銀簪
女子の誓いは無言の誓い。
想いも誓いも黒髪とともに結い上げて、銀の楔を穿つのだ。
総司がそれを見かけたのは、偶然だった。
屯所に程近い街の一角の小間物屋。
小町娘たちでにぎわうその場所に、二本を差した若衆姿の武士。
本来ならばそぐわないはずのその取り合わせを、すんなり自然にしてしまう少年―――もとい、少女の姿。
「―――神谷、さん?」
揉み手で応じる店主と話し込んでいるセイに届くには小さすぎるその声に、もちろん彼女が気づくわけもなく。
近寄って声をかければ済むことなのに、なぜか躊躇いを覚えてその場に立ち尽くす。
店先には装飾品や日用品、文具にいたるまで、多種多様な品々。
それも華やかなものから、装飾を抑えた上品なものまで、様々なものが所狭しと並べられ、娘たちの手に取られる瞬間を待っている。
もしもセイが今も女子として生活していたのなら当たり前に持っていただろうそれらの品。
けれども彼女の―――神谷清三郎の行李には一切ない。
家財は父と兄を亡くした襲撃の際にその殆どを焼失したのだろうことは想像に難くない。
また残っていたとしても隊に身を投じた折に、女性的なものは危険を増すとして排除したのだろう。
だが、隊の中でも居場所を確立し、月々の俸禄にも余裕の出てきた昨今、再びそういったものを持ちたくなったのだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら店先を眺めていると、先ほどの店主とともにセイが店から出てくるのが視界に入る。
咄嗟に近場の店の簾に身を隠した総司は、簾の影からそっとそちらを伺った。
(―――って、わたしなんで隠れてるんでしょう?)
自分の行動に疑問符を浮かべながらも、総司の瞳はセイを追う。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「おおきに。仕上がり次第、屯所までお持ちしますえ」
「いえ、頃合をみて受け取りに伺わせてもらいますよ。
さすがに屯所に簪持ってきてもらうっていうのもちょっと」
「はぁ、そんなもんでっか。なら、お待ちしとりやす。十日ほどで仕上がると思いまっせ」
それでは、とお辞儀をして足早に屯所に戻るセイの後姿を見送って、総司はなんともいえない靄を胸に抱えた。
別に禁制品を求めたわけでなし、小間物屋で誰が何を買おうが咎めだてすることではない。
「けれど簪なんて―――男の持ち物じゃないでしょう、神谷さん」
やはり彼女には女子の自分に未練があるのだろうか。
今まで彼女の意思を酌んで隊に置いては来たものの、心を鬼にしてでも女子に戻すべきだったのだろうか。
総司は、ふ、と苦い笑いを浮かべる。
今更自問するまでもなく、答えは分かりきっていることではないか。
もとより新選組は鬼の住処。女子の居るべき場所ではないのだ。
そして件の十日目が過ぎようとしていた。
その日は前日から俄かに待機命令が下されていて、セイはおろか総司も私用で屯所から出ることなど出来なくなっていた。
あの日を皮切りに、気がつけば総司の目はついついとセイの姿を追っていた。
浮ついた様子を見せたらそれを咎めて隊を抜けるよう諭す心積もりもあるにはあった。
だが、それを意識するより先に自分の目がセイを探していることには自覚を持つことができず、そうして見つけるたびの彼女は思いのほかいつもと変わらない。
むしろむやみやたらと彼女の姿を追ってる自分のほうがよほど落ち着きのないことに、やや釈然としない思いで総司は日を送っていた。
稽古へ向かう道場への道すがら、総司は意を決してセイに問いかけた。
「神谷さん、ほんとは今日、用事があったんじゃないですか?」
「―――はい?」
「……だってその……こないだ小間物屋さんで……」
ああ、と得心のいったセイは、ぽりぽりと頭を掻いた。
「なんだ、それ見てたんですか、先生。
別に構いませんよ。今日明日を急ぐものでもないですし、受け取りが二、三日遅れても。
