天使の涙
初対面の印象はおとなしい少女。僕の苦手な「女性」そのもの。
それが間違いだってことはすぐにわかった。
彼女は世の女性たちのようにすぐに涙を武器にしたりしない。
僕の皮肉にも、熟考し、しっかりとした返答を返してくる。
おとなしいだけではなく、譲れないところはなにがあっても譲らない。
「天使」の名を持つ少女、アンジェリーク。
その名のように穢れない魂と、真実の強さを持った少女。
長いようで短い試験の間で、彼女の涙を見たのは一度だけ。
ライバルで親友のレイチェルが失恋したとき、
ともに抱き合い、彼女のために泣いたとき。
自分のためではなく、他人のために、真実泣くことのできる少女。
偶然その場面を見たときから、僕の中で何かが変わった。
「…選択肢は次のとおりさ。女王になる、もしくは、二人で一緒に生きていく。
僕は後者を選択した。君はどちらの未来を選択する?」
栗色の髪の少女が僕と同じ道を選んだ瞬間、少女は僕の生徒から可愛い恋人になった。
「こんにちはー!アンジェいるー?」
蜂蜜色の肌の少女が学芸館の一室を元気良く訪ねてきた。
アンジェリークが女王候補を降りたとき、女王になるのが決定した少女は、
新宇宙を完成させるため、今でも育成に励んでいる。
必然的に安定度をあげるため、学芸館に通ってくる。
まだ教官の仕事もお役御免というわけにはいかないわけだ。
それにしても、僕の部屋にきて最初に呼ぶ名が部屋の主ではないのは
彼女の親友を横取りしてしまった僕へのささやかな皮肉だろうか。
「あら、レイチェルいらっしゃい」
当然のように僕の恋人が訪問者に返事を返す。
アンジェリークは1日の大半を僕の部屋ですごしている。
レイチェルもほとんど彼女に会いにきているようなものだ。
「今日の用事は?」
尋ねた僕にレイチェルは満面の笑みを浮かべたかと思うと、
「今日はデートのお誘い。アンジェ借りていきますねー!」
言うが早いか、アンジェリークの腕をつかんで部屋から出ていってしまった。
止める暇もあらばこそ。
後には呆然とした僕だけが取り残された。
「またさらわれたんですか?」
隣の執務室のティムカが苦笑しながら顔を出した。
「入室を許可した覚えは無いよ」
自分でも不機嫌とわかる声で棘のある台詞を吐く。
そんな台詞には慣れてしまったティムカは肩をすくめて話を続ける。
「いつもはセイランさんが席をはずした時を狙ってきてらしたのに」
「ティムカ、もしかして、今までもアンジェが連れて行かれるのを
見て見ぬ振りをしてたのかい?」
「僕は学芸館から去っていく二人を窓から見かけてただけですから。
そうそう、僕はこれを届けに来たんです。新宇宙のデータ。
この分だと、レイチェルが女王になるのは、2週間後くらいになりそうですね」
2週間後。その頃には教官の役目も終わりになるわけか。
アンジェリークを連れて、聖地を去る日が近づいているということだ。
それまで、レイチェルにアンジェリークをさらわれ続けるということでもあるが。
データを受け取りながら、安堵とも、落胆ともつかぬため息を吐いた。
今日1日は残り2週間のレイチェルへの対応策を考えることにしようか。
「セイラン様、怒ってらっしゃいます?」
アンジェリークが戻ってきたのはその日の夕方近くなってから。
あからさまに不機嫌になっている僕におどおどしながら尋ねてくる。
一人は嫌いじゃなかったけれど、君を見つけてからは、独りはいやだ。
…違う。君が僕の目の届かないところにいるのが嫌だ。
いつでも君の存在をこの目で確かめていたい。
そう思っているけれど、素直に言葉にならない。
「レイチェルだから、許してあげるよ。
僕以外の男についていったら絶対に許しはしないけどね」
「そんなことしません!」
顔を真っ赤にして力説する彼女をみていると、とても怒りが持続しやしない。
軽くアンジェリークの腕をつかむと、自分の胸に引き寄せる。
「うん、信じてるよ。でも、僕をほっといた償いはしてもらわないとね。
…今日は帰してあげない」
新宇宙の育成も順調に進み、予定通り女王就任が決まりそうだった。
レイチェルとの牽制が続く毎日。いつもどおりまた1日が過ぎていく。
