quiet
最初は嫌われてると思ってた。
面と向かって『おとなしいだけの女は嫌いだ』と言われたから。
おとなしいだけのつもりはなかった。
でも、そう言われたということは、そう見られていたということ。
…私のこと、気に入らない?
別に、それでも構わなかった。
自然な私が、あの人を好きになったのだから。
気に入られるためだけに、自分を変える気はなかった。
だって、これが私だもの。
だから、そのままの私で、あの人を好きでいたの。
でも、いつの頃からだろう。
あの人の瞳が、私の姿を追ってくれているのに気がついたのは。
その口唇が紡ぐ言葉に、熱いものを感じるようになったのは。
セイラン様の心に、自分と同じものを見つけたのは。
「女王試験もそろそろ終わりだね。
試験が終われば…僕はとりあえず故郷に帰るつもりだ。
…でも、一人じゃ淋しいな。
ねえ、アンジェリーク、一緒にこない?」
「え…?」
「女王候補をやめて、僕の傍にいる気はない?」
…今私は、いったい何を言われたの…?
セイラン様は、ふてくされたように顔をそむけると、
もう一度、私に囁いてくれた。
象牙のような頬を、紅く染めて。
「…結婚してって…、言ってるんだけど?」
これは、幸せな夢?
告白も飛び越えた、突然のプロポーズ。
…答え?答えなんて、決まってる。
セイラン様がいるところが、私の在るべき場所。
そして今、私はセイラン様の故郷にいる。
ある、嵐の夜のこと。
樹木すら吹き飛びそうなほど、凄まじい風が吹きすさぶ。
だけど、何もなかったようにセイラン様は絵を描いている。
私の傍で、自然なままのセイラン様がいる。私の至福の時間。
時々閃光と雷鳴が空を切り裂く。
怖がる気配も見せない私に、セイラン様が声をかけた。
「…意外だね。シーツにくるまって震えるタイプだと思ってた」
確かに私は、あまり雷が怖い方じゃない。
私は何が怖い?
雷じゃない。嵐じゃない。そう、私が怖いのは…。
その時、突然の閃光と大音響が轟いた。
「アンジェリーク、…大丈夫かい?」
声をかけられて、はっと自分の状況に気づく。
いつの間にか傍にいたセイラン様の胸に、
小さくなって縋り付いていた。
急いで手を離したけど、顔が紅くなっているのが、自分でもわかる。
驚いただけなんだけど、怖くないと言った矢先にこの失態じゃあ…。
案の定、セイラン様はクスクスと笑っている。
…やっぱり、信じてもらえないのかな。
絵が完成間近だった。
セイラン様は最後の仕上げにかかっているのか、
夜が更けても一心不乱にキャンバスに向かっている。
ふと絵筆を止めると、セイラン様は私に声をかけた。
「僕はもう少しアトリエにいるから、今日は先に休んでて」
夜一人で寝室に行ったことって、これまでなかった。
でも、確かに眠くなり始めていたし、
なにより、セイラン様の邪魔をしたくなかったから、
セイラン様の言葉通り、先に寝室へ向かった。
今日に限って、やけにベッドの冷たさが気になる。
隣にいつものぬくもりがないのって、こんなに寂しかったかしら。
…気にしてても仕方がない。
私はベッドに潜り込むと、シーツを深くかぶって眠りについた。
短い夢を見た。
私は何もないところにいる。
周りに何もない。何も見えない。ただの闇。
光が私を包んだ。辺りを照らす。
でも、周りには何もない。
誰も、いない。
ただ、私がいるだけ。
ふっと目が覚めた。
あれからそんなに時間はたってないのだろう。
いまだ闇が部屋の中を支配している。
でも、眠る前と違うことが一つ。
何の音もしない。
外の嵐もやんだらしい。雨の音も、風の音も、虫の声もしない。
まるで、私だけしか存在しないように。
気がつくと、枕を抱え込んでいた。
震えているのが自分でもわかった。
怖い。
虚無に飲み込まれそう。
同じ屋根の下に愛しい人がいるのに、
何故?