―――そりゃまあ、お里さんに贈るのはその分遅れちゃいますけど」
その返事に総司は進めかけた脚をぴたりと止めた。
次の瞬間、頭を抱えて蹲る。
「―――どこまで大うつけですか、わたしは……」
少し考えればわかることだったではないか。
武士たらんと己を律するこの娘が大っぴらに装身具を買い求めるなら、己を飾るもののはずがない。
表向きには恋人で、セイ自身心から信頼を寄せる里に贈り物をすることに、なんの不思議もありはしない。
「先生?沖田先生?」
怪訝そうに自分に声をかけるセイに、総司は蹲ったままばつの悪い表情でちらりと目をやる。
「……すみません神谷さん」
「はい??」
「いえあのその…………とにかく、ごめんなさい」
―――結局、その日総司はそれしか言えなかった。
「ああ神谷はん、ご注文の品、出来ましたえ。どうぞお検めやす」
後日、受け取りに出向いたセイに付き合って、総司も小間物屋へと足を運んでいた。
店主から渡された木箱の紐をしゅるりと解いて開けられたその中に、銀色に鈍く光る平打簪。
ためつすがめつして出来を確認して、セイは満足そうに頷いて代を払った。
横から覗いていた総司は、その手の簪を一目見て意外そうな声を零した。
「紋入りの銀平ですか。―――お里さんに?」
その平打簪に彫られた意匠は、「細輪に剣桜」。
本来なら祐馬が使うはずだった、けれど使うことは叶わなかったその紋は、今ではセイの―――神谷清三郎の紋でもある。
「はい。お里さんに簪を贈るときは銀平と決めていたんです。すでに私の姉も同然の人ですから……」
その返答に、総司も微笑んだ。
家紋の入った銀の平打。それをセイが里に贈ることは、家族と思っていることの、何よりの証。
祐馬が生きていたころはセイの心にも彼女に対して壁があった。
あの頃のままならセイが彼女を認めることなどできなかっただろう。
兄が死に、父が死に―――男姿に身を窶し、武士として刀を取り、隊に身を投じたがために再び彼女に出会った。
今では、セイにとって彼女以上に強い絆で結ばれた女性はいない。
「―――あれ?……ちょっと、見せてもらえます?」
ふと疑問の声をあげた総司は、セイに一言断りをいれ、ひょいとその簪を手に取った。
たいていの平打簪は模様を透かし彫りにしてあるものだが、これは透かしていないのが気にかかり、くるりと簪を裏返す。
視界に入ってきたそれに、ああ……と得心の声を零し、総司の眼差しが懐かしいものを見る目に変わる。
裏に彫られていたのは、右が離れた、立葵。―――それは今は亡き、山南総長の。
「お里さん、喜んでいたでしょう」
簪を手渡すために総司と一旦別れて自分の妾宅へ赴き、笑顔で屯所に帰還したセイを、総司は微笑ましそうに迎えた。
総司の言葉に、えへへへと嬉しそうに笑うセイの表情が、言葉で聞かずとも雄弁に里の反応を教えてくれる。
ぱたぱたと緩やかに扇ぐ団扇の風が総司の前髪を微かに撫でてゆく。
その心地よい感触に誘われるように、素直に謝罪の言葉が口に出た。
「……ごめんなさい、神谷さん」
「……先生?」
先日に続く二度目の心当たりのない謝罪の言葉に、セイも戸惑いを隠せない。
困惑する少女に、自嘲を込めた微笑を贈った。
「実を言うとですね。小間物屋で神谷さんを見かけたとき、お里さんのことをすっかり失念してたもんで、神谷さんが女子に戻りたがってるんじゃないか、ってちらりと考えてしまったんです」
セイははっとした表情を一瞬だけ見せる。
「あなたがどれだけ懸命に武士になろうとしているか、一番知っているのは私なのに。
あなたの覚悟を一番信じなくちゃいけない私があなたのことを疑った。
……だから、『ごめんなさい』だったんですよ」
ばつの悪そうに俯く総司は、気づくことはなかった。
総司の連ねるその言葉に、セイが表情を硬くしていたことを。
「あら、沖田センセ!」
巡察の合間に街中でかけられた声に振り向くと、そこには里の姿があった。
隊士に一言断って、しばし場所を離れる。
普段から艶のある美人だが、今日はことに声が弾んでいてその表情も明るく見えるのは、けして総司の気のせいではないだろう。
