路地裏

昨日は久留米の居酒屋へ行った。夕暮れ時、立ち飲みのカウンターは、満員であった。私もそこへ並ぶと、ビール、おでんをもらった。豆もゆで卵ももらった。あの卵の殻をぽんと叩いて、むく時の手触りがいい。昔、運動会や遠足での卵が美味しかったと、ママさんに云ったら、大きくうなずいた。ほぼ同じ世代に生きたわけだ。店には紫煙が漂い、客たちのとめどもない会話と、有線の歌が流れていた。私はぼんやりとそれらの歌に耳を傾けていた。もはやテレビで聞くこともなく、誰だか定かでない歌であるだけに、歌手の浮き沈みにも似て、自ずと歌声にも哀調が漂うようであった。
ある日の昼下がり、まだがらんとしたこの店で、1人の老人が焼酎とてんぷらの代金240円を払って出て行った。ママさんももう1人の女性も、声をそろえて彼を見送った。飲み代の多寡に拘わらず、いろいろな飲み方があり、またその誰にも変わらずに接する彼女たちの様子に、私は軽い感動を覚えたものであった。店を出ると、前はきらびやかなネオンが舞い、艶っぽいヌード写真の飾られた店であった。更に付近には、うどん屋、料理店、風俗店と並んでいた。若者たちが2、3人連れ立って、風俗への階段をとんとんと昇っていくのも、以前に眺めた光景であった。人々はその欲求の赴くところに、ときに飲み、ときに遊び興じるのである。私は居酒屋を出ると、閉店近いダオエーへ行き、服を1つ買った。その大きな袋を持ったまま、もう一軒の店へ入った。まだ薄暮とて、2人の女性が忙しげに店の準備をしていた。1人が買出しに出かけ、もう1人が花瓶の花を整えていた。店が変われば、そこにまた異質の、1つの生活が息づいているのであった。私は足を取られぬうちにと、はやめの電車に乗った。





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