勉強を終え、セイランは立ち上がり当たり前のように部屋の鍵をかけた。
その『カチッ』という音に、アンジェリークはビクリと身体を震わせた。

「セイラン様っ、どうして鍵かけるんですか・・・!?」
「これからすることを誰かに見られたいなら開けておこうか?」
「な、何をするんでしょうか・・・」
「気持ちいいこと」
問答無用でセイランはアンジェリークを引き寄せると、そのまま床に押し倒した。
「セイラン様っ!」
「嫌だなんて言ったところで止めるつもりはないからね」
「い、言わないにしても!・・・どうしてここで・・・その、押し倒すんです!?」
「ベットまで行く時間がもったいないから」
たかが数歩の距離にベットルームの扉はあるというのに、
セイランはそれすらも我慢できないようだ。
セイランはさっさと自分の服の前をくつろがせると、
アンジェリークの服も同様に前を開いていく。
「ま、待ってください・・・!」
「やだね」
「モ、モデルの話しはどうなっちゃったんですか!?」
「ああ・・・あれはもういいよ。
だって君をキャンバスの中に描くのは無理だってわかったからね」
「ど、どしてですかぁ・・・」
「こんなすばらしい肌の色・・・僕には出せないよ」
スルスルと肌の上を滑るセイランの手に、アンジェリークは
ビクリと身体を震わせ小さく首を振った。

腕の中で震えながらも、その快楽に身を任せる
アンジェリークの耳元でセイランは囁いた。
「ずっと我慢してた」
「あ・・・うっ・・・」
「君を・・・こうやって抱きたくて」
突き上げられ、アンジェリークの身体が反り返る。
「こんなに簡単に手にはいるならもっと早くこうすればよかったよ」
「ヤッ・・・ああっ・・・!」
「一応いろいろ考えてはいたんだけどね。
結局僕は時と場所を選ばなかったな・・・」
「あっ・・・セイラン様・・・」
「ああもうっ!今までの時間が取り戻せればいいのにさっ!」
まさに、『駄々をこねるセイラン』がそこにはいた。
時と、場合が場合なら笑えるだろうが、アンジェリークにそんな余裕はなかった。
意識を止めておくのが辛くなったのである。
「いっ・・・あ、ああっ・・・セイラン様ぁ・・・も、もうっ・・・!」
「わかってる」
セイランが大きく身体をアンジェリークの中で動かすと、
アンジェリークは甘い声を張り上げた。

