彼の人に委ねて
「もう少しで…女王試験も終わる…」
ロザリアは、ふと思い出したようにそう言った。
金髪の女王候補アンジェリークは、最初こそおぼつかなかったものの、今はロザリアに勝るとも劣らない育成結果を出し、
どちらが勝つか、今のところ全く判断が付かない。
生まれついての女王候補としてのロザリアのプライドも、アンジェリークとつき合ううち、角が取れ、相手の力量を認めることのできる視野を備えるようになった。
どちらが勝っても、互いを支え合う女王と補佐官としてやっていける。
それがわかっているから、試験の終わりが近づいた今も、不思議なくらい落ちついている。
アンジェリークが女王となっても、自分は補佐官として、彼女を支えていける。
自分が女王になったら…?
そう思いを馳せたとき、ロザリアの部屋にノックが響いた。
「あら、どなたかしら」
扉を開くと、半ば予想していた人物が立っていた。
「よぉ、お嬢ちゃん。今日もご機嫌麗しゅう」
「──ごきげんよう、オスカー様」
炎の守護聖、オスカーは、ロザリアにとって苦手な相手だった。
世界を支える守護聖らしからぬ、その軽い物言いや態度は、ロザリアにはどうしても受け入れにくいものがあった。
だが、けして嫌いというわけではない。
それがかえって彼に対する評価を複雑にしているのであった。
そんなロザリアの心情を知ってか知らずか、こうしてオスカーは頻繁にロザリアの部屋を訪れるのだ。
「デートのお誘いに来たんだが、…どうした?気が乗らないか?」
「………………いえ、なんでもありませんわ。
支度をしますので、少しお待ちいただけます?」
「そぉら、しっかり捕まってろよ、お嬢ちゃん!」
「きゃっ、ちょ、ちょっとオスカー様っ!
もう少しゆっくり走ってくださいな!」
飛空都市をオスカーの愛馬が駈ける。
オスカーは手綱を操りながら、慌てるロザリアの反応を楽しむように、さらにスピードをあげていく。
「怖ければ、俺の胸に抱きついていればいい」
「もうっ!いい加減になさってくださいな!」
二人を乗せた馬は、飛空都市の大部分を一望できる小高い丘の上まで走り続けた。
「馬に乗るなんてわかっていたら、服装も乗馬向きのものにしましたのに」
ロザリアはオスカーの差し伸べた手をとり、抱き留められるように馬から降りる。
風がふわりとロザリアのフレアロングのスカートを揺らし、その豊かな蒼い髪は、吹き過ぎる風を象る。
「貴婦人はナイトにエスコートされるものだぜ、お嬢ちゃん」
微妙に論点の違うことを言い、オスカーはわざとらしくお辞儀をする。
彼らしいといえば彼らしい物言いに、ロザリアは苦笑を零す。
丘から見える飛空都市の情景の美しさの前には、少々の悪ふざけは全て問題にならないように思えた。
「飛空都市にも、こんな場所があったのですね」
遠くに見える聖殿や研究院が、まるで箱庭のようで。
緑に覆われた飛空都市の風景が、一枚の絵画のようで。
あそこに自分が常日頃いるのだということが、奇妙に可笑しさをもつ。
飛空都市は狭くはない。だが、けして広くもない。
少し小高い場所から眺めると、その果てを易々と見ることが出来る。
雲の切れ目から垣間見える地上には、自分とアンジェリークが慈しんで育ててきた大陸がある。
「わたくしの…フェリシア…」
「…やれやれ、ここまで来て大陸に心奪われるか。
お嬢ちゃんは、休息という言葉を知らないらしいな」
ロザリアはオスカーのその言葉に少々むっとして言い返した。
「女王候補たるもの、当然ではありませんこと?
自分の立場を失念することがあってはなりませんでしょう?」
「努力と無理は、似て異なる物だぜ。
俺の隣にいる間くらいは、育成のことも忘れて欲しいものだがな」
ロザリアが対応に困るのはこういったときだ。
自分の努力を否定するでもない。だが肯定するでもない。
ただ「自分の前では一人の少女でいろ」と言う。
優秀な女王候補たらんとするロザリアにとって、彼を苦手な理由はそれかもしれない。
試験も終盤に近づくころ、ロザリアはあることに気がついた。
オスカーは…ロザリアの育成に対する評価を、口にしたことがないのだ。
少なくとも、自分がいる場では。
『よくやってる』と肯定されれば、次への励みになる。
『だめだな』と否定されれば、その悔しさをバネに伸びることもできる。
だがオスカーは、そのどちらも口にしない。
女王候補としてのロザリアを、左右するような言葉は一度たりとも。
自分は、女王になるかもしれない。
女王にはならないのかもしれない。
目の前に立つこの人物は、どちらを望んでいるのだろう。
その疑問が、ロザリアの心を占めていた。
訊きたいけれど訊けない言葉が、胸のなかに浮かんでは消える。
わたくしは女王として相応しい女ですか?
わたくしに、女王になれと望んでいらっしゃいますか?