歩き出す力すら振り絞れない。
ああそうだった。私は、無音の世界が怖いの。
その時、私を呼ぶ声が聞こえなかったら、きっといつまでも震えていた。
「…アンジェリーク…?」
聞き慣れた声。愛しい人の声。
無音の世界に差し込んだ、一条の光。
振り向くと、驚いた表情のセイラン様が私を見つめていた。
「…怖かったんです……」
気がつくと、私はセイラン様の胸に飛び込んでた。
「なんにも聞こえなくて…すごく静かで……だから怖くて…!」
自分でも呆れるほど取り乱して、セイラン様に縋り付く。
セイラン様は、何も言わず、ただ抱きしめてくれた。
愛しい人のぬくもり。愛しい人の腕。
そして、セイラン様の鼓動。
愛しい人が、確かに生きているという証し。
胸を通して耳を打つその音に、私は心安らかになった。
「…身体が冷えるよ。ベッドに入って」
セイラン様に促されて、ベッドに腰掛けた。
でもすぐに腕を引かれて再びセイラン様の腕の中に飛び込む形になった。
「ごめん…、アンジェリーク。
淋しい思いをさせてしまったんだね。
お詫びに、今夜はずっとこうして抱きしめててあげる。
だから安心して眠るといい」
なんの不安もなくなる暖かな腕の中。
今夜は、セイラン様の言葉に甘えさせてもらおう。
不意に腕の力で目が覚める。
セイラン様が、切ない表情で私を強く抱きしめている。
「……離れ…ない…で……」
消え入りそうにか細い、セイラン様の声。
「この腕の中以外何処に行けっていうんですか?」
私に、セイラン様の傍以外に在るべき場所なんてないのに。
私にはセイラン様がすべて。還るところはこの腕の中。
生きる場所もこの腕の中。
セイラン様が私を求めてくれるから、私は生きられる。
いいえ、生きていきたいの。
セイラン様はしどろもどろになって何か言おうとしている。
いつものセイラン様からは想像できないその困惑ぶりが
何故か無性に可愛くて、抱きしめたくなる。
「ねえ、アンジェリーク、君は?
もし僕がいなくなったらって、考えたことはないの?」
そんなのあるわけがない。
考えたくもないし、なによりセイラン様が
私を一人にしていなくなったりしないって、信じているもの。
揺るぎない信頼と、変わらぬ想いがあるから。
それに、絶対に私が離さないから!
そして再び夢を見た。
先刻の夢と同じように、静かな闇の中。
でも、恐怖は感じない。
愛しい人のぬくもりを感じるから。
セイラン様がいないときは恐ろしくてたまらなかったのに、
ただ傍にいてくれているだけで、この闇も愛おしくなる。
夢の中で、腕を伸ばした。
虚空から、小さな宝石みたいな光の塊が私の腕の中に飛び込んでくる。
暖かい。とても暖かくて、幸せ。
この幸せを守るために、私はすべてを擲てる。
それから数ヶ月。
何度か一人で先に寝ることがあったけれど、
私は、もう孤独に怯えない。
だって、一人じゃないもの。
大切な命の音が、私の内に在るから。
このことを知ったら、セイラン様、どんな顔するかしらね?
…これはまだ、私だけの秘密。
今描いてらっしゃる絵が出来上がった頃、教えてあげるの。
そう、今セイラン様が描いてる、『聖母』の絵が完成したら。
今、私は最高に幸せだってね!
当初この話は、試験中の一幕にする予定でした。だがしかしっ!
「試験中にセイランの部屋に泊まり込む自然な設定はあるか!?」とか「気候の安定した聖地で嵐なんかあるか!?」等々、かなり無理があって、結婚後の二人、という設定に書き直しました。
アンジェsideははっきり言ってしまえばなくてもよかったのですが、補足版として、付け加えました。