望み



「…何が仰りたいんです」

僕は憮然として、目の前の招かれざる来訪者に視線を向ける。

「お前にはとうにわかってることだと思っていたがな」

悠然とした態度を崩さず、招かれざる客──オスカー様は
僕を見据えながらただそう言った。

「それは僕の問題です。貴方には関係のないことだ。
ほっといてくださいませんか」

「そうもいかん。お前一人の問題ではないんだからな。
俺も無関係を気取るわけにはいかないし、
特に、あのお嬢ちゃんのこととなればな」

僕はこの人のことを嫌ってるわけではないが、
時折こうして人の触れられたくない所に、ずかずか遠慮無しに入ってくる。
それが彼の役目でもあると思えば、責めるわけにもいかないが。

「お前がもう少しお嬢ちゃんに対する態度を柔和させてくれれば、
問題は起きないと思うんだがな」

そう、問題は僕の、彼女に対する態度──それに尽きるのだ。


琥珀色の髪と深海の色をした瞳をもつ少女。

第一印象は、はっきり言ってあまり良くなかった。
おどおどとした、典型的な「女」。
男に護られることを望み、涙を武器にする。そういう印象を受けた。
だから意識的にとことん彼女に冷たくした。
むろん、それは間違いだということはすぐに悟ったけれど、
問題は、そうと知った後でも、僕が態度を変えなかったことにある。

「…お前の態度が間違ってる、とまでは言う気はない。人それぞれだしな。
だが行き過ぎだ。お前の言葉で、何度あのお嬢ちゃんが泣いたと思ってる」

「知りませんよ」

「………」

吐き捨てるように言い放った僕の言葉に、
オスカー様は僕を睨み付けるように目を細め、暫く沈黙が流れる。
やがて諦めたのか、それとも出直すことにしたのか、
オスカー様は大きく息を吐き出して言った。

「…………また来る」



パタンと扉が閉まる。

「ふぅ…っ」

やっと息苦しさから解放され、僕はため息をつくと深呼吸した。

たしかに、僕の態度は行き過ぎかもしれない。
だが、今更どんな顔して優しくしろっていうんだ。
優しくする?僕が?女に?
自分のことながら、想像が追いつきゃしない。

「そうさ、別に彼女に優しくしたところで、何が変わるわけでもなし…」

半ば無理矢理自分を納得させると、不意に先刻のオスカー様の言葉を思い出す。

『お前の言葉で、何度あのお嬢ちゃんが泣いたと思ってる』

その言葉に、僕は知らないと答えた。

…そう、知らない。本当に知らないんだ。
彼女は…僕の前では泣かないから。
瞳を潤ませること、唇を噛みしめて悲しみを堪えることはある。
でも、僕の目の前で涙を流したことは一度もない。

彼女が泣いたことを知っているということは、彼の前では泣くのだろう。
あの深い海の色をした瞳に、真珠のような涙を浮かべて。
僕の前ではけして見せない顔を…オスカー様には見せるのか。

────チク

………?

僕はブルブルと顔を振ると、胸に感じた痛みを無視してかかることに決めた。
気にしてどうなる。僕には関係ない。…関係ないんだ。
僕がやるべきことは、二人の女王候補を導くこと。
それ以上のことはする必要はないし、するつもりもない。
新宇宙の誕生に寄与する。それだけが僕の役目だ。


コンコン──

またオスカー様だろうか。それとも他の人が同じことを言いに来たのか。
多少苛ついた声で、僕は返事を返した。

「開いてるよ!勝手に入ってきたら!」

キィッと音を立てて開いた扉から、怖ず怖ずと顔を出したのはアンジェリークだった。

「あ…あの、私、学習をお願いしたくて…」

「──あっそ」

部屋の中央にある学習用の机に、教材を無造作に広げる。

「…だからここは……ああ、そう…」
「…あ、それじゃ、こっちの…」

不意にアンジェリークの横顔を眺める。
開かれた教材と僕の指導に、彼女が一生懸命神経を集中させているのがわかる。
…こうしてみていると、ただの少女なのに。
まるで彼女が女王になる可能性を持ってるなんて、嘘みたいに。

「…アンジェリーク…君は女王になりたいの?」

言ってから、馬鹿なことを訊いたな、と後悔した。
なりたいからこそ、こうして毎日学習や育成に励んでいるのだ。
だいたい、なんでこんなことを訊いたのだろう?

