「医療費領収書請求運動」


 今年になって、いろんな労働組合が、傘下の組合員に「医療費領収書請求運動」を推進する通達を出し、今秋までには連合も全組合員に運動を展開する予定との事である。医療費通知運動で組合員に配られていた内容とレセプトを突き合わせて「架空請求」や「水増し請求」をチェックするという算段になっている。

    「各保険医療機関は、患者から要求があれば、患者の支払った金額の領収書の発行を行う。」「医療費の内容の分かる領収書については、各医療機関等において体制を整え、その発行に努める。」との厚生省保険局長通知が出されていることもあり、領収書の発行は当然と言える。 しかし、「領収書をもらって、医療費の「不正請求」を発見しましょう。」という連合のスローガンには賛成できない。

    過誤請求のほとんどは、保険証番号の写し間違い、資格喪失後の受診、更にいわゆる「経済審査」に起因しているものである事は今までの各種の統計からも明らかになっている。特に窓口での事務的間違いに起因する返戻が過誤請求の大部分をしめている。  これらを、十把一からげに「水増し請求」とするのはあまりにもお粗末だ。

 まず資格喪失後受診についていえば、受診した人が、退職した同月に再診を受けた時によく生じる事で、窓口ではチェックできない問題であり、受診本人に自費負担としてすみやかに医療機関に支払う事を保険者が促す必要があろう。

 次に「経済審査」についていえば(これが、一番の問題であるが)、検査や治療に対しての見解の相違がその本質といえよう。一歩譲って、全く不当と考えられる過剰検査の例があったとしても、有無をいわさずバッサリ切ってしまうのではなく、検査をした理由を主治医に問いただしたあとにするべきではなかろうか。そうでなければ、もしその検査をしなかったがために後で問題が生じた時にはバッサリ切った保険者はそれなりの責任をとるべきである。切られるのを嫌ってだんだんと萎縮診療になり、萎縮治療になっていけば、一番の犠牲者は国民なのである。

 「国民の健康と福祉」こそが最終的な目標である事は、医療側も保険者側も異存はないのだから、対峙するのではなく、もっと建設的に話し合っていくべきではなかろうか。「国民の健康と福祉」に出す金がないとか、このままでは国家財政がつぶれるとかいう理論が幅をきかせているがはたしてそうなのかをしっかりと見極めなければならない。今年の協会総会で講演して頂いた中山奈良女大助教授のお話からも、国家財源の配分の見直しを真剣に論議できればなんら問題なく解決されうる事なのである。


佐賀県保険医新聞 2000年9月号 「主張」より