想いの在り処
常世と、中つ国。
敵同士であった二国が、数奇なめぐり合わせで手を携えて。
いつ終わるとも知れぬ戦いの果て。
――――禍日神が、墜ちた。
血のように赤く闇のように黒かった禍日の君臨した空に、今、白き日が昇っていく。
空に蒼が、地に緑が、川に清水が蘇っていくさまは、すべての労苦に報いるに十分すぎるほどの喜びの風景。
自分の要請に応えて、千尋が空に弓を射る。
最期まで、獅子王の名に恥じぬ王であってくれた父へ手向ける、弔いの一矢。
ひゅっ、と空を切る音とともに、吸い込まれるように空に矢が放たれる。
―――長かった戦は、今度こそ本当に、終りを迎えたのだ。
「……終わった、んだね。本当に……」
根宮の廊下を、俺の隣に添うように歩きながら、ぽつりと千尋がつぶやいた。
「ああ……終わった。いや、これからが大変なんだろうが……」
根宮が陥落した報は、瞬く間に常世中に広がっていくはずだ。
中つ国に残してきた者たちの元にも。
常世の空を支配していた禍日神を滅したという事実によって、俺達が標榜してきた旗印は、国内外にも明確な正当性をもって受け入れられるだろう。
皇子が父皇を斃したという事態に、いささかの混乱は避けられまいが、後ろ暗いことは微塵もない。
胸を張り、誇りを持って即位に臨むことができる。
ただ、と心に影が落ちる。
隣を歩く千尋を振り向くと、問うように首をかしげて見返してきた。
「……何?アシュヴィン」
「…………いや……」
口を噤んで、目を逸らす。
足を止めて空を見上げれば、白い日が蒼穹の空に眩く輝いている。
―――常世を蝕む禍日神を墜とし、常世と中つ国に平和を。
その悲願は成就した。
……成就してしまった。
常世に恵が戻った今、中つ国の豊穣に頼らずとも、国を維持することは可能だ。
中つ国の支配から手を引きさえすれば、自分が皇であり、千尋が女王である限り、個人の信を以て同盟を保ち続けることも難しくはないだろう。
―――自分の傍に千尋を留めるための方便は、効力を失ってしまった。
幽宮で互いの不安を吐露するような諍いを経て、岩砦で生死の境をともに乗り越えて、自分と千尋との心の距離はより近しくなった。
それはけして勘違いなどではないと確信している。
けれど、そうと信じる反面、小さな疑念がずっと胸の中で燻っている。
千尋が向けてくれるそれに名をつけるとしたら『信頼』ではないのか。
盟友としての信。
戦友としての情。
それとて得難いものではある。だが、自分が求めているものは別のものだ。
彼女が自分に向けてくれる感情の名を確かめるには、己にあきれるほどに躊躇いが生まれる。
戦の趨勢によって半ば流されるように結ばれた関係を、千尋が好意的に受け入れてくれたことだけでも、奇跡のような出来事だ。
戦を率いるには甘過ぎるほどに優しい心根を失わないままの少女。
彼女の気持ちが自分のものと違っていたとしても、責めることはできまい。
どこまでも共に、と告げてくれた。
その言葉はこの胸に言いようのない喜びを齎したが、死地から一人逃そうとしたあの時とはまた事情が違う。
道を分かてばそれが今生の別れとなることが明らかだったあの状況で、千尋が一人自分の身の安全だけを図るをよしとしなかったことを、自身に都合よく解釈するのは早計だ。
もしも、千尋の心が俺の求めるものと違うのならば。
この先常世に留めることは、小鳥が檻に囚われるようなものだろう。
―――黄金の小鳥は、空へと帰すべきなのか。
―――光の比売神は、蒼穹の空でこそ、輝くべきなのか。
帰したくはない。
この腕の中に繋ぎとめていたい。
―――離れたく、ない。
……それこそが、本心だけれど。
同盟も、婚姻も、「常世の皇子」と「中つ国の姫」との間で結ばれたもの。
だがたったひとつだけ、ただのアシュヴィンとして、千尋と交わした約束がある。