「…いや、いいよ。忘れて。
──はい、今日はここまで」

そう言って殊更大きな音をたてて教材を閉じる。

「あ、はい、ありがとうございました!」

アンジェリークは慌てたように立ち上がる。
別に急いで立ち上がる必要なんてないんだけれど。
いつもなら用事を終えてもぐずぐずしてると、
僕から冷たい言葉が投げつけられていたせいだろう。

…怯えているのだろうな。無理もない。

内心で肩をすくめた。
柄にもなく多少は気をつけようとでも思ったのだろうか。
僕は今回は殊更冷ややかな言葉をかけることはやめにした。
少し考えて、僕の口から出たのは、自分でもらしくないと思った言葉。

「…気をつけて帰るんだね」

「え?──あ、あの…」
鳩が豆鉄砲をくらったようなその表情は、僕に随分と新鮮な感情を抱かせた。
アンジェリークはその吃驚した顔を納めると、ふいに顔を上げた。

「──ありがとうございます」

ふわり、とアンジェリークは微笑んだ。


──ドキン!

──え?

アンジェリークは軽やかな足音を響かせて走り去っていった。
僕は、ただ呆然として、彼女が去っていった扉を見つめていた。
今度の鼓動の音は、流石に無視し得なかった。


彼女のあんな笑顔…初めて見た気がする。


知った者は『単純だ』、と嘲笑うだろうか。
そのときを境に、僕は彼女に対し、「女の子」でも「女」でもなく、
「女性」としての意識をするようになった。



「ふぅ…」

自室で、大きなため息をつく。

先日のオスカー様との話の後に思ったのとは微妙に違う意味で、
己の行動のまずさについ、ため息が出る。

僕は──彼女が好きなのだろう。
不思議なほどに僕の心は彼女に向かっているのを感じる。

あの羽が舞ったような笑顔を見てから、確かに何かが変わった。

だが、今までが今までであったせいか、
彼女への対応を急にも変えられず、相変わらずの関係が続いていた。
それだけならば、ため息が出るほどのものでもないだろうが、
今回のため息の原因は…そう、また泣かせてしまったのだ。

きっかけは…いつもなら聞き咎めたりしないようなこと。
自信無げに、試験に負けたらアルフォンシアはどうなるのかと、そう呟いた。
彼女は深い意味を込めて問うたのではなく、ただ、不安だったのだろう。
自分の努力が、思うように実を結ばなかった時、どうなってしまうのかと。
…ほんの少し考えれば、それくらいは洞察出来たのに。

『最初から試験に負けることを考えるようなら、
僕がこうして教えていることも無意味だね。
とっとと候補を降りて、家族の元へでも帰ったらどう!?』

そんな言葉、言うつもりなんてさらさらなかったし、
むろん、そんなことを思ってた訳でもない。
なのに、彼女が「女王」候補であり、住む世界を違える存在なのだと、
まざまざと見せつけられた気がして、いたたまれなくなったのだ…。

アンジェリークは顔を伏せて、身を翻して走り去ってしまった。


…八つ当たりもいいところだ!
わかってる、悪いのは全て僕のほうだ。

「…謝りにいこうか…」

今まで無縁ではあったが、時には僕も『素直』に行動しようと思うらしい。


女王候補寮、庭園、王立研究院と探し回ったが、アンジェリークの姿はなかった。
あと探していないところは…と、一縷の望みを託して、僕は森の湖へと足を向けた。
果たしてアンジェリークはそこにいた。
小さな肩を震えさせて、微かな嗚咽の声が聞こえる。

…こうして、いつも泣いていたのだろうか。
人の目をさけて、独り、その華奢な身体を震わせて。

声をかけようと思ったとき、不意に人が近づいてくる気配に気づき、
何故か、とっさに傍の樹の陰に身を隠してしまった。


「…お嬢ちゃん、また、ここで泣いていたのか」

──よりによって、最悪のタイミングで現れてくれるよ、この人は!

