白の館
ちりちりと、灯台の火が油を吸って燃える音が響いていた。
遠くに、護摩を焚き祈祷する音が、微かに聞こえる。
灯台の明かりに浮かびあがるのは、一面の白。
なにもかもが、白に統一されている。
御几帳も、屏風も、身の周りの小物も、少女の身を包む単衣まで。
部屋を唯一色に染め上げるそれが、現実から切り離されたような錯覚を覚えさせる。
友雅の腕の中で彼女は呼吸を荒くし、額には汗を浮かべ、日焼けを知らぬ白い肌はさらに色を失っている。
加えて、彼女の身をつつむ白一色の単衣が、よりいっそう彼女を白くみせる。
今にも白に溶けて儚くなってしまいそうで、離すまいとばかりに友雅は細く華奢な身体を抱きしめた。
少女は荒い呼吸の狭間に眉根をよせ、突然身を襲う痛みに息を詰める。
時折やってくる苦痛に苦悶の表情を浮かべながらも、痛みがひととき去るたびに、心配げに自分の顔を覗き込む男の心を軽くしようと懸命に笑顔を浮かべる。
けれど、大丈夫、心配するなといった言の葉を幾重にも連ねても、心にずっしりと圧し掛かる重みを拭うことは難しい。
心を慮って彼女が笑顔を浮かべるたびに、心は切なく締め付けられる。
力をこめれば折れそうなほどに華奢な身体のどこに、これほどの苦痛に耐える力があるのだろうか。
言葉の合間に呼吸を継ぐのも苦しそうに、気丈に浮かべるその笑顔は、不思議なほどに晴れやかで。
「ああ……この身が代わって差し上げられたら、どんなにか……!」
幾度思ったかしれないそれを口にするたびに、彼女は笑うのだ。
「……こうして……抱きしめて……くださる、だけで……。
痛みも……苦しみも……忘れる、ほどに……藤は、幸せですわ……」
「そこなでかい図体した旦那1名。
この世の終わりみたいな顔してないでください」
ばたんと蔀が勢いよく開かれて、普段にもまして慌ただしく動いていた女性が、声音も低く言い放った。
白一色の装束にさらにたすき掛けをして、存在感もいやましに正面に仁王立ちだ。
「怪我でもなければ病気でもないんですから、瘴気みたいな空気背負って悲痛な顔するのやめてください」
「いや、しかしだね、あかね殿……」
「しかしもかかしもありません!だいたい誰のせいだと思ってるんですか」
ずずいっと腰に手をあてた状態で詰め寄られ、友雅はうっとつまって後ずさる。
「藤姫ちゃんの苦痛を思うなら、とっとと身二つになれるようお祈りでも捧げててください!
はいはいはい、藤姫ちゃんのことは私たちにまかせて、外に出てて!」
背中をぐいぐいと押されて、部屋の外へと押し出される。
「あかね、流石にその言い方は冷たくないかしら。
私たちのいた時代ですら、死亡をゼロには抑えられないものよ。
心配するのは当り前じゃない?」
清潔な布をいくつも抱えて、黒髪の女性がやんわりと言葉を添えた。
やはり彼女も白一色の装束に身を包み、普段は背に流すぬばたまの黒髪を、項のあたりで束ねている。
「だってねえ、蘭。毎日毎日この調子なのよ!」
「いよいよなんだから、今日ばかりは大目にみてあげたら?