…貴方は…わたくしをどう思っていらっしゃいますか──
彼を嫌っているわけじゃないし、嫌われてるわけでもない。
なのに、どうしてこんなに彼の心が気になるのか、ロザリアには、自分の心すら掌握できなかった。
別にいいではないか。
嫌っても嫌われてもいないのなら、女王になろうともならずとも、差し障りは無いはずだ。
ただ…どこか寂しいだけで。
「どうした?お嬢ちゃん」
物思いに耽っていたロザリアに、訝しげにオスカーは言葉をかける。
「なんでもありませんわ。そろそろ戻りませんか?」
オスカーの馬へと戻ろうとしたロザリアは今一度振り返って、
飛空都市の果ての先に垣間見える大陸に視線を投げる。
『わたくしが…わたくしたちが慈しんで育てた愛しい大地。
あなた達は、わたくしとアンジェリークと…どちらを女王に戴くのが幸せなのかしら?』
声にならない問いかけを、瞳だけに込めて、しばらく大陸を見つめていた。
子供の頃から、夢見てたわ。
自分が、女王になる日のこと。
女王以外の生き方を望むことなんて、在るはずがないと思っていた。
それでいいじゃない。
それが今までわたくしが望んで来た道ではないの。
今までの自分に恥じない立派な女王になると決めたじゃない。
アンジェリークが女王になっても、自分は喜んで補佐官として治世を支えようと決めたじゃない。
なのに、何故たった一人の思惑を知りたいと望むの?
思惑を知ってどうするというの?
ロザリアはオスカーの馬の背に揺られながら、鬱々としてくる感情を抑えるのに苦労していた。
「それじゃあな、お嬢ちゃん。今日は楽しかったぜ。
またこんな時間を持ちたいな」
ロザリアを女王候補寮へと送り届けたオスカーは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて、ロザリアにそう語りかける。
いつもなら「そうですわね」と答えるだけのロザリアだったが、今日だけは、オスカーに即答を返さなかった。
「………もう…こんな時間を持つことはないと思いますわ」
「…お嬢ちゃん?」
「…もし…わたくしのフェリシアが中央の島に辿り着くときは…、オスカー様に力を送っていただきたいですわね…」
それだけを言って、ロザリアはお辞儀をすると、挨拶もそこそこに候補寮の部屋に入り、扉を閉めた。
「よぉ、パスハ。大陸の様子はどうなっている?」
翌日、オスカーは研究院のパスハの元を訪れていた。
「これは、オスカー様。わざわざのお運び、恐縮です。
大陸の状況につきましては、どちらの大陸も順調に発展を続けています。
この分ですと、翌週にはどちらかの大陸が中央の島に辿り着くでしょう」
「ほぅ…。接戦だな…。お嬢ちゃんたちもなかなかやるな」
パスハの打ち出したデータ表に目を通しながら、オスカーは呟いた。
そして、何かを決したように視線を一瞬鋭くしたと思うと、踵を返して研究院を後にした。
そして翌週のこと。
コンコン──
「オスカー様、育成お願いします!」
元気よく執務室を訪れたのは、金の髪の女王候補アンジェリーク。
いつも元気のよいアンジェリークだったが、今日は特にうきうきしているようだった。
「ああ、わかった。お嬢ちゃんの期待は裏切らないぜ」
「ふふ、もうすぐ試験終了ですね〜」
「ああ、お嬢ちゃんも予想以上に頑張ったな。
だがまだ勝った訳じゃないのに、やけに嬉しそうだな?」
「ロザリアとここまで僅差で競えるなんて、最初は思ってもみませんでした!
勝つか負けるか、それはまだわかりませんけど、精一杯頑張りましたもの。
私、どっちになっても後悔しませんよ」
アンジェリークはまっすぐな視線をオスカーに向ける。
妬みや僻みを知らぬ、輝かしい笑顔。
なるほど、天使とはこういうものかもしれない。
「それじゃ、よろしくお願いしますね!」
ぺこりとお辞儀をして、アンジェリークはオスカーの執務室を後にした。
オスカーは、閉まった扉に視線を向ける。
今一度、この扉を叩く者が訪れることを、オスカーは知っていた。
コンコン──
ノックの音が響く。
「──育成を、お願いしますわ、オスカー様」
「──貴女もオスカー様の元に育成のお願いにあがったの?」
「え?ロザリアもなんだ?」
アンジェリークは、いつものようにロザリアの部屋を訪れてお茶を飲んでおしゃべりをしていた。
不意に話題に上った育成の話になったとき、今日二人ともオスカーを訪ねたことが判明したのだ。
カチャンとソーサーにカップを置いたロザリアは、大きなため息をついた。
「──皮肉なものね」
アンジェリークもロザリアも、中央の島までもう王手をかけている。
あと一度守護聖に力を送ってもらえば、勝負がつくだろう。
それなのに、同じ守護聖に育成を頼み、しかもそれがオスカーだとは。
これは言い換えれば、次期女王にどちらを選ぶのか、それがオスカーの手の中にあると言っても良い。
彼がアンジェリークの方が女王に相応しいと思えば、エリューシオンに先に力を送るだろう。
逆に、ロザリアの方が女王に相応しいと思えば、フェリシアに先に力を送るだろう。
貴方はわたくしに、女王になれと望んでいらっしゃいますか──
訊きたくて、そしてとうとう訊くことの出来なかった問い。
それを、こんな形で知ることになるなんて。
ロザリアは、そんな揺れる心を抱えたまま、話もうわの空でアンジェリークとお茶を飲み続けていた。
夕刻になり、アンジェリークが自室に戻ると、ロザリアは部屋に籠もっているのが耐えられなくなり、ふらりと飛空都市を歩くことにした。
夕闇に染まり始めた飛空都市をあてもなく歩きながら、ロザリアは、震えだした自分の身体をそっと抱きしめた。
どうしてこんなに心が重いのかしら。
わたくしは何を気にかけているの?