「清三郎はんはご一緒やあらへんの?」
「ええ、今日はあいにく神谷さんは黒谷へ使いに……」
言い差して、総司の視線は里の髪へと注がれる。
そこには、セイとの絆のように先日の簪が飾られていた。
―――ほんとの恋人同士にも劣らない絆ですね。
ふとそんなことを考えて微笑ましく口の端を上げた総司を訝しんだ里に、いえご機嫌のようなので、と告げると、里は嬉しそうに簪にそっと手を触れた。
「芸妓のときにも叶わんで、もうとうに諦めていた夢が叶いましたんえ?嬉しないはずがあらしまへん」
「―――夢、ですか?」
たしかに家紋の入った銀簪はおもに武家の娘が挿すものだ。
だから武家の出でない里に縁があるとは思わなかった、もしくはセイに兄嫁のように認められて嬉しい、という意味ならば話はわかる。
いや、その意味も含まれてはいるのであろうが、けれど、里の口ぶりでは芸妓時代に持った夢、という印象だ。
自分の言葉にきょとんとした総司の顔に、里は苦笑を零す。
総司は男女のことについては耳年増だが、出所が男同士ではどうしても下世話な話に偏りがちなのだろう、情緒的な女の機微に関してはやや疎めだ。
小花と交流のあったころもただ二人して寝こけていただけと聞いているから、寝物語の機会もそうなかったのだろう。
そういう意味では総司よりもセイのほうがよほど遊里に通じていると言えるのかもしれない。
「ま、沖田センセの野暮は今に始まったことやあらへんし、無理もおへんけど。
―――花柳の妓が紋入りの平打挿すんは、特別なんどすえ」
里の話を聞いて、総司ははあ、と感心したような声を零した。
「―――そんな意味があったんですか……」
「山南はんに惚れたことは後悔しとらへんけど、祐馬はんを忘れたわけやあらしまへん。
いつもどちらかを想うたびに、どちらかに申し訳なかったんえ。
お二人に詫びるんは、いつかうちにもお迎えが来てお浄土にいくときや。そやけど……。
清三郎はんな、こん銀平くれはったとき、お二人に惚れたんがうちやて、そんなうちが丸ごと好きやて言うてくれはって……。
……すこぅしだけ、お二人にも許してもらえたような思いがしたんどすえ」
里は空を見上げてその向こうに今は亡き愛しい人の面影を見る。
その微笑みは、艶やかでもあり、寂しげでもあり、けれど愛を知った美しさがある。
総司の胸に、ふわふわとしたものが去来する。
目の前の女性の痛みと哀しみごと暖かく柔らかく包み込む少女の優しさに、何故だか自分までが誇らしい。
「―――ほんとうに、優しい子ですね、神谷さんは」
「ほんまになぁ……」
そのあと二言三言言葉を交わし、巡察に戻るために背を向けた総司を見送り、里はその背に無言で深々と頭を下げた。
覚悟して身を投じた島原だったが、色を売る仕事につらさがなかったわけはない。
金で春を買う花街では、妓はただ妓であるだけだ。そこに『個』はあって無きが如しのもの。
そんな中で他ならぬ『自分』に対してセイに助力を求められることが、里にとってもどれだけの心の支えになったかは計り知れない。
祐馬が喪われたあの日、かろうじて死の淵から掬い上げられたセイの命の光。
そのことに救われたのは、けしてセイ一人ではないのだ。
「―――さ、正坊が待っとるわ。はよう帰ったらんと」
なんだか今日は無性に山南の思い出話をしたい気分だった。
秋の気配を見せだして高くなった空を見上げながら、里は家路を急いだ。
続
当時の風習ネタ。簪にまつわる説明は後編で。といっても引っ張るほど大層な話でもないんですが(汗)知ってる人は知ってると思うし。
花柳界つーより芸妓の風習なのかな、よく知らん。まあお里さん元芸妓だしどっちにも通じてるよね、ということで見切り発車。ツッコミどころは多数あるかと思いますがスルー推奨でひとつ(逃げとる逃げとる)。
総司を花柳界の風習に疎い設定にしてますが、実際に落籍資金の相場も知らなかったくらいだからあながちはずれてはいないんじゃないかと。