それに心配するのは、藤姫が大事にされてる証拠でしょ」
「うー……」
納得のし切れぬ顔で、それでも矛先を収めたあかねは、藤姫の世話をするべく部屋へと入っていく。
部屋を追い出され、所在なげに佇む友雅に、蘭は困ったような笑顔で言い添えた。
「まだまだかかりますよ。お部屋でおまちになっててください。これからが長丁場ですから。
あかねのときでも、半日がかりだったわ。藤姫はたぶんもっとかかるんじゃないかしら。
今からそこにいたんじゃ、友雅さんのほうが参ってしまいますよ?」
「……そんなにかかるのか」
「いつの時代も繰り返されてきたことですよ。
心配しないで、私たちに任せておいてくださいな」
「あ―――蘭殿」
蔀が閉じられる間際、彼女を呼び止めて、一言二言言葉を交わし、袂からそれを差し出した。
彼女はこともなげに頷いて、それを受け取った。
そして今度こそぱたんと蔀が閉じられて、部屋は外界から隔離される。
あかねと蘭が、伏せる藤姫の脇につき、その顔を覗き込む。
「藤姫、大丈夫?」
「神子様……」
もう神子としてあったのは幾年も前のことなのに、お互いいまだに気が緩むと昔の呼称が口に出てしまう。
あかねも蘭も、すでに少女と呼べる歳を過ぎ、成熟した女性、と呼ぶにふさわしい風貌になっている。
対する藤姫はまだ二十にもならず、いまだ少女の面影を色濃く残していた。
けれど、母にならんとするその姿には、少女らしさ以外のものも滲み出ていて、同性のふたりでも時折ハッとするほど美しい。
「あかね、どう?」
「うーん、まだちょっと長い」
かつてこの世界に来た折に身につけていた腕時計と藤姫とを交互に見やりながら、藤姫の痛みの感覚を計っている。
「永泉さんも泰明さんも祈祷しに来てくださってるし、絶対大丈夫だから、安心してね」
私たちもついてるし!と力強く請け負うかつての神子たちの笑顔が、初めてのことに立ち向かう少女にはなにより心強い。
遠くに聞こえる加持祈祷の音は、父である左大臣の心づかいもあるが彼女と親しいものの思いの表れだ。
「わたくしなどのために……もったいのうございます」
やややつれた風貌にそれでも笑顔を浮かべる藤姫に、蘭がすっと何かを差し出した。
藤姫がそれを見下ろすと、そこにあるのは、見慣れた扇。
ふわりと香る侍従の香りが、持ち主を雄弁に語る。
「―――そばに付いていてさしあげることは叶わないから、せめてものよすがにって」
そっとそれを受取って、藤姫は愛おしげに頬に擦り寄せた。
むー、と頬を膨らませるあかねに、蘭はくすくすと笑う。
「愛しの藤姫ちゃんかっさらってったからって、友雅さんに風当たり強くするの、やめたら?
女の一番はあかね、男の一番は友雅さん、それでいいじゃないの」
「……理不尽なこと言ったりだけはしてないわよ」
「お兄ちゃんも、苦労が絶えないわねー…」
恋敵は藤姫か、としみじみ呟く蘭に、あかねがぺしりとごく軽く頭をはたいた。
藤姫は、暫し手の中の扇をじっと見つめていたが、ややあって、自らの髪を束ねる絵元結を解いた。
「……あの……」
顔を真っ赤にして差し出すそれを、蘭は心得たように受取った。
「うん、友雅さんに渡してくるわね」
ほら不貞腐れないの、と蘭になだめられ、あかねもしぶしぶ頷いた。
「あかね様……」
「うん、なあに?」
汗を滲ませながら、伸ばしてきた手をそっと握って、あかねは藤姫の顔を覗き込む。
「昔、夢をみたことがあるんです……場所も、時も、忘れてしまいましたけれど……。
わたくしの、何代かあとの星の一族だという人たちと、いくらかのことを話した…それだけの夢ですけれど……。
もしかして……あれが本当に未来の星の一族だったのだとしたら……このお腹の子から連なる命なのでしょうか……」
「……うん、きっとそうよ。
星の一族って、未来を読んだりもできるんでしょう?
きっと、本当に未来の星の一族だったのよ。
―――ほら、無事に生まれるって、証拠がまたひとつ増えたわね?」
片目を閉じて笑うあかねに、藤姫も頷いて、その袖に縋りつく。
あの夢を見たとき、まだ自分は幼くて。
ただ、自分の先にもこの血は繋がっていくのだと知ることができただけで無邪気に喜んでいたけれど。
いつか誰かの子供を産むのだという未来はあまりに非現実的で。
長じてはいずれ義務のように殿方を通わせなければならないのかも知れないと、悲痛に覚悟を決めたこともあったけれど。
愛し、愛され、満たされて、命を育む幸せを知った今では、あの夢は、別の意味をもって輝いている。
産屋の倣いとして、白一色に統一された部屋は、目に入るものすべてが白く、いつしか心も無心になっていく。
間隔の狭まっていく痛みに時間の感覚も希薄になり、幾刻経ったかも忘れるころ、白に染めあげた部屋の中で。
小さな、けれど大きな、命の叫びが一声を上げた。
平安時代の貴族の出産は白一色で行うんだとかゆーの読んで書いてみたくなったネタ。
せっかくなので冒頭は無駄にシリアスに(笑)そしてついでに夢浮橋ネタも絡めてみたり。
藤姫が10代後半くらい?あかねは京に天真と残留し、蘭も館に滞在してて、藤姫の館はえらく賑やかなのですという裏の意味もあったり(書かなきゃわからん)。
友雅は追い出されてから天真と父親の悲哀について話すという場面があったんですが、えらくまとまりなくなったのでいっそ丸ごと削りました。