逡巡
澄み切った朝の空気の中、
キィン、キィンと、剣の打ち合う音が響いている。
剣を合わせているのは、
赤錆色の髪をした壮年の男性と、紅蓮の髪をした青年。
──キィン!
一際高い音が響いたと思うと、片方の剣が宙を舞い、
ざくっと大地に突き刺さる。
剣を喉元に突きつけられる。
「勝負あり、だな」
「…参りました」
服の埃を叩きながら、ヴィクトールはオスカーに飛ばされた剣を大地から引き抜く。
オスカーは自分の剣を鞘におさめながら、ヴィクトールに問い掛けた。
「…何かあったんじゃないのか、いつもより剣の冴えが悪かったぞ」
ヴィクトールは苦笑を零すばかり。
「何でもないですよ。ちょっとばかり疲れ気味なんでしょう。
…女王試験も佳境に入って、仕事も忙しいですし」
「…ならいいが。どちらにしろ、あまり無理はしてくれるなよ」
「わかっています」
「…ま、軍人として身体も精神も鍛えあげてるお前には愚問だったな。
じゃ、俺はもう失礼する。また今度手合わせしたいものだ。
今度はベストの状態のお前とな」
「ええ、楽しみにしてますよ」
オスカーの後ろ姿を見送って、その姿が見えなくなる頃、
ヴィクトールはそっと溜め息をついた。
晴れ渡った聖地の空を見上げる。
「…女王試験も…終わりか」
その瞳に映るのは空の青さか、それとも……?
王立研究院から、二人の少女がお喋りをしながら出てきた。
蜂蜜色の肌の少女は、育成データ表に目を落としながら、
深々と溜め息をついてぼやいた。
「あーあ。悔しいな〜。
アンジェにこぉ〜んなに差をつけられるなんて、
予想外だったよ」
「レイチェルったら、中盤で手を抜いたでしょ。
あの頃は私の方が負けてたから、油断したわね?
私だって頑張ったんだから」
「はー…。失敗したなぁ〜。
…ま、いいや。私は補佐官として頑張るよ。
今度は手を抜かないんだから。
あなたに私の実力を再認識させるまで、絶対離れてあげない!」
アンジェリークは親友のそんな物言いが可笑しかったのか、くすくすと笑う。
「レイチェル、気が早いわよ。
…まだ試験は終わってないんだから。それに、私は女王には…」
「終わってないったって、あと惑星二つじゃない。
それに、教官方たちは、もう身の回りの整理をぼちぼち始めてたよ。
私たち二人とも、もう安定度は充分だから、って」
その言葉に、アンジェリークの歩みが止まる。
その表情になにか思いつめたものを感じ取ったレイチェルは、
恐る恐るアンジェリークに問い掛けた。
「アンジェ…あなたひょっとして…」
「…ごめんレイチェル。私、ちょっと…」
アンジェリークは身を翻して、学芸館のほうへと走っていった。
レイチェルはその後ろ姿を見送ると、頭をぽりぽり掻いて、深い溜め息を吐いた。
「…あ〜あ、今の今まで気づいてやれなかったなんて…。
ほんっと、私、気ぃ抜いてたんだなぁ…」
「ヴィクトール様!」
学芸館の一室の扉を勢いよく開け放ったアンジェリークは、
挨拶の言葉も抜きに、ヴィクトールを問い詰めた。
「聖地を去る支度始めてるって…本当なんですね?
私に何も言わずに!どうしてですか!?
ヴィクトール様、言ってくれたじゃないですか!
私のことが好きだって!あれは…嘘だったんですか!?」
息を荒げて言い募るアンジェリークを直視出来ず、
ヴィクトールは視線を逸らした。
「…お前には輝かしい道が開けている。
俺なんかと一緒にいるより、ずっと素晴らしい道がな…。
俺は…その道を歩むお前を、邪魔してはいけないと思うんだ」
「私は…女王には…」
ヴィクトールはアンジェリークから視線を逸らしたまま、ゆっくりと頭を振った。
「…俺は…自信が無い。お前を幸せにしてやれるだけの、力も無い。
だから…これが一番いい選択だと…」
「ヴィクトール様の馬鹿!!」
突然のアンジェリークの叫び声に言葉を遮られたヴィクトールは、
はっとアンジェリークの方を見返した。
途端、反応をする間もなくアンジェリークは部屋から駆け出していってしまった。
ヴィクトールは、追いかけようかと一瞬思いはしたものの、
溜め息を吐き、頭を横に振った。
「…これでいいんだ。これで…」
「なるほどな」
突然扉の影から聞こえた声に、ヴィクトールは驚愕の表情を見せる。
扉の影から現れたのは、炎の守護聖オスカー。
オスカーは扉に腕をついて、ヴィクトールを見据えた。
「お前の剣の冴えが鈍ってた理由はこれか。
どういう結論を出そうと俺の関与するところではないとは思うが、
お嬢ちゃんを泣かせるのはいただけないな」
「オスカー様…。…いえ…これでいいんですよ。
彼女は強い少女だ。重責にも耐えて、きっと素晴らしい女王になる。
俺は…彼女の足を引っ張る存在にはなりたくないんです」
オスカーは無言でヴィクトールを睨み付けていたが、
不意にヴィクトールに剣を放り投げる。
その剣を咄嗟に受け止めたヴィクトールは、驚きながらも、オスカーを見返す。
「…学芸館の裏で、朝の手合わせの続きといこう」
そう言うとオスカーは背を向けて歩き出した。
ヴィクトールはしばらく手の中の剣を見つめていたが、
オスカーの後に続くように部屋を後にした。
朝よりも強い鍔迫り合いの音が響く。
「どうした!防戦一方じゃ勝負はつかないぜ!」
「…くっ…!」
「はぁっ!」
再びヴィクトールは剣を弾かれた。
草の上を転がるように飛ばされた剣は裏庭の樹の幹に当たってようやく止まる。
オスカーは剣を鞘に収めながら、ヴィクトールを見据える。
ヴィクトールはオスカーからも剣からも視線を逸らしていた。
「…前言撤回だな。『身体も精神も鍛え上げてる』…?
