剣と誓いと真実と




美しいアルカディア。
空間の崩壊は近いが、だがそれでもその美しさは、人の心を惹きつける。


ロザリアは、約束の地に聳えたつ大樹の下に腰を下ろし、爽やかに過ぎゆく風に髪をなびかせ、蒼く澄んだ空を見上げた。
膝の上には、読みかけの本がパラパラと風にめくれてゆく。

うららかな日差しを受けて輝く木漏れ日が、涼しい風と相まって、大樹の袂に憩う者を、微睡ませる。

いつしかロザリアは、大樹に凭れながら、穏やかな眠りに誘われていた。



さわさわと奏でられる葉擦れの音色にまじって、絨毯のように草原を覆う草を踏み分ける音が近づく。
大樹の傍に歩み寄った人影は、その木陰に眠り姫を見つけると、苦笑をその口の端に浮かべた。



どのくらい眠っていたのだろうか。
ロザリアが目を覚ますと、空は朱に染まり、日差しの傾きは、夜の訪れが近いことを告げていた。

「…まぁ、いけない。もう帰らなくては…」

家路を急がねば、とあわてて立ち上がったロザリアの肩から、するりと布地が落ちる感覚が走る。
ロザリアが訝しげに足下に視線を投げると、そこにはロザリアの肩から滑り落ちた蒼いマントがあった。

「ああもう…なんてことかしら」

貴重な休日を、外での眠りに費やしてしまった失態以上に、そのマントの存在にロザリアは羞恥に頬を染めた。




「…わたくしから頼んだわけではございませんが、お借りしたようなのでお返しに参りましたわ」

そういって、頬を染めつつもロザリアは炎の舘の主にマントを差し出した。

アルカディアに住む人々はごく一般的な、普通の服装であり、マントを着用するような服装は、聖地の面子に限られる。
そして、余計な装飾のない真っ青なそのマントを使用している人物は、ロザリアの知る限り、ただ一人しかいない。


眠っていたロザリアにそれがかけられていたということは、その人物に自分の寝顔を見られたことになる。


「…気付かれたのなら、起こしてくださればいいのに、お人が悪いですこと」


嘲笑とも苦笑とも微笑ともつかない笑みを口の端に刻んで、目の前の人物――オスカーは、ロザリアから差し出されたマントを受けとる。


「補佐官殿はお疲れのようだったし、麗しい女性の安らかな休息を邪魔するほど、俺は無粋な男ではないのでね」

ロザリアは紅潮する自分の頬を無視して、反論する。

「…殿方に寝顔を見られた事の方が恥です。
起こされるか、いっそ知らぬフリを決め込んで頂いた方がまだよろしいわ」

なまじマントなど掛けられては、誰にも見られなかったと思いこむこともできない。


「知らぬ内にわたくしも気が緩んでるとしか申せませんわね。
女王候補だったころにはこのような失態などあり得なかったのに」

ため息をひとつついて、自分を叱咤するようにロザリアが漏らした言葉に、オスカーの表情から笑みが消える。

「…確かに、女王候補の頃の君なら、あり得なかったろうな」

思いがけず、突然に真剣な表情になったオスカーに、ロザリアは戸惑う。

「だが、それは気の緩みの問題ではないな。
君の身体が限界を訴えてる証拠さ。
……君は、無理をしすぎなんだ」

「無理なんて…」

「してるな」

ロザリアの反論を、オスカーはにべもなく封じる。

収縮し消え去ろうとする空間に抗う結界を維持している女王の補佐だけでなく、アルカディアの謎の究明にまでも時間を割き、眠る時間すら削っていることを、オスカーに限らず幾人かが気付いている。

「この事態のさなかで…頼める筋の話ではないとは思うが、……どうか、もう少し身体を労ってくれ。
陛下の補佐ももちろん大切だ。だが、君が倒れては陛下も悲しまれるだろう。
…俺も、君が倒れたとき、平静でいられる自信はない」


さりげなく継がれた言葉に、ロザリアは思わずオスカーを見返す。
意味を掴みかねているようなきょとんとした視線に、オスカーは苦笑をこぼした。

「…せめて、もっと俺を頼ってほしいものだな。
それとも、俺はそんなに頼りないか?」


「わたくしはいつでもみなさまを頼りにしていますわよ。
ご心配いただいたのはありがたいですけれど、わたくしのことなら大丈夫ですわ」


「…みなさまを、か。
……いつまで待てば、俺はその他大勢から脱却できるんだろうな」

ロザリアの言葉を反芻して、オスカーは天井を振り仰いだ。

「どうすれば…君の隣にいられるように、なれるんだろうか」


ロザリアは、微かに紅潮した頬を隠すようにさっと背を向ける。

オスカーが遠回しに口説き文句まがいのことを言うのはいつものこと。
そうよ、いつでもどこでもだれにでも。
本気でとったら、自分が痛い目を見る。

「戯れにつき合う暇は、あいにくと持ち合わせておりませんわ」

――大丈夫、わたくしはまだ平静でいられる。

「…わたくしは、あなたに好きと言われたわけでもなんでもな――」

ロザリアの言葉が不意に途切れたのは、オスカーがロザリアの白く細い手を掴んで振り向かせたせいだった。

驚愕に見開いたロザリアの瞳を射抜くオスカーの瞳は、切なげに細められていた。

「…言って、いいのか?」

「…え?」



「君に触れて、愛して…俺のものだと…俺だけのものだと宣言してもいいのか?」

いいながら、オスカーはそっと指をロザリアの頬に這わす。

「この腕に閉じこめて、その瞳に俺しか映らないようにして…」

ゆっくりと、ロザリアの唇に、オスカーのそれが近づく。
ロザリアは、金縛りにあったように動けない。


唇が重なりそうになった瞬間、ロザリアはきつく目を閉じる。


受諾とは到底言えぬその仕草に、オスカーは触れ合う直前の唇から、そっと離れる。


「…すまない」

ロザリアの反応を拒絶のそれと受けとったオスカーは、悔恨の表情を浮かべながら、ロザリアの華奢な身体をゆっくりと放す。
掴んだ肩は微かに震え、俯いた姿勢からではその表情も読みとれない。