―――俺は、いつでもお前のことを考えるよ。
―――お前が何を想い、どんな気持ちを抱くのか、いつも心に問いかける。
一度は、己が千尋を生かしたいばかりに破りかけた約束。
今度こそは、彼女自身のために。
それが、自分が千尋に返すことのできる唯一の誠実。
拳を握りしめると、革の手袋が擦れてぎりりと鈍い音がした。
手放すことにじくじくと苛まれる胸の痛みは、見て見ぬふりをする。
「千尋―――」
覚悟を決めて、もう一度千尋を振り向くと、彼女はふわりと笑った。
「―――大丈夫よ、アシュヴィン」
「―――……っ」
俺の心のうちを読んだわけでもないだろうが、あまりに符丁の合う科白返しに言葉を飲み込んだ。
こちらの動揺には気づかず、千尋はそっと握りしめた手にその白い指を触れさせる。
腕に寄り添うように指を絡め、こつりと二の腕に額を委ねた。
「復興が苦難の道でも、喜びはあるわ。あなただけが歩く道ではないのよ。
私も一緒に頑張るから。そんなに一人で気負わないで。
幸いも哀しみも一緒に分かち合うって、言ってくれたでしょう……?」
「――――……千尋」
俺の腕に添いながらその視線は余所を向いているが、千尋の白い頬はほのかに紅く。
―――お前が、何を想い、どんな気持ちを抱くのか。
もしも。
もしもお前が俺を想ってくれていたら。
俺と同じ想いを、お前も抱いているのなら。
「アシュ―――きゃ!?」
ふいに胸に生まれた衝動に突き動かされるまま、千尋の腰を抱いて軽々と抱き上げた。
視線の高低が逆転し、千尋の顔をやや見上げる形になる。
俺の突然の行動に驚きの声を上げた千尋は、それでも抵抗はせずに俺の腕に抱かれてくれている。
その様子に背を押され、吐息が触れあうほどに顔を近づける。
ほのかに紅かった頬がさらに朱を帯びて、みるみる耳まで色づいてゆく様は、胸に凝っていた不安を吹き飛ばすに足りる情景。
「そんなことを言っていいのか?本当に、苦難の道になるぞ」
千尋は見下ろすような位置にある顔に手を添え、その白い指を俺の褐色の頬に撫でるように滑らせた。
「アシュヴィンと一緒なら……つらくないわ」
頬を染めあげながらも、まっすぐに瞳を見つめ返し、微笑みとともに答えをくれる千尋。
胸の中にとめどなく愛しさが溢れる。
ああ、この先に、どれほどの苦難が待ち受けていようとも。
いついかなる時も傍らにこの笑顔があるのなら、恐れるべきはなにもない。
「千尋、結婚式を挙げよう」
「―――は?」
俺の唐突な言葉に、千尋は虚を突かれたような表情を浮かべぱちくりと目を瞬かせる。
もう結婚式はしてるのに何をとでも言いたげな千尋に構わず、言葉を継いだ。
「二人だけで、結婚式をやりなおしたい。
そこからもう一度始めたいんだ。
国も、立場も、政も、何もかも関係なく、俺自身が、お前に誓いを捧げたい」
「――――…………っ」
驚きに目を見張る千尋に、答えをねだるように瞳を覗き込んだ。
「………嫌か?」
確かめるように答えを促すと千尋はぶんぶんと首を横に振る。
「嬉しい……」
万感の思いをこめて零れた言葉に、彼女を抱きしめる腕に力がこもる。
花が綻ぶような笑顔を浮かべ、千尋もその腕を俺の首に絡めて抱きついた。
甘く優しく絡むその腕に、俺の心も捕らわれる。
胸に満ちる喜びと愛しさは彼女を求め、もうこの腕の中から逃してやることなど、できそうにない。
―――ならば、この腕の中でこそ、輝かせてみせよう。
常世の空に、白き日が昇る。
すべての穢れを祓うように、光が常世の大地を照らしていく。
されど、俺にとっての光の比売神は、今、腕の中で微笑んでいる。
最終戦後ED前くらい。
「お前の気持ちを考える」をちょっくら必要以上に実践させてみた。
別名「考えすぎ」。まあ結果オーライということで。