冗談じゃない。今のお前…どんどん弱くなってるぜ」
「…俺の修練が足りないということでしょう」
オスカーは深く溜め息を吐いた。
「そうじゃない。ったく、気づかないのか?
…お前の表情。以前のものに戻ってしまってるんだ」
「え…?」
「聖地に来たばかりのお前は、何処か険しさを孕んでいるというか、
『壁』を感じさせる表情だった。
それが…女王候補のお嬢ちゃん達と関わるうちに、
落ち着きを取り戻した、いい表情をするようになっていたんだが…、
…今のお前は、後戻りしちまってるぜ」
「…それは…」
「お前も本当は分かってるんだろ、ヴィクトール。
お前の剣は、あのお嬢ちゃんを護る為に在るべきなんだってな。
護るものがある者は、強くなる。
だが護るべきものを失った者は…限りなく無力に近くなるんだぜ」
ヴィクトールは漸く視線をオスカーへと向けた。
何かを言い出そうと口を開けたが、すぐに閉ざし、首を横に振った。
「…ですが、もうアンジェリークは、俺の元には戻ってきませんよ。
怒らせた…いや、呆れさせたんですから。
愛想を尽かすには…充分でしょう」
「どうかな。…後ろ、振り向いてみろ」
「…え!?」
言われて振り向いた先には、…アンジェリークがいた。
誰かを探すようにキョロキョロしていたが、
ヴィクトールを視界に捕らえたとたん、ヴィクトールに向かって駈けてきた。
「…ア、アンジェリーク!!お前、何故ここに…」
「ヴィクトール様!!」
アンジェリークは息を切らしてヴィクトールの傍に駆け寄ると、笑顔を向けた。
「…私、正式に女王候補降りてきました!
今までずっと踏ん切りがつかないでいたんです。
でもヴィクトール様に言われた言葉で…決心がつきました」
「な…っ!?」
「なにもおっしゃらないでください。もう決めたことです。
ヴィクトール様は私を幸せにする自信がないと言われましたけど…、
やっぱり私の幸せは、ヴィクトール様の傍にしかないんです。
このまま女王になったとしても、己の幸せを捨てた女王に、
宇宙を幸福へ導ける道理がありませんでしょう?
だから…私はヴィクトール様と生きる道を選びます」
「アンジェリーク…。お前、本当にそれでいいのか?
本当に…俺でいいのか?」
「ヴィクトール様じゃないとだめなんです」
迷うことなく言い切ったアンジェリークの笑顔は、
本当に晴れ晴れとしていた。
「それじゃ、オスカー様、お邪魔しました。
どうぞお手合わせの続きをなさって下さい」
ぺこっとお辞儀をすると、アンジェリークは軽い足取りで駈けていった。
が、途中で立ち止まると、くるっと向き直って言った。
「今度私を置いていこうと思っても無駄ですからね、
ヴィクトール様!宇宙の果てまで追っかけて、
絶対見つけ出して、押し掛け女房になっちゃいますから!」
大きく手を振りながら、楽しそうにそう言うと、
今度こそアンジェリークは駈け去った。
「…本当にあのお嬢ちゃんは強い少女だな、ヴィクトール。
周りの流れに惑わされず、己の本当の心を知る術を心得ている」
「ええ…。俺なんかじゃ、一生敵いません」
ヴィクトールは、今日何度目かの苦笑を零した。
しかし、それはもう自嘲の笑みではなかった。
「いい表情だ。またその表情が見られて、正直嬉しいぜ」
オスカーは剣を軽く挙げてにっと笑った。
「…さて、ヴィクトール。お嬢ちゃんも勧めてくれたことだし、
手合わせの続きといきたいもんだな。
今度こそ、本当の実力の出せる、今のお前とな」
「ええ!今度はけして負けませんとも!」
3度目の鍔迫り合いの音は、その日一番澄んだ響きがしていた。
それは迷いの晴れた二人の心のように澱みなく──
fin.
初ヴィク様創作です。でもヴィク様情けないね。どうして藤之が書くとみんな情けなくなるの?
ま、藤之にとってヴィクトールはストイックの代名詞みたいなものですから…。許して…ね?
今回のお気に入りはオスカーとの剣の手合わせシーン。
剣と剣で語り合う男達!くうっ、かっこいいぜ!(自分で言ってどうする)
実はこれ、前からやりたかったんです。そのときはオスカーとランディでやりたかったんですが、ヴィクトールは想いが内に向かってしまう人だと思ったんで、表現方法のひとつとして彼に剣を持たせてみました。
語り合う相手にオスカーを選んだのは消去法です。っていうか、剣を持った経験がある人ってならともかく、日課にまでしてるのってランディとオスカーくらいしかいませんから。
で、18のランディが31のヴィクトールに人生説くより、オスカーのほうが自然だろうと思って…。
でも、この二人、それでも9歳の歳の差があるんだよね…。オスカー、多分あんたの言動が老けてるんだ。