そんな中、アンジェリークの様子が少しおかしいのに気づいた。
いつもの微笑が時折消えて、なにか考え込む時間が増えたようだ。
悩んでいる、といった様子ではなかったので
僕もそのことについて彼女を問いただすことはしなかった。
レイチェルとの別れが近いからだろうと考えていたから。
それが半分間違いだと気づいたのは、1週間後のこと。
アンジェリークが僕に突然、「聖地からしばらく離れる」と言い出した。
教官としての仕事がある僕は聖地を離れられない。
つまりはひとりでここからいなくなるということだ。
どこに行くのか尋ねても、理由を訊いても、
「たいした用事じゃない」「すぐに戻ってくる」と繰り返すばかり。
「女王陛下にはもう許可をいただいてあるんです。ほんとに、すぐ戻りますから」
誰が許可を出そうと関係無い。
アンジェリークが僕のそばから離れるのは耐えられない。
だが、彼女はこうと決めたら、けして翻さない。
たおやかに見えるのに、芯の強さは誰にも引けを取らない。
そんなアンジェリークだから惹かれたのだ。
結局、折れたのは僕のほう。
「いつ…戻ってくる?」
アンジェリークがいなくなって、僕は何も手につかない。
ドアを開けると、そこに彼女がいるような気がする。
無意識に彼女の姿を探してしまう自分に気づいて自嘲する。
久々に学習に来たレイチェルが呆れたようにため息をついた。
「ほんっと、火が消えたようですね。
いつもの皮肉が聞けないとこっちが調子狂っちゃう。
アンジェがいないんじゃ私も寂しいけど。
セイラン様が落ち込んでてどうするんですか?
アンジェ、セイラン様のために出かけたんですよー?」
「え!?」
突然そんな言葉が聞こえて僕ははじかれたようにレイチェルを振りかえった。
「どういうこと!?」
レイチェルの肩をつかんで問い詰める。
「やだ、アンジェったら、本人に何も言わずに行ったわけー?
まあ、あの子らしいっちゃ、らしいけど…。
でも、理由のわからないセイラン様もかなり鈍いかも…」
そんなことを聴きたいわけじゃない。
彼女はアンジェリークの行き先を知っているのか。
何故、僕にも言わなかったことを彼女が知っているのか。
僕のそんな焦燥感が伝わったのか、レイチェルは意地悪く笑みを浮かべる。
「教えてあげてもいいですけど。条件がありますよー?」
「足元見るね。アンジェをくれってこと以外だったらなんでもするよ」
「うーん、ほとんど同じことかもしれないですけど?」
レイチェルの口からでた「条件」は、
僕にとってはある意味、頭の痛くなるものではあった。
「いいよ。その条件、飲むから」
「やったあ!じゃあ、教えてあげます。実はね…」
「レイチェル、悪いけど、今日の学習は中断するよ」
レイチェルは心得たように微笑みとウインクを返す。
「アンジェのこと、今すぐ追いかけたいんでしょ?行ってきていいですよ。
明日あたり、育成終わるんです。もう学芸館来る必要無いし、
つまり、教官の仕事は終わり!」
感謝の言葉を残して、僕は学芸館を飛び出した。
数時間後、僕はある惑星に立っていた。
1年中霧のかかる惑星。僕の故郷。
生まれた場所も生んだ人もわからない僕の
人生の最初の記憶のある惑星。
ただそれだけだった。これまでは。
僕はある場所へと足を向けた。
僕を育てた人の屋敷。今では誰も住んでいない。
その人が亡くなってから、訪ねることもしなくなった、古めかしい屋敷。
その屋敷の裏手にある小さな墓標の前に、
僕の見慣れた、栗色の髪の少女が祈りを捧げていた。
その姿は絵画のようで、一瞬、声をかけることをためらったが、
息をひとつ吐くと、呼び慣れた名前をささやいた。
「アンジェリーク」
彼女は虚をつかれたように振りかえると、慌てて立ち上がった。
「セ、セイラン様…!」
僕は、困惑しているアンジェリークの横に立つと、
墓標に一輪、花を供えて、短い黙祷を捧げた。
「セイラン様、どうしてここに…」
黙祷の間、身動きひとつしなかった彼女が混乱しながらそんな台詞を紡いだ。
「レイチェルから聞いた。アンジェは霧の惑星に行ったってね。
さて、説明してもらえるかな。何しに来たのか。なんで僕に何も言わなかったのか」
