「主張」 

年金医療の危機を選挙に問おう

 衆議院総選挙は戦後だけでも今度が22回目を迎えるが過去一度たりとも、医療や年金がメインテーマになって国民こぞっての論戦を繰り広げたという選挙は無い。選挙の論点は、国民の世論の中で、与党の考えに沿ったものになるであろう問題にすりかえられてきた経緯がある。

   今回は何を掲げるかはわからないが、たぶん「構造改革」「北朝鮮の核所持と拉致問題」「道路公団や郵政公社の民営化」などだろう。確かにこれらは大きな問題ではあるが、最近の国民調査で一番政治に望むものという設問に対し、上位3つの中に必ず顔を出すのが、年金医療福祉など生活に密着しかつ最も根源的な欲求である。老後が安心できるのか、病気をしても医者にかかれるだろうか、年金はいくらもらえるのだろうか等生きていく為の不安が日本人の心のなかに蔓延し、年間の自殺者も交通事故死の3倍をこえて3万人に達しています。

   国民は、消費に回すどころか、無け無しの金を精一杯貯蓄にまわすのに奔走し、いまや国民貯蓄額の総計は1300兆円との事である。片や近年、日本は二極分化してきていて、貯蓄ゼロの世帯が全世帯の2割を上回っているという報道があった。都会には青いテントに暮らす路上生活者があふれ、困窮故の犯罪が多発している。失業者は380万人を超え、フリーターを加えれば580万人を超えている現実は誰が見ても政治政策の破綻以外のなにものでもない。自国民の生きる権利も満足に守れないで何が政治だと政治家(政治屋)に問いたいのが、国民の「声無き声」なのではないだろうか。

   いまさら憲法を持ち出すのもと思うが「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進につとめなければならない。云々」という政治の根本たる憲法にも抵触しかねない今の政治に、お灸をすえるためにも今度の総選挙は大事な一票となるのではないだろうか。

  日本には「金が無い」のではなく、「金の配分が滅茶苦茶」なために、票に結びつく方面にのみ多く流れていってしまうのだと言わざるをえない。現実を開示して、国民みんなで議論していける素地ができるようになる日が来るのは何時の日なのであろうか。     
2003年10月号佐賀県保険医新聞「主張」