そしてまた聞こえてくる。

「アンジェリーク・・・好きだよ、愛してる」

それはまた意識を手放す瞬間の中でのこと。
結局アンジェリークはまたその言葉を本物かどうか
理解することなく深い眠りについたのだった。

◇◆◇◆◇


目が覚めたのは真夜中。
気だるい身体を起こしてアンジェリークはため息をひとつ。

隣で寝ているセイランは目を覚ましそうにない。
ベットから降りて音を立てないように着替えをすまし、
寝室のドアに手を当ててからもう一度ベットへと振り返る。

ここからではその寝顔など見えない。
けれど、わかる。
整った顔立ち。
長い睫。
閉じたその瞳の色まで。
思い出せる。
鮮明に。
腕の中のぬくもりだって。

アンジェリークはまた黙って部屋を出ていった。

◇◆◇◆◇


「綺麗な月・・・」

アンジェリークはまっすぐ部屋に戻らず、最初の晩、
セイランに抱かれた学芸館の裏手の小川へとやってきていた。

靴を脱いで足を川に浸すとひんやりと冷たくて、火照った身体を鎮めてくれる。
「・・・はあっ・・・」
ため息と同時に零れたのは涙だった。
それは水面に数滴落ち、映っていた月を揺らした。
それをかき消したくてアンジェリークは足を思いっきり蹴り上げた。
月の形が崩れ、水しぶきがキラキラと跳ね上がる。
「ぐすっ・・・こんなとこ見られたら嫌われちゃうなぁ。
・・・好かれてるかもわかんないのに・・・」
「誰に?」
「きゃぁっ!?」
大騒ぎされるのを見越していたのか、セイランは耳を覆っていた。
さすがといえばそれまでなのだが、しかしいつでもどこでも神出鬼没すぎる。
口をバカッと開いたまま驚いているアンジェリークへと
セイランは近寄って、同じように隣に腰かけた。
「あのさ、どーして君はいっつも僕に断りなしに部屋を出ていくのかな」
「あ、あ、・・・な、なんでここがわかったんですか?」
まだ驚いて早鐘を打っている心臓を押さえながら、
アンジェリークはなんとか呼吸を整えようと努めた。
「運良くドアを閉じる音で目が覚めてね。
君が部屋への道じゃなくてここの道を歩いて行ったのを窓から見てたんだ」
開きっぱなしの口をなんとか閉ざし、アンジェリークは頷いた。
「で?僕の質問にも答えてもらわないとね。
許可なしに僕の側を離れるなんてどういうつもり?」
『・・・怒ってる。・・・でも、なんで?』
かなり瞳がまじなのだ。
痛いほど強い視線に目が合わせられなくなり、
アンジェリークは視線を水面へと移した。
だが、それがかえってセイランの気に障ったらしい。
セイランは乱暴にアンジェリークを小川へと突き飛ばした。
「キャッ・・・!」
浅い川で、立てば膝ぐらいまでしか深さはないから安全ではあるが、
あまりの唐突な出来事にアンジェリークはバランスをとる暇もなく、
川の中にバシャッ!と尻餅をついた。
「・・・気に入らない」
「えっ?」
全身ずぶぬれのまま、それでも動けないアンジェリークは
セイランが同じように濡れるのも構わずバシャバシャと水しぶきをあげて
川の中に入り込んできたことに、驚いて目を見開いていた。
「気に入らないったら、気に入らない」
「あ、あの・・・」
肩を掴まれそのまま水の中に押し倒される。
「セイラン・・・っ!」
水の中に上半身をつっこまれ、苦しさのあまり
身体を起こそうとしたがセイランの腕の強さにそれもできない。
「・・・う・・・ぐ・・・」

息が苦しい。
空気を吸い込めない恐怖感が襲う。
だが抵抗するすべなどあるわけがない。
セイランの腕の力にもがくことすらできず、
アンジェリークは必死にセイランの服を掴んだ。

突然空気が肺の中に入り込んできた。
セイランがアンジェリークの戒めを解いて、
抱き起こすと乱暴にキスをしてきたのだ。
そして一気に空気を流し込まれる。
「ゲホッ・・・!」
「僕をからかってるの?それとも・・・陰で笑い飛ばしてる?」
「ごほっ!・・・何を・・・言って・・・」
「僕が・・・どんな想いで君を見ていたか知らないくせに・・・!」

引き裂かれた布の音。
それが自分の服だと気づいてアンジェリークは小さく悲鳴を上げた。
「何も言わない、君は戯れごとすら口にしない」
乱暴に胸を掴まれ、アンジェリークは苦痛に顔を歪ませた。
「身体ばかりが僕のモノになって・・・」
不意に優しくなった指の動きにアンジェリークは甘い声を漏らした。
「ンッ・・・」
「ほら・・・こうやって僕に反応するのに。・・・心はどこを向いてるのさ」
『えっ?何・・・セイラン様・・・何を言ってるの?』
問わなくては。
今度こそ。
だけど、唇は塞がれ止むことのない指の動きは
アンジェリークの思考をストップさせてしまう。
何度も高みへと登らされ、意識を手放すとき
また聞こえたのはセイランの告白。

「アンジェリーク・・・置いてかないで・・・・。僕を残してひとりで行ってしまわないで」

それは夢なのか現実なのか・・・。
結局今回もアンジェリークは確かめる事が出来なかった――

◇◆◇◆◇


何度目かの目覚め。
時間の感覚がなくなりそうだ。

鳥のさえずりが早朝だということを教えてくれた。
ということはセイランに抱かれてから丸2日はたったということ。
だけど、もう何年も前からの出来事ような錯覚を起こさせる。

小川からいつの間にかまたセイランの部屋に逆戻りされていた。
だが今度は隣にセイランはいない。
そして服も見あたらない。
見つけたところで着れるわけがないのだということを思い出し、
アンジェリークは何かないかと辺りを見回した。
イスの上に置きっぱなしになっていたセイランの選んだ服が目にとまり、
ないよりはマシなのでとりあえずそれを身につけ、
アンジェリークは部屋を出るべきか出ざるべきか頭を悩ませた。