「…オスカー様?」

彼女は弱々しく顔を上げると、オスカー様を見上げた。
慌てて泣き腫らした顔を隠すように涙を拭いた。

「いつもそうだな…。君はここでその真珠のような涙を幾度零したのか…」

「…気づいてらしたんですか」

「何度ここで泣いた?幾度その心を痛めた?
俺はもう、君が傷つくのは耐えられない」

そう言って、アンジェリークの肩にオスカー様が手を添えた時、
僕の胸の内を灼熱感が襲った。

「…っ!」

すぐにでも飛び出したい。
飛び出して、アンジェリークを彼から奪い去ってしまいたい。
…だが、今そんなことをしたところで、彼女を困らせるだけだ。
僕が、アンジェリークに好かれているはずもないのだから。

自分の感情を押し殺し、衝動を堪えるために、僕はきつく拳を握りしめた。


「…アンジェリーク、女王候補を降りて、俺の傍に留まらないか」

「──オスカー様!?」

「君がその表情を曇らせるのを、これ以上見たくない。
なにより俺は君の笑顔が、…いや、君が好きだ」

樹の陰でその会話を聞きながら、僕は空を見上げる。
大樹の枝に邪魔をされ、日は僕の所までは射し込まない。
…太陽がアンジェリークなら、樹枝はオスカー様かな。
いつもあの人は…僕の前に立ちはだかる。


…僕は…何をしてるのだろう。
僕は、恋しい人が他人の物になる場に居合わせたというわけだ。
──滑稽だな。

他人事のようにそんな言葉が脳裏をよぎる。


「…ごめんなさい…」

アンジェリークの声に、現実に引き戻される。
その言葉の意味するところは、拒絶。
オスカー様はさりとて驚いてもいなかった。

「…俺ではだめか」

「ごめんなさい、オスカー様…」

アンジェリークは再びその瞳に大粒の涙を浮かべた。

「…泣かないでくれ。泣かせたい訳ではないんだ」

「ごめんなさい…」

アンジェリークは三度目の謝罪の言葉を口の端にのせる。

「…オスカー様は素晴らしい方です。…でも私は…」

アンジェリークは、オスカー様を今度は正面から見つめた。
そして、寂しさと覚悟が内包された様子で微笑んだ。

「それでも…私は、あの人が好きなんです…。
何度涙を流すことがあっても…変わることはないでしょう」

オスカー様は苦い表情を浮かべて、
その蒼氷色の瞳を、自分の想いと共に瞼の奥に閉じこめる。

「……そうか」

それだけを言って、オスカー様は踵を返す。
無言で立ち去るその姿は、僕ですら敬意を払いたくなるほど毅然としていた。


さて、どうしたものか…。

一人残されたアンジェリークと、樹の陰に隠れたままの僕。
このままこうしている訳にもいかないが、
今のこのこと姿をあらわすのも、どうにもばつが悪い。
ただでさえ、こんな場面を立ち聞きしてしまっているのに…。

