腕の力を緩めた。
「ご、ごめん、起こしちゃったのか…」
きつく抱きしめたせいで目を覚ましたらしい。
僕は自分に呆れかえってた。
眠らせるために抱きしめていたのに、そのせいで起こしてしまうなんて。
そんなことにはお構いなしに、アンジェリークは言葉を続ける。

「私にとって、この腕の中が生きる場所で、貴方がすべて。
セイラン様が私を求めてくださったから私はここにいられる。
それ以外の存在価値なんて、私にはいらない」

「…僕だって。君がいるから…僕は僕でいられるんだ。
だからこそ、もし君がいなくなってしまったらと思ったら…」

いつもの饒舌な僕はどこにいったんだ。
しどろもどろな言葉しか出てこないこいつは本当に僕か?

ふと、アンジェリークに尋ねてみたくなった。

「ねえ、アンジェリーク、君は?
もし僕がいなくなったらって考えたことはないの?」

「ありません」
きっぱりと言い返されて、咄嗟には二の句がつなげなかった。
そんな僕の顔を両手で軽く挟むと、
アンジェリークはいつもの天使の笑顔で言葉を紡いだ。

「セイラン様は、私を一人にしていなくなったりしませんもの」

僕はすっかり言葉を奪われた。
まったく、この小悪魔のような少女が
先刻まで静寂に怯えていた少女と同一人物だと、誰が信じるんだろう。

「…だからセイラン様、一つだけ約束して欲しいんです」
すこし切ない表情を見せて、アンジェリークは僕を見つめた。
「1日…ううん、1時間でいいから私より長生きしてくださいね」
そう言うと、腕を僕の首に回してぎゅっと抱きついてくる。
アンジェリークを抱き返すと、僕は少し考えて返事をする。
「…うん。わかった。君を独りになんか絶対にしない。
でもね、君がいなくなったら、僕は1秒だって生きたくないよ。
だから、僕の傍から絶対離れないで」
「はい!」


僕は君が傍にいれば何も怖くないから。
そして君は、僕がいればいいと言ってくれるから。
もう怯えない。
もう怯えさせない。


再び僕の腕の中で眠りについたアンジェリークをしばらく見つめていた。
静寂に怯える幼子のような君も、
僕を翻弄する小悪魔のような君も、
僕を惹きつけてやまない。

この先何があっても、君を離さないよ。

君が幸せなら、僕も幸せ。
君の幸せを守るためなら、僕は何でもできるよ。
すべてを擲ってでも、君を守るから。


神頼みなんて、僕の柄じゃないけど、祈らずにいられない。

願わくば、君がいつまでも幸せでありますように。
君の幸せのすべてに、僕が役立てますように…。


とりあえずこちらが本編、として書きました。
嵐、というと雷に怯えるアンジェ、と言うのが定番だと思いますが、いかんせん、藤之はあまり雷怖くないので、雷に怯える少女って上手く書けないのです。
それにしても…、今回セイラン随分と優しく書いてしまったな〜。
なんか…そのまんまランディに置き換えても、さして違和感を感じないような気がするぞ…。
アンジェsideへ続きますが、殆どおまけのよーなもんです。内容はほとんど変わりません。
それでもいい、という寛大な方は下の「NEXT」からどうぞ。