旅立ちの夜に



男になりたいとか、女になりたいとか、特に強く願ったことなんて、なかった。

見せ物小屋生活の幼い頃は、そんなことを考えられる状況じゃなかったし、
先生に拾われてからは、そんなことを気にしている暇がないほど家事で忙しかった。

でも、ひょっとしたら女になるのかな、ってちょっと思った事はあったよ。
先生だけを見て、先生のために働いて、先生について行く事が全てで、
あのころの俺の世界は……先生だけで出来ていたから。


……けど、さ。


だけどそんな俺の目の前にお前はあらわれて。
先生のためにとしたことが切っ掛けで、魔法院に居座ることになっちゃって。
正直、最初のうちは本気で邪魔だって思ってた。
あ、ほんとうに、最初のうちだけだってば。



最初は穏当とは言い難い関係だったっけ。
可愛い顔に似合わないキツイ物言いに、歳不相応なまでに辛辣な言葉。
口を開いたら飛び出す毒舌の数々に、俺もムキになって言い返すのが日常風景。


でも思い出してみれば、喧嘩しても後を引いたことは数えるほどしかなかったな。

だって、街のやつらみたいに聞く耳もたない、とかじゃなかったし。
騎士院の鼻持ちならない連中みたいにバカにもしなかったし。

俺の言葉を真っ向から受けとめて、その上で言い返してくれるから。

――それが、なんだか嬉しくて。なんだか心地よくて。
お前と喧嘩するのが、楽しかった……のかな。


バカみたい?…うん、そうかもね。
だけどあの頃の俺にそういう相手って、お前が来るまで……ほんとにいなかったから。


だんだんと、『あいつがいるのも悪くはないよな』なんて思うようになっててさ。
そしていつのまにやら魔法院にすっかり馴染んでしまって。
振り返ったら、そこにいて。

――はじめからそこにいたように、当たり前の存在になって。


そのときの俺の世界は、まだ先生が大きな比重を占めていたと思う。
だけど、それでも確かに、俺の世界には先生以外の存在が光り始めてたんだ。




………あれはいつ頃気付いたんだろうな。
アクアがひどく疲れた様子で帰って来るときには、決まって先生の機嫌がよくて。
それが幾度も繰り返されるたびに、アクアの衰弱ぶりは加速度的に増していって。
気付いたとたん俺の胸にもやもやとしたものが広がって、それが凄く嫌な気分だった。

このままじゃ、だめだ。

とにかく一番に思ったのはそれだったよ。

先生の機嫌がいいことよりも、研究に先生の望む成果が得られてることよりも、
そのときの俺は、お前の元気な姿が見られないことのほうが気に掛かったんだ。


先生は、アクアの衰弱に気付いていない。
あるいは、気付いていても研究をやめることをしない。

――なら、アクアを守れるのは、俺しかいない。

アクアの一番近くにいて、アクアのことを一番見てきた俺しか。

守らなくちゃ、って。アクアを守る力がほしいって、強く願った。


――今なら、はっきりお前が好きって言えるけど。
そのときのそれが、恋であったのかどうか、俺にははっきりしない。

……でも、アクアのために自分の全てを懸けたっていいって思った。

全てを捧げるほどの強い想いをそう呼ぶのなら――きっと俺はもう恋をしてたんだろう。



先生のやっていることが正しくないと思っていても、
それでも先生が俺にとって大事な人であるのは変わらない。
だから、止めたんだ。頼んだんだ。
今なら、引き返せるはずだから。お願いだから、これ以上過ちを犯すのはやめてって。
もう風が、水が、火が、土が――世界全てが先生を責めるのを聞きたくはないんだと。
精一杯の、真剣な願いをこめて。


……だけど、そんなときでも先生は研究者でさ。
うん、お前もいたよな。そんとき。
先生は、俺の言葉より、俺が分化したことの方を気にかけたんだ。

……俺はあれほどどうしようもない無力感を味わったことってなかったよ。


……ああ、先生は俺自身を見てはいなかったのかなって。
俺の言葉は、先生の心を動かす事はできなかったんだ。
ずっとずっと、傍にいたはずなのに。

……アクアといた時間より、ずっと長い間先生の事を慕っていたのにね。



…なぁ、分化したことは、そんなに特別なことだったかな。
そりゃ、これで男にならなかったら困るけどさ。
俺にとっては、アクアを守りたくて……アクアを好きになって、
その結果について回ったことでしかないのに。


