待ち人



霧が深くたちこめる惑星の、森の中にぽつんと建つ小さな家。

少女はかたん、と窓を開け、誰かを待つように外を眺める。
何時間も、飽きることなくただ一点を凝視する。
森の外へ続く、道の向こうを。


少女の名前はアンジェリーク。
至高の地位よりも、一人の男性の傍にいることを選び、
その人と共に、聖地を去った少女。


「セイラン様…」

アンジェリークは、愛しい人の名前を口の端に載せる。
傍にいられないのは、淋しいけれど、
彼の帰りを待つことが、今の自分に出来ること。


少女の手を取ったのは、感性の教官として聖地に招かれた、
希代の芸術家として名を知られるセイラン。

彼の素顔を知るものは、ほんの一握り。
彼の性格を知るものは、更に少ない。
その上で彼に好意をもつことの出来る人物は、まさに希少価値。

…そう論評したのは、セイラン本人であった。

だが、アンジェリークの評価は少し違っていた。

『セイラン様は、お優しい方です。
だって、面と向かって相手の非を指摘するのは、
ちゃんと相手のことを見てないと…できないことですもの』

その台詞を聞いた時、セイランはただ面食らった。
大人しいだけではない、深い洞察力の持ち主であることを、
セイランはぼんやりと感じ取った。
そして、己の、アンジェリークに対する感情に、
自分では制御できないなにかを感じたのも、その時だった。

『僕に対する評価は…買い被りだと思うけどね』


セイランは、アンジェリークと、伴侶としての誓いを交わした後も、
自らの感性を震わせる対象を求め、あちらこちらに旅をする。

アンジェリークは、そんな彼をいつもこの家で待ち続ける。


不意に鏡に視線を向けたアンジェリークは、
髪を纏めている黄色いリボンをほどくと、
リボンを手に持ったまま、椅子から立ちあがった。


セイランは、すでに暗くなった森の道を、
彼の伴侶の待つ家へと歩みを進める。
灯りのともる、自分の家が見えてくると、
無意識のうちに、口元をほころばせる。

それは、アンジェリークを知る前には想像もしなかったこと。
何よりも愛しい存在が、自分の帰りを待っている。
ほんの少し昔なら、「煩わしい」と一蹴したであろうに。


『今、君は何をしてる?何を思ってる?』

想いを眼差しに込めて、少女のいる家の窓を見つめる。

不意に扉が開いた。
アンジェリークが家から駆け出し、傍に聳え立つ樹の枝に手を伸ばした。
片手には、黄色いリボン。

「…アンジェリーク?」

つい、といった感じで漏らしたセイランの呟き。
だが、集中していたアンジェリークを驚かすには充分だった。
心臓を飛び跳ねさせ、慌てて振り向く。

「きゃあっ!セ、セイラン様!…お、おかえりなさい…」

咄嗟にリボンを後ろ手に隠すが、すでにセイランには見られている。
セイランはアンジェリークの傍に歩み寄ると、
下から覗き込む様にしてアンジェリークに顔を近づける。

「…そのリボン、どうしようとしてたわけ?」

「…こ、これは…、その…ただ、リボンを枝に結ぼうとしてただけです…」

「…なんで?」


アンジェリークはもはや言い逃れは出来ないと観念したのか、
ふうっと溜め息を吐くと、頬を真っ赤に染めたまま、
セイランに向き直り、『笑わないで下さいね』と前置きして話し始めた。

