罪の果てに辿り着きしは
――僕は、贖わなくてはならない。
春も終わりに近付こうかという季節の宵。
僕はある決意を胸に、京の梶原邸へと足を向けていた。
暗闇を裂くように、月が皓々と光を放ち、灯りもない京の街を照らしている。
さわさわと風にそよぐ葉擦れの音が、京の一郭に構えたその邸を包み、
荒廃を続けていた京の中にあって、それはまだ堂々とした威風を保っていた。
家人に訪問を告げると、ややあって邸の女主が自ら燭台を持って門扉に姿を現した。
「まぁ……弁慶殿。急なお越しとはお珍しいですわね。
兄なら、あいにくと今は少し留守にしてますわ。
――とりあえずお入りになって。今、温かなものでもお出ししますわ」
「いいえ、お心遣いはありがたいですが、ご遠慮しておきます。
今日は景時ではなく、貴女に用件がありまして。
……夜分遅くに不躾だとは百も承知ですが、朔殿、今から少し出られませんか」
あえて笑みを納めて言ったその言葉に、何かしら感じ取ったのか、
朔殿は深くは聞かず、頷いた。
満ちた月の光に照らされた夜道を、二人、並んで歩く。
「言付けてくだされば、私からお伺いしましたのに」
「妙齢の女性をこんな夜分に一人歩きなんてさせたら、僕が景時に殺されますよ」
もっとも、僕が一緒に歩いていても別の意味で殺されるかな、と戯けて言うと、
朔殿はころころと可笑しそうに笑った。
僕はなるべく自然を装い、朔殿から視線を逸らした。
その笑顔が……少し心に痛くて。
僕達が辿り着いた先は――神泉苑。
そこは、眩い月の光に満たされていた。
枯れることをしらない泉は、その水鏡に月を浮かべている。
「何故、こんなところに呼び出したのか、とふしぎに思っていらっしゃるのでしょうね。
……神子と龍神のことを話すのは、ここが相応しいと思いましたから」
神子と呼ばれる者にとって、神泉苑は特別な場所だ。
過去の歴史を繙いてみれば、伝承上にも、幾度もここに龍神は現れている。
白龍しかり、黒龍しかり。
前代の応龍はここで生じたのだという記録もあった。
景時の妹である朔殿が、黒龍の神子だと聞いたときの衝撃は、今も記憶に新しい。
黒龍が、人の姿をとったという話も、九郎とともに景時から聞いた。
怨霊を鎮める力を持つならば、否応なく怨霊を相手取る平家との戦に役立つ事もあろうと、
源氏軍へと鎌倉殿から従軍を命じられた彼女に、初めて目通りした。
黒龍に選ばれたという誉れを持つ、花の盛りの美しい女人。
それが俗世を捨てた尼僧の姿であったこと。
――その理由を、自分が悟ることができたのは、それが己が所行の末であるから。
僕は朔殿に真正面に向き直ると、常時浮かべていた笑みを消す。
「――僕が今日貴女に会いに来たのは、罪を償うためです」
そう前置きして、僕は自分の罪を彼女に語った。
嘗て応龍の加護を受けながら、なお退廃してゆく京を憂えた。
手の施しようのない京の惨状を救うため、応龍を生まれ変わらせる道を採った。
応龍を生まれ変わらせるため、龍脈を途絶えさせた。
――朔殿の愛した龍を、滅ぼしたのは僕だということを。
朔殿の瞳が驚愕に見開かれ、僕を凝視する。
何かを言いたげに唇が動いたけれど、僕は構わず言葉を続けた。
罪の告白は、一度始めた以上、中途半端なところで終わらせるわけにはいかなかった。
「……応龍が消滅することがなければ、白龍と黒龍は分かたれなかった。
如何に力弱くなっていようとも、応龍は調和の存在です。
黒龍が白龍と分かたれることがなければ、龍神が神子を選ぶこともなかったはず」
白龍は滅し、新たに生じたのち、望美さんを神子に選んだ。
だが僕の知る限り、黒龍は新たに生じなかった。
けれど黒龍の神子は存在する。
それが意味することは明らかだった。
黒龍は消滅を間近に控えたその刹那に神子を選び――そして滅んだのだ。
己が龍神をこよなく慕う神子を、一人残して。
――僕が、残させたのだ。
「あなたにはいくら詫びても――詫びきれない。