次期女王になれるかなれないか?
──違う。
そう、違うの。
わたくしが気になるのは、彼が誰を選ぶのか。
気がつくと、ロザリアは研究院の近くまで来ていた。
飛空都市の端近くに位置する研究院からは、地上の大陸を垣間見ることが出来る。
今日限りで、育成に明け暮れた日とも決別なのだろう。
複雑な想いも抱えたまま微かに見える大陸を見つめていたロザリアは、大陸が光を放ちだしたことに気づいた。
「────!」
それは全てが終わった証。
光り輝いているのは…………フェリシアではなかった。
彼は…オスカーは…、アンジェリークを次期女王としたのだ。
「──…っ。どうして…」
つ…っとロザリアの頬を滴が伝う。
「…どうして今更気づいてしまうの…」
自分はただ彼に認められたかったのだ。
あの人に「ロザリア」を見て欲しくて。
それなのに見てくれない彼にムキになって、自分で自分の気持ちに蓋をした。
いったいどのくらいの間、そこに立ちつくしていたのだろうか。
もはや大陸の光はすでに終息し、空には星が瞬きだしていた。
「もう…あの子の傍にはいられない…」
自分の気持ちに気づいてしまったら…。
彼女に罪はないと解っていても、この嫉妬に狂う心は、オスカーが彼女を女王に選んだ事に対して平静ではいられない。
オスカーのことを、まっすぐ見られる自信がない。
いつかアンジェリークに酷いことを言ってしまうかも知れない。
このままアンジェリークと傷つけあう日が来るのを受け入れることはできない。
ならば、今。
「…さよなら、アンジェリーク。
さよなら、オスカー様…」
呟いて、踵を返そうとしたロザリアの目の前に、立ちふさがった影があった。
「今の言葉、聞き捨てならないな」
「──オスカー様!」
「別れの言葉とは、どういうことだ?」
静かな口調の中に、確かに怒りを感じて、ロザリアは一歩後ずさる。
だが、キッと視線を上げると、オスカーを見据えた。
「どうもこうもありません。貴方が決定打を下したのですわ。
貴方が…女王にアンジェリークを望んだのでしょう」
「…それで?」
「女王候補が、女王になれなかった。
ここを去ることに、それ以上の理由が必要ですの?」
「──ああ冗談じゃないな。
俺は君を「女王の座」なんぞにくれてやる気は更々ないが、むざむざ手放す気は、もっとないぜ」
…?
彼は今、何を言った?
言われた言葉を反芻する暇もなく、ロザリアは腕を引かれ、オスカーの胸に飛び込む形になった。
「…いつになったら、君は俺のことを見てくれるんだ?」
「い…いつも見てるではありませんの…?」
「いや、違うな。君は、いつも女王候補としてしか、『守護聖』としてしか見てくれていない。
俺が見て欲しいのは、『オスカー』という一人の男のことだ」
クイッと顎を上げられ、瞳をのぞき込まれる。
「君が一人の女として俺を見てくれるなら…わかるはずだ」
オスカーはそれだけを言うと、口を閉ざし、ただロザリアの双眸を見つめる。
一人の…女として…?
おそるおそるオスカーの視線を受け止めて瞳を見返したロザリアは、その視線の強さに身体を竦ませた。
そこにあるのは、普段のオスカーからは伺い知れぬほどの切なさを湛えた瞳。
胸に当てた手に感じ取れるのは、早鐘を打つ鼓動。
ロザリアは、脳裏でカチリとジグソーのピースが合うように、全てを悟った。
不意にクスッと微笑う。
「…オスカー様は、本当にいつも、大事なことは仰って下さらないのね」
「言葉だけで信じてもらえるものなら、いくらでも言ってさしあげるがな。
言葉以外ででも、君には信じて欲しかった」
オスカーはロザリアの頬に自分の手を添える。
上向かせた唇に己のそれを近づけながら、そっと囁いた。
「──愛してる」
夜の帳が降りた飛空都市の片隅で、二つの影は長いこと離れなかった。
fin.
「不敵でクールなオスカーと、反発しながらも惹かれていくロザリアの駆け引き」というリクエストだったんですが…かなり玉砕してますね。くっ、修行がたらん!
今まで藤之が書いたオスカーは、みんな何処か弱さをさらけ出していたので、弱さをさらけ出さないままのオスカーを書こうと頑張ってみました。
書きたい通りのオスカーになったかどうかは…私にもわからないんですが。