「……これは、おまじないだったんです…。
…………その…『待ち人来たる』の……」


セイランは、何も言わず、ただアンジェリークをぽかんと見つめていた。

呆れられた、と思ったアンジェリークは、
耳までかぁっと紅く染めると、顔を背ける。
その髪の一房に口唇を寄せると、
セイランは、そっとアンジェリークを抱き寄せた。

「可愛いことしてるんだね」

「…だって、私には待つことしか出来ませんから…。
少しでも早く帰ってきて下さることを祈るくらい、許されるでしょう?」

その言葉に、セイランは少し申し訳なさげな表情になる。

「…ごめん、いつも君を一人にしてる…。
淋しい思いをさせてるって、わかってるのに…」


「…謝ることなんて、なんにもないじゃないですか。
セイラン様は…私のところへ、帰ってきて下さいますから。
私には…それで充分なんです」

セイランは、合点のいかない顔で、アンジェリークを見返す。

「いつも…君はそう言う。そのところが、わからない。
君は…淋しくないの?」


アンジェリークは、苦笑すると、
セイランの首に手をまわし、首を傾げながら、セイランに問い掛ける。


「セイラン様は、お一人で、旅に出られますよね。
…その時、淋しいですか?」
「淋しいさ。…君に逢えない間はいつも淋しさを感じてる」


即答するセイランに、笑顔を零しながら、なおもアンジェリークは問い続けた。

「…それじゃ、セイラン様、
淋しさを感じてるその間、セイラン様は不幸でいらっしゃいますか?」


セイランは返答に詰まった。
アンジェリークが何を言わんとしてるのか、察したのだ。
少し考え込んだ後、セイランは口を開いた。

「…不幸じゃない」



「淋しさは確かにあるけど…幸せを感じる瞬間もある。
帰ると君の笑顔が迎えてくれること、それが楽しみで。
僕が帰ることで、君が笑ってくれること、それが嬉しくて」

セイランはアンジェリークを再び抱き寄せると、その腕に力を込める。

「…君の幸せに、僕が深く関わっていられることをはっきり感じ取れる、
その瞬間が、とても…とても幸せで…」


アンジェリークは、満面の笑顔を浮かべながらセイランを抱き返した。

「…だから、私はだれより幸せなんです…」


セイランは、アンジェリークの手の中のリボンを、
すっと引き抜くように手に取ると、
アンジェリークの髪にそっと絡ませる。

苦笑しながら、セイランは黄色のリボンを、
アンジェリークの髪にきゅっと結んだ。
「『待ち人来たる』のおまじない…か」


「アンジェリーク、見せたいものがあるんだ。ついておいで」

そう言うと、セイランはアンジェリークの手首を掴んだまま、
家の中へとつかつか入っていった。
そのままセイランは自分のアトリエへと向かった。

セイランが創作活動に入る時に一人で篭るため、集中を乱さないため、
不注意に余計なものに触れない様にするため等、理由は多々あれど、
アンジェリークはアトリエにはろくに足を踏み入れたことがなかった。
アンジェリークは、きょろきょろと辺りを見回しながら、セイランの後を歩く。

セイランは、布が掛けられたキャンバスが
何枚も立てかけてある部屋の片隅で足を止めた。

「ほんとは…もう少し作品の数が揃ってからにしようと思ってたけど…。
でも、いい機会だから、今、君に伝えたいんだ」

セイランは、立てかけられているキャンバスの布を次々と取り払う。
そのキャンバスに描かれていたのは、彼が今まで訪れた地の風景。
夕日に染まる下町の情景だったり、風そよぐ湖の景色だったり、
モチーフは様々だが、どの絵にも共通していることが一つ。

アンジェリークの姿がある。


「これ…なんで私が…いったことのない場所ばかりなのに…」

「何処にいたって、僕には君の姿が見えるから」

かたん、と絵の一つに手をかけると、セイランは静かに瞳を閉じた。

「僕は…いつでも君を待っていた。
僕の隣にいてくれるようになってからも、
君が僕に微笑んでくれること、話し掛けてくれること、
君が…僕に触れてくれること。
君が紡ぐすべてを…僕は待ってる」

「…私のすべては、とっくにセイラン様だけのものなのに…?」

「それでもね。いつだって不安なんだ。
僕は、君を繋ぎ止めていられるだけの価値があるなんて、
自信を持って言い切れないから。
だから尚更君を求めてしまう。
何処で、どんな景色を見ても、そこに君の姿を見出してしまうんだ。
待ち方なんて、人それぞれだけど、僕は…こういう表現の仕方しかできない。
だけど今は…素直に言葉に出来そうだ」


セイランはキャンバスを置くと、アンジェリークに向き直った。


「忘れないで。僕は何処にいても、いつでも君をこの手の中に求めてる」


アンジェリークはふわりと微笑むと、
セイランの胸へと飛び込んだ。


「私も…いつでもセイラン様を求めています…。
私の幸せは…いつだって、セイラン様と共にあります…」


アンジェリークの髪に結ばれた黄色のリボンが、静かに揺れた。


二人は互いに『待ち人』であり続ける。
そして『帰る場所』も永遠にお互いの腕の中──。


fin.


「温和ちゃんとの可愛い感じの話」と言われ、「よし、それじゃおまじないする話でも」と書き始めてはみたものの、出来上がってみると、いまいち可愛い感じになってない気がします。
それにこれ…ほんとに温和ちゃん?少し勝気入ってない?
いつもこんなだね、藤之の創作って…。
アンジェも黄色のリボン使っていますので、この話は一度やってみたかったのでした。
「待ち人来たる」のおまじない、枝に結ぶ前に帰ってきたから、考え様によっちゃ、効き目抜群なのかも(笑)