貴女の存在そのものが、僕の罪を隠れなく突きつけていた。
まごうことなく、僕は咎人なのです」
あれは木曽との戦いの折。
朔殿に付き添われてきた望美さんと白龍と出逢った。
手の甲に、熱と共に宝玉が埋まり、己が宿命を知った。
贖える、と思った。
僧籍に身をおくとはいえ只人の身で怨霊と戦うには限度がある。
けれど、八葉なら。怨霊と戦う力を与えられている存在であるなら。
龍の滅びと再生を妨げている元凶を取り除くこともかなうかもしれないと。
本来ならば、僕がすべての責を負って、清盛と差し違えるつもりだった。
彼に取り入り、黒龍の逆鱗を破壊することができれば、黒龍は新たに生じ、いずれ再び応龍となる。
それは実行に移す機会を逸してしまった。
僕が手を打ついとまもなく、事態は坂道を転がるように急転し、
ようやく全てを把握したのは、何もかもが収束したのちのこと。
「結果として、黒龍の逆鱗は砕かれました。
――他でもない、彼の龍に選ばれし神子である、貴女の手で。
そして遅まきながら、京は新たな再生の道を歩もうとしている。
ですが、僕の罪が消えるわけではありません」
なにもかもが、僕の罪からはじまった。
平家があれだけの力をつけてしまったことも。
二人の神子が選ばれたことも。
朔殿が黒龍を失ったことも。
朔殿が、愛する龍の逆鱗をその手で砕くことになったことも。
懐から小太刀を取り出すと、朔殿と自分との間に置いた。
「――僕が真に罪を贖うべきは、貴女だ」
僕はその場に座し、両手をついて彼女に頭(こうべ)を垂れた。
「貴女にはその権利があるし、僕にはその義務がある。
身辺は、すでに整理をつけてきました。後顧の憂いはありません。
僕の命を差し出したところで贖えるものではないとわかってはいますが……
――どうか、貴女の手で、僕を裁いてください」
二人の間に、長い沈黙が降りる。
それを破ったのは、朔殿のほうだった。
「――今ここで、私に殺されてもよい、とそうおっしゃるんですか」
それは意識的にか無意識にか、いつになく感情を殺した声音で。
「ええ」
「…………それでは」
朔殿の白く細い手が、僕が地面に置いた小太刀を手に取る。
しゃら、と鞘から刃が抜かれ、その白刃が月明かりを受けて輝いた。
――振り下ろされる刃を覚悟して、僕は瞳を閉じた。
ぶん、と何かが空を切る音がし、直後くるはずの衝撃を予期して体を強張らせた。
だが僕に届いたのは刃の衝撃ではなく……、
――ぼちゃん、という水音だけだった。
そっと瞳を開くと、朔殿の姿は既に目の前にはなく、泉の淵に佇んでいた。
神泉苑の象徴でもある枯れることを知らぬ泉の水面が、
何かを投げ込まれたように波紋を産んでいた。
振り返った朔殿は、穏やかに笑っていた。
「朔殿……何故」
「あなたは本当に、ひどい方ですのね、弁慶殿。
――私が、あなたを……かつての仲間を討てると本気でお思いになったのですか?」
「……仲間であるがゆえに許されると思うほど、僕の罪は軽いものではありません。
――朔殿。貴女は僕が憎くはないのですか。
貴女の愛した黒龍を滅ぼした張本人が」
僕のその言葉に、朔殿は力無く微笑み、そして悲しげに目を伏せた。
「……そう、ですわね。心穏やかでは……いられません。
真実憎くないかと問われれば、頷く事は出来ませんし、恨む理由は充分すぎるほどです。
けれど……弁慶殿を討ったところで、それが何になりましょう」
朔殿は中空を見上げる。
その瞳は、空に浮かぶ月ではなく……なにか、もっと遠いところを見ているような眼差しで。
「神泉苑には……幾度か、私も足を運びました。
龍神が降臨したというこの場所なら、もしかしたら黒龍に逢えるかもしれない……
……そんな、叶わないことが分かり切っている錯覚に救いを求めて」
「……朔殿」
「望美と出逢うまで、そんなことでしか心を慰められなくて……。
でも、あの子に逢って、諦めない強さをもらった。真実を知る勇気をもらった。
