主張
「医療福祉の後退を看過するな」
                                               
  4月からいよいよ介護保険が施行され、7月からは老人医療保険にも一割負担が導入される事となった。診療所の外来に定額の道が残るのみである。自己負担の上限は一応設けられているが、情勢をみて序々にその上限は上がっていくのは自明の理であり、場合によっては上限なしの一律定率負担になるのにさほど年月は要しないと考えられる。
  一般的に、新しい制度や法律が導入される時、多くの国民にとって不利益になるものであるなら、その制度や法律は悪法といわざるをえない。その観点から介護保険を考えた時に、本当に救われる国民がどれ位いるのであろうか。はっきりしているのは、蓄えのある老健施設入居の高齢者の自己負担がかなり軽減することと、医療福祉への国庫負担が今後有意に減少していく事位である。
  「老人は金持ちなのだ」という話がまことしやかに流布した事があるが、98年厚生省の「国民生活基礎調査」によると高齢者世帯の貯蓄分布では、50万円未満世帯が全体の25%、50万円〜100万円が8%、 100万円〜200万円が7%もある。つまり200万円以下の貯蓄の世帯が全体の40%もあり、400万円未満までをみてみると実に53%に昇るのである。この実態と高齢者への介護、医療への一割負担の施行をダブらせたとき暗澹たる気持ちになるのは小生だけではない筈である。
  介護保険がスタートして、一割の自己負担が払いきれないが故にケアマネージャーが
作成した介護スケジュールを大幅に削減せざるをえない老齢世帯の声が多く寄せられている。担当した世帯のフトコロ具合をまず心配しながらプランを作成する事を余儀なくされるケアマネージャーの心労は察してあまりある。
  全国の高齢者の介護保険料を一年間タダにするのに7800億円の国庫負担で可能となるが、銀行救済に12兆円もだしたのに老人福祉にはその一割も出そうとしないのは何故か。日本の為政者は、silent majorityや、票に結び付かない層を守っていく事すらできなくなってしまったのだろうか。政治家の向いてる方向がsilent majority でなくなった事に、それを容認し応援し議員になしてきた国民の責任もまた問われなければならない。

2000年4月