…………………。

………ごめん。答えにくいことだったよな。いーよ答えなくて。
つーか照れくさいから忘れろ今すぐ。





……昔の俺にとっては、先生が世界の全てだった。
アクアを大切に思うようになっても、俺の世界の多くを先生が形作っていた。
――でも、先生の世界にとっての俺は、ほんのひとつのピースでしかなかった。

とても哀しかったけど、不思議とショックでは…なかったな。
……ほんとうは、俺もなんとはなしに気付いていたんだと思う。

けど、やっぱり過ちは止めなくちゃいけないという思いは残ったよ。
それでも俺にとって先生は、大事な人だったし、
――なにより、そのままではアクアが死んでしまう。
アクアを死なせてしまったら、今度こそ俺の世界は崩壊する。

……それが、嫌と言うほどわかっていたから。


もう、言葉では止まらない。止まってくれない。
それを痛いほど思い知ってしまった。
だから、実力行使に出た。



――本当の事を言うとね。
あの部屋で大立ち回りを演じている間、
先生の過ちがどうとか、世界の悲鳴がどうとか……
そんなことは頭の中から吹っ飛んでいたんだ。

ただただ……お前を助けたくて……。

お前が俺の呼びかけに、力弱く、でも確かに返事を返してくれたとき、
ようやく、俺の世界は色を取り戻して、回り始めた。

俺のしたことを断罪されても、決して後悔はしないって、
もちろん、その覚悟でやったことだけど。

お前の瞳が俺を見て、お前の声が俺の名前を呼んでくれる。
それが、涙が出るほど嬉しかった。
ほんとうに、それくらい嬉しかったんだ。




俺の世界を作ったのは先生だけど、
俺の世界に色を添えてくれたのは、お前だから。
今の、俺の世界を支えているのは、お前だから。

今でも、時々怖いよ。
この手を離したら、俺の世界から色彩が消えていきそうで。
全てが凍結して、死の世界になりそうで。

凍り付いたモノクロの俺の世界を指で弾けば、粉々になってパラパラと散っていく。
そんな情景が目に浮かぶよ。



……ちょっと、悔しい。

何がって……俺ばっかり、お前に振り回されてること。
俺ばっかりお前が好きで、俺ばっかりお前に依存しててさ。
……お前がいなくちゃ、俺、なんにも出来ないヤツに成り下がりそうなんだもん。




………え…………あっ。


………うん……ごめん。言い方悪かった。
お前の気持ちを信じてないわけじゃない。それは絶対。
ホントだって。
……そうじゃなけりゃ、つれてきてないよ。
苦労させるって分かってるのにさ。


……うん。

お前が傍にいてくれるのが、すっごく嬉しい。
苦労かけるの分かってても幸せな自分がちょっと恨めしいくらい。
お前のための苦労なんて苦にならないけど、お前は……

……え?

……あ、そうか。
…うん、そうだよな。おんなじだよな。


……ありがと。



なぁ、もう少しだけ手を握っていても、いい?

目を覚ましたときお前がいなかったりしたら、俺の世界なんて簡単に凍り付いちまう。

え?……やっぱ子供っぽいかな。

……いいよ、子供でも。
お前が傍にいてくれるなら。いくらガキ扱いされたっていいよ。

だから、もう少しだけ。あとほんの少しだけ。
お前がここにいるって、俺の傍にいるんだって、実感がほしい。

俺の世界をあっためてくれるのは、お前だけなんだ。



明日からは、お前のことを守れる男になるから。
俺が、お前の世界を守るから。

うん……だから今夜だけ。





………おやすみ。

100のお題、�bU5、「世界」でした。
ユニシス×アクアED、アロランディアを旅立つ日の夜。(イメージとしては船の寝室)
ユニアクで会話調ですがアクア出てきません。しかも内容的にはユニアクなんだかヨハユニなんだか(笑)
ユニシスの世界は、ED後であっても絶対ヨハンを抜きには語れないと思うのですよ。ヒロインが大好きでも、ヨハンもやっぱり大事な人。ユニシスってそーゆー子よね。
ちょっと今回の話ではアクアに対する依存性が高い子になっちゃいましたが、本質が純粋であるだけに、そういう面も否定出来ないのではないかなと、あえてそのままにしました。