主張 「身内に甘くて良いのか?」
 
  最近のマスコミ報道で気になる四つの事件のほとんどが「身内に甘い」決着で幕をとじようとしている様で腑に落ちない。「誰も責任をとらない」「誰も謝らない」風潮は、門外漢には無責任と映り、「自分もそうやっても構わないのだ」という発想が国民に生じてしまうのではないかと危惧するのは私だけだろうか。

   外務省の機密費流用事件では、「彼個人がやった事」で省内のだれにも責任は無いのだろうか。国会議員の外遊時の手土産代や期末の予算使いきりのための高級ワインや打ち上げパーティ代で恩恵にあずかった官僚は、彼が逮捕されなかったら、バレるまで慣習としてずっと続けていたのであろうし、高裁判事の妻の事件に対する最高裁の内輪の調査委員会でも、「証拠隠滅は無かった」という事であるが、メールのやり取りに使ったパソコンの情報は消されていたのだから、その妻に実際消せるのかをやらせてみるべきなのにそこまでは踏み込んでいないのは、初めから、「証拠隠滅は無かりけり」という前提があったと勘ぐりたくなる。
 また、プリペード式携帯電話はどこにいったのかの徹底的追及の程度も伝わってこない。

   薬害エイズの事件でも、アメリカが全面的に加熱製剤に転換した後の2年間日本で、非加熱製剤を使い続けた事の責任は判決理由に見られない。一番大事な時期の責任が欠落しているのではないのだろうか。

これらの事件にたいする素朴な門外漢の疑問は、国民みんなが懐く最初のかつ的を得た疑問であるし、納得いく解説と対処を示してしかるべきではないだろうか。

   最後に歯科医師国家試験漏洩事件についてだが、漏れた問題は口腔外科の14問であったと新聞は報道している。漏れた問題の解答率は、その大学の平均点が全国歯科大学中最高点なのにその他の問題の解答率は全国最低だったとの報道だが厚生省は、どの程度その事実を把握していたのだろうか。
過去に似たような解答率を呈した問題の有無を徹底的に洗うべきではないのか。歯科医師と同様に医師国家試験も洗いなおしてみてはというのが、国民の率直な意見であろう。

   膿はなるべく早い時期にだしておかないと国民の信頼を得られなくなり、ほんの一部のために医師全体が不信の目で見られかねない。今こそ歯科医師会も医師会も、徹底究明の声をあげるべきではないだろうか。でなければ、我々のいろんな要求も国民からすれば白々しいものになり兼ねない。「臭いものに蓋」をする問題でも時期でもない。

      
佐賀県保険医新聞  2001年3月号