不意に耳に届いたのはピアノの音。
微かに扉の向こうから聞こえてくる悲しげなメロディ。

アンジェリークはそっと扉を開けると、ピアノを弾いているセイランの側へ近寄った。

「・・・あの・・・おはようございます」
声をかけていいものかアンジェリークは迷ったが、
どちらにしても無視して部屋を出ていくわけにもいかない。
だがセイランはこちらを見ようともしなかった。
そしてピアノの上に置いてあるほとんど空になったワインボトルとグラス。
それに気がついてアンジェリークは心配そうに声をかけた。
「セイラン様、もしかして寝ないで・・・ずっと飲んでたんですか?」
「・・・別にいいだろ」
「それはそうなんですけど・・・お身体にさわりますよ?」
「・・・ふっ・・・くっ、くくくっ・・・・アハハッ!!」
突然セイランが高らかに笑い出した。
「セイラン様!?」
「そうやって・・・いつもそうだ!・・・君は、
・・・僕を責めるわけでもなく僕を許して・・・!」
セイランが手の甲でピアノの上のグラスをたたき飛ばした。
『ガシャンッ!』と壁に叩きつけられ粉々に砕け落ちるグラス。
驚いて固まってしまったアンジェリークだったが、
さらにワインボトルまでセイランが叩き飛ばそうと手を振り上げたので、
慌ててセイランへと飛びついた。
「いやっ!やめてください・・・!どうしたんですか、セイラン様っ!」
「どうして・・・どうして君は何も言ってくれないんだ!」
肩で息をしながらセイランはアンジェリークを強く抱きしめた。

まるですがるように。
それは子供のように。

「君の意識が曖昧な時しか言えないんだ」
「えっ?」
「何でも僕が思ったことを口に出来るって?冗談だろう?
肝心なセリフすらまともに言えないこの僕が」
「あ、あの・・・」
「目が覚めるたびに君がいなくて・・・僕はいつも狂いそうだった」
「セイラン様・・・」
「平気なふりして・・・だけど夢じゃないことを確かめたくて・・・」

『お構いなしに抱いていた』

セイランはそう言った。
そしてその瞳が涙で潤んでいるのをアンジェリークは見て取った。

「ずっと閉じこめてしまいたかった。
そうすれば君が手に入ると思って・・・」

その言葉を聞いて、アンジェリークは瞳を閉じた。
大きく何度か息を吸い込む。
突然呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しくなったのだ。

そして・・・伝える。
ずっと思っていたことを。

「セイラン様はそうすればよかったんです。
それぐらいのことはセイラン様にはいつだってできることだったのに。
・・・そうしようとさえ思えば」

セイランがそれに応えるように、アンジェリークに向けて長い告白が始まった。

「ずっと・・・君を取り巻く全てに嫉妬していた・・・。
君が聞く音、見つめるもの、触れるもの。
・・・どうして君にとって、僕が君の世界のすべてじゃないんだろう。
僕はずっと君を閉じこめて僕だけのものにしたかった。
君の世界になりたかった・・・」

アンジェリークの頬に冷たく、だけど暖かいモノがポタリと落ちた。
アンジェリークはセイランの頬に手をそえ、
その流れる滴を指で軽く触れたが、それはアッという間に消えていく。

「・・・セイラン様はおかしなことを言いますね。
私はもうとうにそうだったのに。
セイラン様はそれを知っていたはずなのに」

アンジェリークはセイランに微笑みかけた。

「・・・私がずっと望んでいたのはそういうことだったんです。
セイラン様がそんなふうに私を欲しがってくれないかと・・・」

セイランは黙って瞳を閉じた。

ああ――
これはおそらく夢なのだ。
僕はもうずっと夢を見ているのだ。
君の夢を未来永劫に。

「セイラン様にとって私はどれくらいの存在なんでしょう。
私は、私のすべてはセイラン様に向かっているのに・・・」

これが
『きわめて長い年月』
続く夢ならば、
それなら今僕に触れるこの手は僕のモノだ。
この身体も、全部、僕だけのモノだ。

「セイラン様が私を想っているように、
セイラン様が私を必要なように、
私もセイラン様を想ってます。
それは・・・私にはセイラン様が必要だということなんです」

これは僕のものだ。
いや、それは違うのかもしれない。

僕がもうとうの昔に君のものなのだ。

「僕には・・・もう君だけだ。
君を愛するためだけに生きる。
アンジェリークのためだけに存在する」

セイランが言う。

「なら・・・私と同じです。
私もセイラン様のためだけに存在します」

アンジェリークが言う。

「・・・心の全部で・・・君を愛してるよ」

それは血を吐くような告白。

お互い様なのだ。
結局は。
信じたくても信じられなくて。
黙って言葉を飲み込んだ。
言う機会はいくらでもあったのに、
確かめるのが怖くて逃げていた。
わかっていたのに。
本当は初めからわかっていたのに。

どれだけ相手を想っているのか。
どれだけ相手から想われているのかを。

「愛してる」
「愛してます」
「ずっと」
「ずっと」
「君だけを」
「貴方だけを」

「「未来永劫」」

それは繰り返される睦言。

空回りしていたふたりの糸は時間をかけて、
今・・・紡がれた―――