ああ、このまま考えていても堂々巡りだ。
…今は、彼女が立ち去るのを待とう。

だが身動きをした拍子に、足下に転がる木の枝を踏みつけてしまった。
パキッと音を立てて、枝が折れる。
アンジェリークは吃驚してこちらを見た。

まったく、つくづくタイミングの悪い…。

こうなっては隠れていても意味はない。
腹を括って、僕は姿をあらわすことにした。


「──セイラン様!」

「…やぁ」

他に言い様はないのか、とも思うが、実際かける言葉が浮かばなかった。


「………」
「…………………」

気まずい沈黙が流れる。


「「あの」」

「いや、何か?」
「いえ、そちらから…」


ここにいるのは毒舌家の芸術家でも、女王候補でもない。
…恋に不慣れな一組の男女だ。

先ほどの会話から、彼女に好きな男がいるのはわかる。
だが、それが自分のことだと自惚れるには、話の内容が曖昧過ぎた。

僕はしばらく逡巡していたが、覚悟を決めた。


「…アンジェリーク」

「…は、はい」

「…さっきは、悪かったね。僕の八つ当たりだ。君が悪いわけじゃない。
人間誰しも恋をすると余計なことを口走ってしまうものらしい…。
…許してくれ、とは言えないけど…見逃してくれるとありがたいね」

「…え、あの…?」

僕は立ち聞きによる多少の後ろめたさと、反応を見る怖さで、
アンジェリークを直視することが出来なかった。
言葉を紡ぐことに随分と精神力を必要とするなんて、我ながら珍しい。

「…君に聞いてほしいことがある。聞いた後で、どうするも君の自由だ。
僕は…この聖地に来たときには、興味と好奇心以上の想いを持っていなかった。
だが今は芸術家としての自分だの新宇宙だの…そういったことはどうでもいい」

そこで一旦言葉をきる。
そして、今度はまっすぐ、アンジェリークを見つめた。


「今の僕が望んでいるのは、ささやかなことさ。
…いや、それとも大それたことかな、君と未来を共有したいと願うのは」

アンジェリークは息をのんだ。

「…君が、好き…。つまりは、そういうことさ。
君には拒否する権利がある。さっきも言ったけど、どうするも君の自由だ…。
僕は何度も君を泣かせた。嫌っていて当然だと思う…」

言うだけは言った。
僕は踵を返すと、立ち去ろうとした。


「…セイラン様は」

アンジェリークの声に歩みかけた足を止めた。

「どうするも、私の自由とおっしゃいましたね。
それなら…私は、貴方の傍で、一生を終えるという道を選んでもよろしいですか?」

「…アンジェリーク?」

「セイラン様は、いつも間違ったことはおっしゃいません。
人には手痛い言葉でも、いつも真実をついてらっしゃいます。
時には涙を伴うことはたしかにありましたが、それは自分への憤りです」

アンジェリークは目を伏せた。
頬が微かに紅く染まっている。

「セイラン様には、ご迷惑かもしれませんが、私は私でしかありません。
セイラン様の望むような女性にはなれないと思います。
それでもよろしければ…おそばにいさせて下さい」



僕は、去りかけた足を、再び彼女の元へと進めた。
そっと、アンジェリークの身体を抱きしめる。

アンジェリークは僕に身を委ねながら、呟いた。

「ずっと…好きでした。セイラン様のことが…」

その言葉以上に、何を望めというのだろう。
そうだね、他に望むとしたら…この腕の中の存在が、
永遠に僕の傍にあること──





…その日、聖地ではささやかな出来事があった。
本当にささやかだよ、本当にね。
一組の男女が姿を消した…それだけのことだからね。
よくあることさ。



僕には君がいる。君には僕がいる。
それ以外に、重要なことなんて、ないだろう?
だから、女の方が女王候補だったとか、男の方が教官だったとか…、

──そんなことはどうでもいいことさ。

茉莉さんにお誕生日プレゼントでお送りした創作です。要望を聞いてみたところ、「温和アンジェとのラブラブで、セイランの自覚話!」というお題を頂きました。
オスカーが出張ってるのは茉莉さんのセカンド様を入れてやろうとか考えてしまったからです。
やめときゃよかった…。セイランを余計に情けなくしてしまった。
…実はこれ、かなり自分では納得出来てないんですよね。
私のポリシーで誕生日創作は「間に合わなければ日の目を見させない!」と決めてますので、半分徹夜状態で、かなり虚ろな意識の中で仕上げたのです。
もちろん推敲してる暇もありゃしなかった。