possible
「アリオス、アリオス!」
元気の良い声と足音が、小さな宿に響き渡る。
それはけして不快な騒音ではなく、律動的な音楽。
音の源泉たるアンジェリークは、アリオスのいる部屋の扉を開け、
銀髪の青年の姿を見つけると、猫のように軽やかな動きで、
嬉しそうに「ぽすっ」とアリオスに抱き着く。
「み〜つけたっ!」
正面からアンジェリークを抱きとめる形になったアリオスは、
苦笑しながらもそのまま少女の小柄な身体を抱き上げる。
「まったく、かくれんぼしてんじゃねぇんだから、
そんなに急いで走ってこなくても、俺は逃げやしねぇよ」
「ふふ、いいじゃない。別に嫌じゃないんでしょ?」
アンジェリークは極上の笑顔でアリオスを虜にする。
他のどんな時よりも、他の誰に向けるものよりも、
自分が傍にいるときのアンジェリークの笑顔が、
一番愛らしくて、一番幸せそうで。
その事実がアリオスの心を暖かく満たす。
「ほら、外はあんなにいい天気なんだもの。外にいきましょ。
約束でしょアリオス!今日は一日ずーっと一緒にいてくれるって!」
アリオスは頷くと、扉へと足を向ける。…アンジェリークを抱えたまま。
この事態に流石にアンジェリークも狼狽する。
「ア、アリオス。ねぇ…降ろして?」
「いいじゃねぇか。誰に迷惑かけるでもなし」
「も〜っ!私が恥ずかしいのっ!」
アリオスの片頬をむに〜っと抓って『怒ってるぞ』と意思表示をする。
アリオスは笑いながらアンジェリークを床に降ろす。
「んもう、アリオスったら!いいかげんにしてよね!」
アンジェリークは顔を紅く染めてそっぽを向くが、
言葉ほどには怒っていないのは一目瞭然で、
その表情がまた可愛らしいものだから、余計にからかいたくなる。
「ああ悪かった悪かった。…そんなに膨れっ面すんなって」
アリオスはアンジェリークの頬を両手で挟んで、
自分の顔の傍に少女の顔を向ける。
その翡翠色の双眸に、アンジェリークを映す。
「〜〜っ!!!アッ、アリオス〜〜っ!!!」
至近距離でアリオスと視線をあわせてしまったアンジェリークは、
先刻以上に顔を真っ赤に染めて慌てふためく。
アリオスはフッと笑うと、すっと手を離した。
「ほら行くぞ、もたもたしてっとおいてくぜ」
しれっとそんなことを言ってとっとと歩き出す。
「あ、待って!…も〜っ、アリオス!」
慌ててアリオスの後をおいかけるが、まだ心は早鐘を打っていた。
『アリオスったら、平気な顔してる…。
もう、私はアリオスの顔、あんなに近くで見たの初めてなのに…』
日差しは少し強いが、湿気のない乾いた風は、心地よく肌を撫でていく。
アンジェリークは村外れへと歩みを進めていた。
そこは別にとりたてて何も目立った特色のない村だったが、
村外れの丘の頂きから眺める村の景色は一枚の絵画のように美しくて、
それを見るのが、この村で見つけたアンジェリークのささやかな楽しみだった。
そして、『アリオスにも見せたいの』と、アリオスを誘ったのだ。
「…ほう…、確かにこれはちょいとしたもんだな」
思わずアリオスからも感嘆の声が漏れる。
アンジェリークは満足そうに微笑んだ。
「風も気持ちいいし…少しここでのんびりしていくか」
アリオスはその場に腰をおろし、アンジェリークも隣に座る。
「気に入ってくれた?」
「…気に食わないって言う理由はどこにもないな」
「あ、素直じゃないんだぁ」
「うるせぇよ。…ちょっと膝貸せ」
言うなりアリオスはアンジェリークの了承も得ずにいきなり膝に頭を乗せる。
突然膝枕をすることになったアンジェリークは、驚きながらもくすくすと笑う。
「もう、子供みたいよ、アリオス」
アンジェリークは、その後の言葉は飲み込んだ。
『私は貴方の母親にはなりたくないけどね。
…だって、それじゃ恋人になれないもの…』
アリオスは、アンジェリークの笑顔を見て眩しそうに目を細める。
俺に向けられる笑顔。他の誰に向ける笑顔よりも、
それは愛らしくて、幸せそうで…だけど…。
だけどそれが『特別』だと、
俺が…俺だけが『特別』なのだと…、
そう、思ってもいいのだろうか…?
他の誰にも見せない気安い態度は、
俺が『特別』ゆえだと、そう己惚れてもいいのだろうか?
愛しい少女。なにより大切な少女。
凍てついた心に、暖かい魂を今一度ふきこんでくれた少女。
その笑顔を守りたいと、心から思った。
まだ…それは伝えられないけど。
見た目より柔らかなアリオスの銀色の髪を梳くように、細い指を絡めながら、
アンジェリークは優しい眼差しで膝の上の青年を見つめる。
アリオスはいつでも自然に寄り添っていてくれる。
ともすれば逃げ出しそうになる私を、いつも叱咤してくれる。
私の心に、すんなりと入ってきて、私の心はもう貴方でいっぱい。
愛しい人。他の誰より、失いたくない人。
不器用なまでの優しさで、いつも包んでくれる人。
貴方が望むのなら、すべてを捨てられる。
なにもかもを、貴方のために捧げられる。
まだ…それは伝えられないけど。
『だけど、想っているから』
──あのとき逢ったのがお前でよかった。
──あのとき逢えたのが、貴方でよかった。
なにひとつ確かなものなんてないこの世界。
だけど、それは無数の可能性に満ちていることの証。
その無数の可能性の中から、選んだのがこの道だから、
いつか…この気持ちを伝えられるときまで…。
そのときまでこうやって、二人で寄り添って、静かに時を過ごそう───
────When nothing is sure, everything
is possible.
Margaret Drabble:The Middle Ground────
fin.
「すっごく明るいラブラブな話を」とのことだったんですが…。言い切れるほど明るいたぁ思えない。
仲間以上、友達以上ではあっても、恋人未満の二人だし…。ごめんなさい〜!努力はしたんですが…。
アリオスの葛藤の決着次第では、こんな場面もありえたかもしれない。書き始めのきっかけはそんなものでした。
ラストシーンだけがぽっと浮かんで、それから一気に書きあがりました。藤之の創作にしては、珍しいです。
最後の英文は、某名言集から引用させていただきました。