「レイチェルから…。それじゃ、全部お聞きになったんじゃないんですか?」
アンジェリークは頬を紅く染めて、顔をそむける。
「いや。彼女が話したのは君がこの屋敷に行きたがってたということだけ。
理由は君の口から直接聞きたい。
それまで誰から何を言われても信じない。だから聞いてない」
しばらく沈黙していたアンジェリークは
観念したようにため息をつくと、言葉を紡ぎだした。
「セイラン様に話すと、そんな必要無いって言われるかもって思ったんです。
でも、どうしても来たくて、だからレイチェルに相談して、
このお屋敷の場所調べてもらって…」
「今日は…セイラン様の誕生日だから…だから、ここに来たかったんです」
誕生日…?自分でもすっかり忘れていた。
笑わないでくださいね、と前置きして、アンジェリークは言葉を続けた。
「私の一番大切な人が生を受けた日です。
生まれてきてありがとうってことは毎日、直接伝えてます。
でも、セイラン様のお母様が今日という日にセイラン様を産んでくださったから、
この惑星で生きてくださったから、
そして、このお屋敷の方がセイラン様を育ててくださったから、
私はセイラン様と出会えたんです。
だから、今日ここに来て、そのことに感謝を捧げたかったんです」
誕生日は、母なる存在に感謝を捧げる日。
そんな考え方、したことはなかった。
まったく…。ほんとに君は天使だね。
僕の心をその穢れを知らない微笑で奪っていく。
そう、君を好きになったきっかけは、
その偽りない優しさを知ったからだったね。
君への愛しさは際限を知らない。
胸の奥と瞼の熱さを自覚した途端、
衝動的にアンジェリークを抱きしめた僕は、
奪うように唇を合わせた。
驚きながらもアンジェリークは、ゆっくりと僕を抱き返してくる。
どのくらいそうしていたのか。
僕の腕の中でアンジェリークが身じろぎをする。
身体を離すと、先刻よりも頬を紅く染めて、僕に尋ねてくる。
「勝手なことして怒ってます?セイラン様」
「怒る?どうして?僕はとても嬉しいのに」
そうだね。顔も知らない親にすら、今は感謝をしたくなる。
ああ、別の人間に生まれ変われると言われたって、ごめんだね。
君がいない人生なんて、何の意味も無いからさ。
「最後の最後までレイチェルには迷惑かけちゃったな」
苦笑しながらアンジェリークは親友の名前を口にした。
僕のそばで他の人間の名前をだされたのはちょっと複雑だったけど、
育成が終わりに近づき、やはり寂しさを感じていたのだろう。
一つ年下の親友との別れを惜しむアンジェリークに
僕はレイチェルがだした「条件」を教えてあげることにした。
「レイチェルとの縁は切れそうに無いよ、アンジェ。
彼女は、君を補佐官にして新宇宙に連れていきたいそうだ。
もちろん、僕も一緒にね。
まだ僕と、アンジェの争奪戦を続けたいらしい」
その言葉を聞いたアンジェリークは、とても幸せそうだった。
嬉し涙を浮かべる彼女はとても美しい。
ほんとはこの惑星に、二人で戻ってきたかったけど。
アンジェリークが幸せならば、それでいい。
君の涙を見るのは2回目だ。
やっぱり悲しみの涙より、幸せな涙の方が綺麗だよ。
そして、今の涙は僕だけのものだ。
もちろん、これからもね。
君が涙を流すのは幸せなときだけだ。
僕が悲しみの涙なんか流させやしないからね。
そして、お互いの誕生日には、二人で祈りを捧げよう。
僕らを出会わせてくれたすべての存在に感謝を捧げよう。
新たな希望に満ちる宇宙から、
僕らの母なる宇宙へ向けて。
このひとときに出会えた二人のために。
これからも寄り添い歩む二人のために…。
fin.
藤之が初めて書いた創作でした。今読み返すと結構恥ずかしいものがありますね。
誕生日の意味のくだりは、藤之があるとき耳にして、柄にもなく感動していつか誰かに伝えられたら、と思ったのです。
セイランは自分の境遇を不幸に思ったことはないでしょうけど、まったくの無視もできなかったと思うので、そういう意味では適役でした。
予定ではセイランとアンジェしか出さないはずだったのですが、いつの間にやらレイチェルがでばってます。