名前



『アンジェリーク』
それは新宇宙の創世の女王の名前。


「女王になりたいですよ。
そのためにここにいるんですもの」


『アンジェリーク』
それは、大嘘吐きの女の名前。
自分の心を偽って、誰もが騙されてくれる逃げ場に逃げ込んだ。


「ごめんなさい。私は…貴方を選ぶことは出来ません」


『アンジェリーク』
それは臆病な女の名前。
想いを伝えられても、飛び込む勇気を持てなくて。


「私も…好きでした…」


『アンジェリーク』
それは卑怯な女の名前。
相手に応える勇気もないくせにそれでも想いを伝えていく。



『アンジェリーク』
それは、最低な女の名前。
私が一番嫌いな女の名前。

…私の、名前。



「アンジェリーク!あなた女王になるって…本気!?」
私が女王就任の意志を表明した翌朝、
レイチェルが顔を合わせるなり私に詰め寄った。

「もちろんよ」


「だってあなたセイラン様を…」

言い募るレイチェルの口唇にそっと指を当て、
静かに首を横に振ってそれ以上の言葉を封じた。

「レイチェルが試験を降りたんだもの。
新宇宙を治められるのは私しかいないでしょ?」

その返答にレイチェルは言葉に詰まる。
レイチェルが自分で考えに考えて出した結論とはいえ、
試験を降りるとなれば、どうしても誰かに失望や迷惑がかかる。
レイチェルが、自分の恋を実らせてからもずっと悩んでいたのも、
残された私のことを考えていてくれたから。

だからわかってる。こんな言い方は卑怯だってことくらい。

それでも、彼女はこの道を選んだ。私はそれが嬉しい。
私のためなんかでレイチェルの幸せを棒に振って欲しくなんかなかったから。
彼女には自分自身の幸せを求めて欲しいと思っていたから。
その道が、レイチェルの選んだこの道ならば、私は心から祝福できる。

「レイチェル、あなたが試験を降りるから、女王になるんじゃないのよ。
私は、自分が女王になりたいから、だから女王になるの」


…嘘じゃない。だけど、本心でもない。


あの人の傍にいるのが辛いから、あの人がいないところに逃げるの。
あの人は私を憎むだろうから、私はあの人の前から姿を消すの。


そう、すべては私のエゴ。


「レイチェル、私のことを気にして試験降りるのやめる、
なんて言い出したら承知しないからね!?」

「アンジェリーク…」

レイチェルは、それ以上言葉を紡げなかった。




就任式を午後に控えた晴れた朝。
最後の一日…いえ半日を、私は森の湖で過ごすことにした。

そこは静かで、独りで時が流れるのを待つには好都合だったから。
女王就任式を前にここで愛を語ろうという恋人たちもいないと見えて、
湖はおろか、そこに至る道すがらにも人っ子一人見かけなかった。


滝に手を差し入れて、水飛沫が舞うのを眺めたり、
湖に素足で足を浸からせてみたり、
最後の一時を子供のように過ごしていた。

だけど突然、パキッと枝を踏む音が聞こえて、はっと振り向いた。

そこには、今一番逢いたくない人が佇んでいた。



「今日の式の主役が…ここで何をしてるのかな」

「セイラン様こそ…守護聖様や教官方は
式典の準備に狩り出されたってお聞きしましたけど」

お互いけして視線をあわせない。
瞳を見つめてしまったら、制御できない感情が溢れそうだから。


「あいにくと、僕は式典だの儀式だのってのは苦手でね。
会場の設営や儀式の準備は、膂力のある奴と上品な坊やに押し付けてきたのさ」


セイラン様の声のひとつひとつが、私の心に痛みを伴いながら染みわたっていく。
矛盾する感情が、私の中を駆けめぐっていく。


お願い…お願い、もう、行って。
心に残るひとかけらの迷いが、私を苛む前に。
心に眠る貴方への思いが、あふれ出す前に。

お願い…お願い、まだ、ここにいて。
貴方のことを忘れないように。
貴方の声を、面影を、ずっと思い出せるように。



「──どうしても、行くんだね」

「────もう…決めたことです」



心が軋む。愛しくてせつなくて。
でも、私が選んだ道。後戻りは許されぬ道。
だから、言わなくちゃ。
『もう…私のことは忘れて下さい』って…。
私は湖から上がると、セイラン様の元へと歩みだす。
視線を合わさぬそのままで…。


「セイラ…」
「アンジェリーク」

意を決して口を開いた私に、セイラン様の声がそれを遮る。


「──会いに行くから」


「──ッ!?セイラン様!?」

驚いた私に構わず、セイラン様は言葉を続ける。


「忘れてなんてあげない。
僕を忘れることも許さない。
僕以外の誰かが、君の傍にいるのは許せない。
だから、会いに行く。君のそばに行く」


「わ…私は…セイラン様を選ばなかった女です…」

「そうだね。でもそれが何?」

「私には、セイラン様にそこまで想っていただく資格はありません!」

「資格?なんだいそれは?
君がなんて言おうと関係ない。
君が自分をどう評価してるかも関係ない。
僕は君が好き。そして僕は君を失うつもりはない。
大事なのはそれだけだよ。
君は僕を好きだと言った。僕も君に好きだと伝えた。
今だけ…しばらくの間だけ新宇宙とやらに預けてあげるけど。
──この僕から、逃げ出すことは許さないよ」

にやりと笑ったセイラン様は、私の頬に手を当てると、
私が何かを言う暇もなく、唇を重ねた。


どのくらいの時間、そうしていたのだろう。
長い時間だったような気もするし、ほんの数秒の事だった気もする。

そっとセイラン様が唇を離す。



「悪いけど、式典は欠席させてもらうよ。
僕は「アンジェリーク」に捧げる詩はあっても
「創世の女王」に捧げる詩は創らない。創りたくない。
だから…今度会うときはただの『セイラン』と『アンジェリーク』としてだよ」

私は…ただ、無言で頷いた。
瞳には涙を滲ませて、それでも笑顔を浮かべることができた。


──ほんとうに…なんて人だろう。この人は。
私の必死の決心も、砂上の楼閣。
結局…私も自分の心には抗えない。


許されるなら。
もし、運命が私たちを許すなら。
どうか、もう一度、私たちを出会わせて…。
もう一度、彼の声が私の名を呼ぶ日を………。



『アンジェリーク』
それは創世の女王の名前。

…一人の詩人に愛された女性の名前。

────私の、名前──。


朔夜さんの誕生日に贈らせていただきました。スランプまっただ中の時の作品です。
アンジェが後ろ向きで、セイランがそれを一蹴する、というのが書きたくて書いた話です。
思い通りに書けたかは………お願い聞かないで(爆)