罪業
忘却することの許されぬ、深い罪がある。
あの人から、平穏を奪い、愛を奪い、幸を奪った。
貴女の哀しみこそが、僕の罪の証。
ごりごりと薬研を動かしていた手を止めて、すりつぶした薬草を小皿に移す。
幾種類かの薬草を混ぜ合わせて、慣れた手つきで調合を進めていく。
それらを紙に包み、丁寧に折り込んでいくつかの薬包を作り手帛紗に入れる。
「……これで、少しでもよくなってくれるといいんですが」
―――薬が気休めにしかならないのは、僕が一番承知しているけれど。
「いつもすまないね、弁慶。でも、朔は相変わらず目を覚まさなくて………」
すまなそうに景時が頭を下げるのも、気にするなと諭すのも、もう慣れた光景だ。
彼女が病床についてから、目を覚ましているときに会えたことは数えるほどしかない。
「……目を覚ましたら、これを飲ませて差し上げてください」
景時に薬を託けて、邸を辞する。
門扉を一歩出て振り返ると、そこには常と変わらぬ梶原の邸。
けれどそこには僕の罪を一身に受けてしまったひとがいる。
平家との戦は、終わりを告げた。
それは平和の訪れを告げる鬨の声。
それらが彼女に齎したものは、平穏であるはずだったのに。
激務に忙殺されることもなくなり、心の慰めとなっていた対の存在である神子も、故郷へと還り。
―――再び、彼女は愛する存在を失った哀しみと向き合わねばならなくなった。
せめて黒龍の逆鱗が戻れば、想い人のよすがに縋ることも叶ったのかもしれない。
けれど戦の混乱は、すべてを砂塵と海原に呑み込んで。
『彼』の欠片はいずこへ紛れたのか、もはや誰にもわからず。
じわじわと心を蝕む哀しみは、その身すらをも苛む。
窶れた身体はたやすく病魔を呼び込み、彼女が床についてから既に久しい。
「………ッ」
爪が食い込み血を流すかと思うほど、拳を強く握りこんだ。
己の意思でその咎に手を染めた。
その裁きを受けるべきは僕のはずだったのに。
代償にこの身を八つ裂きにされようと、構わなかったのに。
なぜ、世界はあなたにばかり犠牲を強いるのか。
今もなお、僕の咎はあなたを苦しめ続けている。
じじじ、と蝋燭の燃える音が、夜半の静かな平屋でさらさらと紙の上に筆を滑らせる僕の耳を打つ。
その書状には、彼女にまつわる僕の罪をすべて書き記した。
人づてででも、いずれ彼女の手に渡るだろう。
―――すべての咎は僕にある。この罪は、僕の命で贖います。
そう結んで、筆を置いた。
戦を終えたあと、梶原邸に間借りしていた部屋を引き払い、洛中に小さな家を求めたのが、こんな形で役に立とうとは思わなかった。
―――彼女の邸を、血で穢さずに済んだ。
部屋の片隅には少ないながらも纏めた私物。
その一番上に、鞘に納まった小さな刀が置いてある。
その小刀を手に取り鞘を取り払うと、銀色の刃が蝋燭の灯りに鈍く光る。
そして、そっと喉に刀を宛がった。
次の瞬間。
ドガッ!と激しく耳障りな音が、平屋の戸で奏でられた。
平屋の戸をけたたましく乱暴に開く音が聞こえる。
男性的な乱暴さの反面、耳朶を打つ足音の高さはその目方の軽さを窺わせ、訪い人が少年であろうことはたやすく察せられた。
「―――弁慶!」
予想にたがわぬ人物が、怒りを隠そうともせずこちらを睨みつけ、彼の焔のようにうねる紅の髪がその形相になおいっそうの迫力を与えている。
事後を託した兄を―――彼の父親を問い詰めたか、それとも鴉に悟られたか。
いずれにしても、僕がしようとしていることを知ってしまったであろうことは疑いの余地はない。
「―――ッ、この生臭坊主!ちったぁ周り見やがれ!」
刃を喉に宛がったままの僕を認めると、ヒノエは胸倉を掴んで、そのまま壁に押し付けた。
衝撃で後頭部をしたたかに壁にぶつけ、目の前に火花が散る。
「てめえが死んで、それが償いだぁ?寝言は寝て言え!」
「……だったら、僕に何ができます。
詫びても詫びきれない取り返しのつかない罪なのに。
死んで詫びる以外、何ができるって言うんです……!」
「―――なら、生き恥さらせ!」
きつい恫喝が、耳朶を打つ。
「詫びきれないなら一生かけて詫び続けろよ!何を自分だけ楽になろうとしてやがる!
彼女がそれを喜ぶと本気で思ってんのか!」
ヒノエのその焔のように熱い眼光に貫かれ、全身から力が抜ける。
手の中の小刀が滑り落ち、かつん、と床に転がった。
「その目は節穴か。あの戦で、お前は何を見てきた。
彼女が、仲間を仇として死なせてそれでよしとする人柄か、俺らが一番近くで見てきたんじゃねえのかよ」
ヒノエは掴み上げていた胸倉から手を離し、文机の上の書状を真二つに引き裂いた。
「―――お前も熊野の男なら、女泣かして逃げてんじゃねえ」
言い捨てて踵を返した甥の背が、いつにもまして男の背に見える。
ずるずると壁に背を滑らせて、脱力した全身を床に預けた。
気を抜くと零れそうになる嗚咽を、唇を強く噛んで堪える。
―――僕に、嘆く権利はない。
それは誰より承知しているのに、にじみ始めた視界は、身体の持ち主の思惑をたやすく裏切り、涙をたたえてしまう。
「…………朔殿……」
頬を伝い、眦から零れ落ちた雫が、ぱた、と床にしみを形作る。
傍らに転がった、小刀に視線を投げた。
あの刃を喉に突き立てれば、呵責からも解放されて楽になれる。
けれどそれは再び彼女の傷を抉るのか。
忘却することの許されぬ、罪がある。
逃げることも、楽になることも許されぬ、深い罪。
とうにこの手は血塗られている。
武器を持ち、敵を殺し、策謀をめぐらし、多くのものを陥れてきた。
それを悔やんではいない。いまさら怨獄に堕ちることを恐れもしない。
なのに。
なのにどうして。
………どうして、貴女がこんなに大切になってしまったのだろう。
もはや自分でもわかっている。
数多の命を奪ってきた自分が、たった一人の哀しみに呵責を覚えるその意味を。
―――愛しいひとを苦しめてしまうことが、僕に科せられた罰なのか。
鈍く光る銀色の刃は、ついに血濡れぬまま。
今宵もまた、狂おしく彼女を想う夜が更ける。
奪ったもんのとこ、「夫を奪い」とか書いたら弁慶が略奪女みたいになったんで削った(笑)。
ヒノエの言った「生臭坊主」はこの場合オンナじゃなくて殺生のことですね。
ゲーム中で朔に対するフォローがほしいところNo.1は弁慶ルート。
弁慶は黒いと信じているくせに、なぜか私の書く弁慶は、罪を悔いてる白弁慶。
「君はいけない人ですね」とか「僕の可愛い人」とか色気のある声で世の神子たちを篭絡しまくっているゲームの黒弁慶はいったいどこへ行ってしまったのか(笑)