mistletoe〜宿り木〜



「ごめんね、レイチェル…」
「…いいんだよ、アンジェ。
ちょっと寂しいけど…、アンジェが決めたんだからね。
無理言って、後悔はさせたくないから」


女王試験は、レイチェルが勝利した。
補佐官にと望まれたが、アンジェリークはそれを断り、
もとの生活に戻ることを望んだ。
レイチェルもアンジェリークの想いを知っていたがゆえに、
名残を惜しみながらも、アンジェリークと別れた。


一人聖地の門へと向かっていたアンジェリークの視界の端に、
門扉に凭れかかるように立つ人物の姿が映った。

少年というには大人びて、青年というには幼さの残る、
瑠璃色の髪をした感性の教官。

それは、アンジェリークの想い人。
聖地で出逢ってしまった、切ない恋の相手。
想いを伝えずに立ち去ろうと、誰にも言わずに出てきたのに。

「セイラン様…。どうしてここに…?」
「君の行動くらい、お見通しだよ。
…で、どうして、一人でこの門へ?
…何も言わずに僕の前から消えるつもりだったの?」

セイランの声には微かな怒りの色が篭っている。
それは、彼もアンジェリークを憎からず想っているから。

そう、それはアンジェリークにもわかっているのだ。
自分が彼を想うように、彼も自分を想ってくれていること。
わかるからこそ、自分は去らねばならないのだ。


アンジェリークは笑顔でセイランに向き合った。
それは少しぎこちなく、だけど、精一杯自然に振る舞おうとして。
「もう逢うこともないと思います。
さよなら、セイラン様…。どうか、お元気で。
今までありがとうございました」

アンジェリークはあからさまな社交辞令の挨拶を済ませると、
セイランの横を擦り抜けようとした。
咄嗟にアンジェリークの腕をセイランが掴んだ。
だが、セイランが何か言うよりも早く、
アンジェリークがセイランに叫んだ。

「駄目です!私は貴方の傍にいちゃいけないんです!」

「…っ!何で…!どうして僕は君を離さなきゃいけないって言うんだ!」
セイランも叫び返すが、アンジェリークはセイランの瞳を見ようとしない。

「私は…、私は貴方の全てを壊してしまう…っ!」

自分はセイランに想ってもらえるほど、価値のある人間じゃない。
どす黒く独占欲が渦巻いて、今も耐え切れないほどなのに。
傍にいたら、きっと彼を駄目にする。
縛られるのを嫌う人を束縛してしまうだろう。
彼は『自由』でなければならないのだ。
空を羽ばたく鳥のように。
そう、彼は鳥なのだ。
それが自分の愛したセイランの姿のはずだから。
「セイラン様を縛り付けたくありません…っ!
だから…このまま…っ!」

「アンジェリーク、僕は…っ!」

「私のことは…忘れて…っ!」
セイランの言いかけた言葉を遮るように叫ぶと、
渾身の力を振り絞ってセイランの腕を振り切り、
後を振り返ることもせずにアンジェリークは駆け去った。


これでいい。
傍にいて、自分の所為で堕ちるあの人を見るよりは。
ただひとときの想いを寄せてくれた想い出を胸に生きていけばいい。
そう、これでいいの、これで…。



アンジェリークは、以前の生活に戻った。
女王試験が始まる前の、唯の少女としての生活へと。
表向きは明るく朗らかに。
だが、まだその心にはたった一人の姿が焼き付いている。

忘れようか。あの人を愛していたことを。
貴方に逢ってよかったって、まだ言えないから。
それならいっそ、愛していたことを忘れ去ってしまおう。
そうしたら、この胸の痛みは消えるかしら…?
何をしても満たされないこの喪失感は消えるかしら…?


セイランの噂は、何処にいても、流れてきた。
だが、アンジェリークは意識的にそれを聞くことを拒否した。

想い出を胸に生きるなんて、甘かった。

聞かせないで。
思い出させないで。
まだ辛いから。
醜い独占欲が、蘇えってしまうから。


アンジェリークの元に、一通の封書が届いたのは、
試験を終えて半年も経った頃。
差出人の名前はなかった。
封筒の中には、ただ一枚のチケットが入っていた。

…彼だ。手紙は読むのも書くのも嫌いだと言っていた、彼らしい手紙。
「…どうして?なんで、私泣いてるの…?」
アンジェリークは、涙を流しながら、その場で立ち尽くした。


市街地からほんの少し離れた、小さなギャラリー。
喧騒という言葉とは無縁の、静かな建物の一角に、
アンジェリークは訪れていた。
そのギャラリーで行われていたのは、ある画家の個展。
そう、セイランという名前の…。

どうして来てしまったのだろう。
忘れると決めたはずなのに。
だけど手紙を手にした時に、己の意思に反して涙を流した。
胸が締め付けられるように苦しくて。
忘れることなんて、一生できっこないと思い知らされた。