もう滅んでしまったのだと、もう二度と逢えないと絶望していたあの人に、
最後のひとときだけでも再び相まみえることができたのは、望美のおかげです」
朔殿は、もう片方の手に持ったままだった小太刀の鞘を、もう一度神泉苑へと投げた。
ぼちゃん、と鈍い音を立て、枯れることを知らぬ泉は、僕の断罪の刃と鞘とを飲み込んだ。
「私は、望美の対として、相応しい存在でいたい。
胸を張って、私は白龍の神子の対、黒龍の神子だと、誇れる自分でいたい。
――そして私が愛したあのひとに、恥じない存在でいたいのです」
「……朔殿……」
「あなたを裁けというのでしたら、これが、私の裁きの形です、弁慶殿。ご不満かしら」
「しかし、それでは……」
「でしたら、こう言い換えますわ。――楽にはして差し上げません、と。
『罪を背負って生きてもらうこと』。悔いる者にこれ以上の裁きがありましょうか?」
「……これは……手厳しいですね」
詰られ、責められた方が如何ほど楽か……そう思い馳せ、気づく。
贖いの形を失った僕は、彼女に裁かれることを口実に、楽になりたがっていたのだと。
罪の意識を持ち続けて生きるより、裁きの名目で命を落としたほうが、楽だと知っていたのだと。
「……わかりました。もとより、僕の命は貴女に委ねたのです。
貴女が、そうせよとおっしゃるのなら、それに従いましょう」
……楽に死を選んでよいほど、僕の罪は軽いものではなかったのだ。
ならば、一生をかけてでも、償うしかあるまい。
僕の罪を知った以上、僕は朔殿の前にはもう現れないほうがよいだろう。
それは彼女に辛い記憶を呼び起こすから。
僕が詰られるのは筋というものだが、それすら彼女はしないだろう。
痛々しいほどに、純粋で優しい黒龍の神子。
僕は慚愧の念を抱えて、償い続けるのだ。
彼女の前を辞そうと、別れの言葉を紡ごうとしたとき、それは突然現れた。
風もないのに、泉の水が波を打ちだした。
刹那、光が宵闇を裂き、夜の空から垣間見えるは、燐光の帯。
「………あれは……龍……?」
歴史の中に、もはや伝承としてしか残らぬ「神泉苑の龍神降臨」。
それが今再び現世(うつしよ)に再現されようとしていた。
燐光を纏い、神子の元へと舞い下りてくる龍。
輝く鱗の色が漆黒であったなら、それは朔殿の懐かしい想い出の再現になっただろう。
だが、今こちらへと降り立つ龍の鱗は白銀。
「――白龍」
朔殿が愛した龍とは対の存在になるそれは、光の帯を纏いながら僕達の目の前へと舞い下りる。
地へと降りた光の帯はまばゆい光の珠となり、ゆっくりと輝きをおさめてゆく。
光が収まりきったそこに立っているのは、かつて彼が旅を共にしたときの、人の姿を模した姿。
その手には、二抱えほどの漆黒の珠を抱えていた。
黒金の燐光を帯びるその珠には、目をこらすと影が見える。
その影は、僕の思い違いでなければ……龍の姿をしていた。
「新たに生じた。私の対だ」
「そう……生まれ変わったのね」
「龍脈も淀みなく巡っている。黒の対に必要なのは、あとは己を育む時間だけ。
――朔、貴女に預ける」
「えっ――」
「きっと、黒龍もそれを喜ぶから」
「だって……あの人は言ったのよ。全てを失うがゆえに滅びだと……!」
朔殿の言葉に、白龍は穏やかに笑う。
「それは真実。これには貴女と歩んだ時間の記憶はすでにない。
――けれど、黒龍が黒龍であることは変わらない。
そして、朔。貴女が黒龍の神子であることも」
「……でも……それは……あのひとは、そのことを、覚えてもいないのでしょう…?」
朔殿は怯えていた。
それは、愛したひとが、もう自分を見てくれないかもしれないという恐怖。
希望を悉く砕かれ、漸く逢えたはずの黒龍とも別離を避けられなかった朔殿が、
勇気を持って一歩を踏み出すには、彼女は悲劇を味わいすぎた。
今にも泣き崩れるかと思えるほど、怯える彼女に、僕は静かに語りかけた。
「――朔殿。記憶がないことが、如何ほどのことですか。
黒龍は魂を震わせモノであることをやめたほど、貴女を愛してた。
