電子メールは厳密に読まれがち

電子メールには見えない落とし穴があります

記者や小説家ではない私たちが書く文章は,新聞・雑誌・小説のようには真実・意見・意図を過不足なく表現できていない可能性がありますが,電子メールは活字として目に飛び込んできます.

私たちは学校の国語教育で読解力を身につけており,特に活字になった文章には無意識のうちに敬意を払っています.
たとえば新聞や雑誌では,そこに書いてあることがウソかもしれないと思いながら読む人は少ないでしょう.
小説を読んでいるときには,登場人物の気持ちや行間に見え隠れする伏線を無意識のうちに読み取り,それがひとつの楽しみとなっています.

目から入る情報は大脳のほとんど全ての機能を賦活しますので,文字情報は読む人の人生経験の全てと対峙することになります.
ですから,手書きの文章だと表現に少々まずいところがあっても割合寛容に受け入れられるような場合でも,電子メールは活字として読まれるため,表現がひとり歩きしだす可能性があります.

特に,微妙な問題や反対意見を言う場合には,「言葉を選ぶ」必要があるのは言うまでもないことですが,同音異義語の多い日本語では,たった1つの誤字が文意を異なったものしてしまうことも忘れてはいけません.

電子メールを書くときには,どう読まれるかに気を配る必要があるのはもちろんのこと,読むときには書き手の表現力が十分でないかもしれないことを念頭に置く必要があるのです.

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