「…すまない…無理強いをするつもりは、ない。
だから、怯えないでくれないか」

宥めるように囁くオスカーの声に、ごく小さく、ロザリアの呟きが耳朶を打つ。

「…る…のは、…や…」


「……え?」

よく聞き取れなかったその言葉をもう一度聞き取ろうと、その肩は掴んだまま、そっと視線を落とし、俯いたロザリアの顔をのぞき込む。

「……なんだ?」

促したオスカーの言葉に、絞り出すような返答が返る。

「…流されるのは、いやですわ」




「愛してる、と言われても、わたくしはそれを邪推なしに受け止めることが出来ない。
あなたの愛の言葉は、けして一人に捧げられるものではないもの。
誤魔化しの愛の仕草はいらない。だから……真実をください。
ただひとときの相手になるくらいなら、生涯触れ合わないことを選ぶわ」

「君でないと、だめだからだ。
それではいけないか。足りないか?」

「…信じられません。
いいえ、信じたい。けれど、信じることが出来ないのですもの」


そう言われて我が身を振り返り、オスカーは己の過去の所行を恨む。

唯一人の信頼が得られないようでは、幾人の女性に好意を持たれても意味をなくすのに。
――彼女をこんなにも愛することになると分かっていたら、何年でも一人でいただろうに。



オスカーは、常に肌身離さず帯びている剣をすらりと抜き払い、そしてロザリアの目の前に跪くと、己の前に剣を突き立てた。


ロザリアが驚きに言葉を発するより早く、オスカーは力強く宣誓した。

「ロザリアに生涯変わらぬ愛を貫くことを――この剣にかけて誓約する」

――信頼を得られるかどうかはわからない。
ただ、自分の真実を表わすために、これ以上の方法を思いつかなかっただけだ。


武人にとって、剣にかけた誓約は絶対的なものだ。
オスカーが生まれ育った軍人としての環境では何をかいわんや。
むろん、それを知らぬロザリアではない。


「オス…カー、あなた…。
取り返しのつかないことをしたのよ、わかってらっしゃるの?」


「撤回する気は微塵もない。
信じてもらえなくても、それは俺の責任だ。自業自得と自分を諫めもしよう。
だがそれでも――俺の誓いは真実のものだ」

オスカーは、むしろ晴れ晴れとした表情でロザリアを見つめる。
その視線を受け止めたロザリアは、しばしの沈黙の後、漸く言葉を紡いだ。

「…ひとつだけ、訊かせていただいてもよろしい?
…何故、わたくしなのですの。何故わたくしにそれほどの誓いをたてられますの」

ロザリアの問いに、オスカーは幾ばくかの沈黙を挟む。

「…何故と問われても、俺にもわからない。
美しい人、気高い人、優しい人、そんな人はごまんと見てきた。
そしてそれなりに思い思われ、決して偽りではない思いを交わしてきた。
なのに何故、君でないとだめなのだと思うのか…」

オスカーは、うつむき加減に口に手を遣りながら、言葉を選んでゆく。

「…そうだな。あえて言うなら…。
俺に足りないものが、君という存在だった……だろうか」

欠けた魂の片割れ。
未完成のパズルの最後のピース。

そこに在るのがさだめられていたことのように、自然に己の中に入り込んでいる。

「何故じゃない。何故は要らない。
君だけだ。君でないとだめだ。俺がわかるのはそれだけだ。
そしてそれを知ってしまった今は、もはや君を手放せない。
手放してしまえば、癒されぬ渇きに、満たされぬ餓え(かつえ)に、ただ…藻掻くだけだと…もう、思い知っている」


暫し、二人の間に沈黙が走る。

オスカーにとっては、まるで裁きを待つような永遠にも近い数十秒が過ぎる。

ロザリアは、ゆっくりとオスカーの瞳を見つめ返した。


何故は要らない。
求め、求められることに、理由は要らない。
ただ、相手が自分を求めてくれていると、そう感じられればいい。
ただ、己が相手を愛していると、その真実さえあればいい――


「わたくし、あなたを全て信じられるかどうか、まだわかりませんわ。
……でも、今のあなたの言葉は、とても…嬉しい…」


育ちの良さを窺わせる優雅な仕草でその白い手を差し伸べ、ロザリアは、艶やかに微笑んだ。


「………あなたの傍にいたいと思うには、それで十分ですわね」


オスカーは差し出された白い手をとり、その甲にキスを落とすと、そのまま細い腕をひき、腕の中にロザリアを閉じこめる。
ロザリアは、頬を伝い、顎をくいと上げる指の動きにも抗わず、その瞳を閉じた。

夕日が差し込む炎の舘の一室に、ふたつの影が寄り添うように重なり合った。



fin.

トロワ設定なのはいいが設定活かせてないじゃん、なお話です(ちょっと待て)。
基本的に、「惚れた弱みで臆病」なオスカーと「一時の相手になるのを拒んで強情っぱり」なロザリア、の組み合わせが好きなのです(笑)。