――貴女だって、彼の魂や、本質……そんな、存在そのものを愛したはずです」
「…………っ」
朔殿はその小さな肩を震わせた。
いささか長い沈黙を挟み、いまだ怯えに揺らぐ瞳で……だがしっかりと、
白龍の抱える漆黒の珠を見つめた。
「朔、怖れないで。私たちが再び応龍へと還るまで、黒龍は黒龍。
応龍が分かたれてのち、黒龍が選んだ神子はあなた一人。
私は白龍として存在する。黒龍は黒龍として存在する。なにも変わっていない。
共に歩んだ記憶はなくとも、龍は神子を大切に思う。それが龍の理」
「…………黒龍……」
「朔――貴女の龍だ」
白龍が、漆黒の珠をそっと差し出した。
その動きにいざなわれるように、朔殿も手を伸ばし、おずおずと珠へと指を伸べる。
漆黒の珠へと朔殿の指が触れたとたん、漆黒の珠は燐光をいっそう放ち始めた。
光の中、龍がその輪郭を変えていく。
燐光が収まってのち、朔殿の腕には、ふわふわと宙に浮かぶ、幼子の姿があった。
髪の色こそ黒であったが、宇治川で出逢った頃の白龍の面影を重ねられるそれ。
まごうことなく、人の姿をとった黒龍に他ならない。
「………っ………」
朔殿の瞳が、涙で溢れた。
だが、その涙はもう、先程までのおびえによるものではなかった。
光が完全に収まると、それは突然、その大きさの子供に相応しい重さとなった。
均衡を崩して蹌踉けそうになる朔殿を、童ごと腕で抱き留めた。
女性がもてぬ重さではないが、神泉苑から京邸まではかなりの距離がある。
それを運ばせるのは、朔殿の細腕ではかなり酷だ。
「邸までは、僕が抱えていきましょうか」
「いいえ……いいえ、このまま抱かせてください。
弁慶殿……あなたのおっしゃる通りでした。
……姿形や、想い出を愛したわけではないのでしたわ。
この腕の中にこの人がいる、それ以上の幸福は望むべくもありません」
朔殿は、いまだぽろぽろと涙をこぼしながらも、二度と離すまいと深く黒龍を抱きしめた。
今、愛するものへと三度(みたび)まみえることが叶ったた彼女は、
ようやく長い哀しみから解き放たれ、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
人の形をとったそれを懐に抱き込み、朔殿はいつまでも美しい涙を流し続けていた。
――僕の罪は、変わらない。
けれど、僕の言葉が、朔殿の幸せの一歩を踏み出す勇気と変わってくれたのだとしたら……。
――僕は今初めて、彼女にほんの少しだけ償えたような、そんな気がした。
梶原家の京邸へと二人を連れ帰ると、慌ただしく僕は邸を後にする。
「――それでは朔殿。今度こそ、お別れです。
また、いずれどこかで会える日まで、お元気で」
「弁慶殿……、どちらへか行かれるのですか?」
朔殿の問いに、微笑み返すことで返答とした。
――罪を背負って生きよと、貴女が言ったから。
捨てる覚悟をしながらなお、二度も朔殿に拾われた命。
僕の命続く限り、世に贖い続けること――それを以て、貴女への償いといたしましょう。
それは朔殿には告げない。
僕のこれからに、彼女は責任を負うことはないのだから。
黒龍再臨をこの目で見届けた今、心残りはなかった。
――朔殿は、きっと幸せになれる。
贖いのために殺されに来て、逆に僕が心を救われたなどと、まるで笑い話のようだ。
行きがけには想像もしなかった程の心の軽さで、空を見上げる。
京の夜空に浮かぶ望月は、皓々と僕の行き先を照らし出していた。
100のお題No.83「漂着」でした。
朔のあとに弁慶をクリアすると、朔に謝らせたくて謝らせたくて仕方なくて(笑)
――で、謝らせてみました。(単純っ!)
ちょっくら弁慶→朔ちっくにはなったけどね!(笑)さすがタラシの朱雀!
書いてて自分で突っ込んじゃったこと。
『僕が景時に殺されますよ』あんた殺されるために来たんだろ……(笑)
いやまぁ、裏切りますよと事前宣言する人ですけどね、弁ちゃんは!(弁ちゃんゆーな)