自分の意志の弱さに呆れているのか、
想いの強さにひれ伏したのか。
自分にも分からないまま、アンジェリークはギャラリーに足を踏み入れた。

アンジェリークはその場で立ち尽くす。
規模は小さめではあるが、けして狭いとは言えないギャラリーの壁を、
埋め尽くすように絵が飾られていた。

それは天使の絵。聖母の絵。女神の絵。巫女の絵。歌姫の絵。舞姫の絵…。

あらゆる題材で描かれたすべての絵に、
静かな表情で佇んで描かれているのは、
他の誰でもない、アンジェリーク自身。

「…これ…全部…私…?でも…どうして…」


「僕の心には君の姿しか思い描けなくなったからさ」

突然自分の後ろから聞こえた懐かしい声に、アンジェリークは振り返る。
「…っ!…セ…セイラン様…っ!」

「君と逢ってから描いた絵のすべてさ。
聖地で描いたものもある。
君がいなくなってから描いたものもある。
だけど、君以外には、どうしても心を揺さ振られない。
描く気がおきない。
だから…、今の僕には君しか描けない」
その場で硬直してしまったアンジェリークの傍に、セイランは歩み寄る。
聖地にいた頃から変わらない、鳥のように軽やかな足取りで。

息がかかるほどセイランが傍に来て、
アンジェリークは我に返る。
踵を返して逃げ出そうとするアンジェリークを、
セイランは腕を掴んで離さなかった。

「二度も君を離すほど、僕が愚かに見えるかい?」

セイランはアンジェリークの抵抗を易々と封じると、
アンジェリークを腕の中に閉じ込める。

「わ…私は…セイラン様のことなんて…」
そう言うアンジェリークの頬は紅く染まり、
その表情はその言葉を否定する。
「なんとも思ってないなんて、言わせないよ。
君は新宇宙へは行かなかった。それが答えだろう?」

アンジェリークは言葉を返せない。

そう、本当にセイランから離れるつもりなら、
新宇宙へ行ってしまえばよかったのだ。

それをしなかったのは、もう逢うことが叶わなくても、
同じ時間の中を生きたかったから。
違う時間の流れの中で、取り残されたくはなかったから。

「…私は…セイラン様に『自由』でいてほしくて…」

やっとのことでアンジェリークは言葉を紡ぎ出す。


「だったら、傍にいて」


耳朶を打つセイランの言葉に、アンジェリークの抵抗が止まった。

顎を掴んでアンジェリークの顔を上に向けると、
セイランは口唇を重ねた。
「君は、僕から去ることが、自由を奪うことになるんだ」

アンジェリークはセイランから視線を外せない。
セイランは真摯に語り掛ける。
「君がいないと、僕はもう一歩も動けない。…何も出来ない。
この半年、僕が出来たのは、記憶の中の君を描くことだけ。
でも、そうやって描いた絵は、何かが違うんだ。何かが足りないんだ。
ずっと…そんな喪失感に襲われて…。
君がいない、それだけで僕は大地に繋ぎ止められてしまう。
…だから…だから、アンジェリーク…、
…傍にいてほしいんだ。僕の隣で、いつも微笑んでいてほしい…」

それはアンジェリークも同じ。
何をしても満たされず、瞳は知らずセイランの影を追って…。

「君は僕を縛り付けたくないから離れると言った。
でもね、僕の心はとっくに君に囚われてるのさ。
そう、たぶん…君に逢った時から…。
縛られたくはないけど…囚われるのは何故か…悪くない。
囚われ人の僕は…嫌いかい?」

嫌いになんてなれない。
愛しているから離れようと思った人。
忘れようとして、でも忘れられなかった人。
誰よりも、逢いたかった人…。

「…私の選択は間違っていたのかしら…」
アンジェリークは飾られている絵に視線を向けると、ふっと微笑んだ。
「この絵…今までで、一番素敵なラブレターになりました…」


「ねぇ、返事をしてくれないの?」
「え…?」
アンジェリークは何を言われたのかわからず、
視線を絵から外し、ただセイランを見返す。
「傍にいてって…言っただろう?」
「あ…」
アンジェリークは頬を赤らめて、俯いた。

数瞬の間をおいて、アンジェリークは顔を上げる。
「…私……私は…」
頬を紅く染めながら、言葉を紡ぎ出す。
「…セイラン様の…傍に…いたい…です」

セイランは嬉しそうに顔を綻ばせると、
再び口唇を重ねた。


傍にいていいの?本当に?
彼が望んでくれるなら、傍にいたい。
傍にいることで、彼が自由に羽ばたけるというなら。


誰かが言った。
鳥が空を羽ばたけるのは、翼を休める木があるからだ、と。


ならば私は梢になろう。

疲れた羽根を癒せるように。
いつでも彼が心静かに安らげるように。

自由に羽ばたく彼の、宿り木となろう…。


fin.


気分的に落ち込んでた時に書いたので、アンジェリークがちょいとばかり後ろ向きです。
ラストはもちっとアンジェリークに答えを出したかったし、展開もも少し手を加えたかった。しかし文才の限界(悲)
セイランはギャラリーで大胆なことしていますが、あれは他に客がいないからです。
つまり、アンジェリーク一人を呼び寄せるためだけに個展を開いたと。きっと用意したチケットも一枚きりだ(笑)。
…って、ここで書くなってば。