舞姫
「熊野水軍の力、結局借りられなかったね」
私たちは本宮に借りた一室で、熊野の最後の夜を過ごしていた。
熊野に来た事が徒労に終わったとは思いたくないが、
目的を達し切れていないこともたしかで、呟く言葉も、自然、力のないものになる。
「仕方ありません。熊野を説得出来るだけの力を、源氏が見せない限りはね」
最初から難色を示していた弁慶さんは、当然と言えば当然の結果に、さほど気を落とした様子もない。
今の時点では、熊野を動かすだけの成果を、自分たちが出す事はできない。
――悔しいけれど、確かにそれは、どうしようもないことなのだろう。
「九郎さんが、神社に名笛を奉納してくれたのに、お参りも無駄になっちゃったのかな」
「そんなことはありません。平家側に付かないとの約定がとれただけでも一定の成果ですよ。
それだけでも、新熊野権現に笛を奉納した御利益があったと言えると思いますよ」
「へえ、この世界でも、義経の愛笛はあの神社に奉納されたんですね」
私たちの会話を、聞くともなしに聞いていた譲くんが、二人の会話に参加してきた。
「――え?」
「田辺の、新熊野権現のことでしょう?
今の……というか、俺たちの世界でも、義経の笛ははあそこに奉納されてますよ。
奉納したのは、さすがに違う人ですが、たしか――龍笛の『銘白竜』だったかな。
……先輩、どうしました?ぽかんとして」
「『白竜』って……」
それは確かに、九郎さんが奉納した笛の名だ。
微妙な乖離はあっても、私たちの世界と、この世界は酷似している。
数瞬を挟み、私は譲くんの言葉に引っかかりを覚えた。
「……っ!?――っていうかちょっと待って!
愛笛って……じゃあ、九郎さん、笛吹けるの?!」
「吹けない人に、笛を下賜してどうするんです」
「――――っ!」
あまりといえばあまりに当然なツッコミに、自分で自分の迂闊さに呆れはてた。
言われてみれば、その通りだ。
そもそも使えもしないなら、熊野くんだりまでわざわざ持ってくることもないだろう。
「……私と会ったときも、笛を吹いていたな。――鞍馬でのことだが」
部屋の隅のほうで、刀を担ぐようにして座っていた先生も、口を挟んできた。
「突然現れた異形の私に、刀の代わりに、笛を構えた。
得物はともかく、構えの筋は悪くなかったので、その場で稽古をつけたが」
「……牛若丸は天狗に武芸の教えを受けた、って伝説は、俺たちの世界にもありますけど」
「似たようなものだな。私は天狗ではなく、鬼と呼ばれているが」
先生と譲くんとの会話は、決定打。
「じゃあ、やっぱり、九郎さんは笛、吹けるんだ……。
それなのになんで笛の心得がないなんて……」
そこまで考えて、ふと思い当たる。
そういえば、ヒノエくんは言っていなかったか。
――お前が奉納を望んだから、九郎はなんとかしてやりたいって思ったわけだ。
「九郎さん……私のわがままのせいで……?
私が九郎さんに大事なものを手放させてしまったんだ……」
俯いて、自分を責め始めた私に、弁慶さんが微笑みながら窘める。
「望美さん。誰が笛を手放せと九郎に強制したと言うんですか。
笛を奉納したのは、誰でもない、九郎の意志です。
その事実は、踏みにじらないであげて下さいね」
「ふ、踏みにじるなんて、私、そんなつもりじゃ……」
「ふふ、わかっていますよ。
でも、望美さんのことだから、何でそんな大事なもの手放したんだって、詰め寄りかねないと思いまして」
弁慶さんは笑顔でさらりと痛いところを突いてきた。
たぶん、何も言われなければやっただろう。
自分の先走りやすい性格を自覚し、私は少し恥じ入った。
――ああもう、自分が情けない。
「九郎は、何が一番大事なのか、ちゃんとわかっていますよ。
あなたも九郎も、なんにも悪い事なんてしてないじゃないですか。
あなたが気に病む必要は、どこにもありませんよ」
そう諭されて、納得はするのだが、どうしてもすっきりしないものが残るのは、仕方のない事なのだろうか。
「――と、とにかく、九郎さんに会って、謝らなくちゃ……」
私は、制止する譲くんや弁慶さんの言葉も聞かず、部屋を飛び出した。
本宮の中にも、境内にも、それらしい人影を見つけられず、がむしゃらに駆け回ってた私の耳に、
微かに、聞き慣れた声が聞こえたような気がして、耳を澄ました。
微かな声を頼りに九郎さんの姿を見つけたのは、本宮の裏手にある森の入り口近くだった。
あいにくの曇り空で、夜の濃い闇に包まれるそこを、
本宮から零れるかがり火の灯りが、申しわけ程度に照らしている。
「――はぁっ!――たぁっ!」
宵闇の中、一心不乱に剣を振っている九郎さんの真剣な姿に、
なぜだか声をかけるのを躊躇い、しばし立ちつくしていた。
どのくらい、その姿を眺めていただろう。
海辺の熊野の涼やかな風に乱された髪を押さえて私が我に返ったのと、
九郎さんがこちらに気づいたのはほぼ同時だった。
「――ん?望美じゃないか」
九郎さんは、剣を振る手を休め、歩み寄ってきた。
「どうした、こんなところに。
本宮の結界の内とはいえ、一人で出歩くのは不用心だぞ。
それに夏とはいえ、せめて袿くらい羽織ってこい。――ほら、こんなに冷えてるじゃないか」
そういって、刀を鞘に収めた手をのばし、私の頬に触れた。
私の小さな顔なんかすっぽりと収まりそうなくらい大きな、男の人の手。
いつも剣を握っているために少し強張った、でも暖かな……
会って謝らなくちゃ、と思っていた私は、頬に触れられた指の暖かさに頭が真っ白になる。
「――あっ……あの……その」
真っ赤になって戸惑う私に、数拍遅れて、九郎さんも自分の行動の大胆さに気づいたのか、動揺を見せた。
「あっ、いや……すまん」
「……いえ……」
弁慶さんやヒノエくんのように笑ってはぐらかしてくれれば、こちらも言葉を打ち返すこともできるけど、
九郎さんはバカ正直なまでに素直な反応を返してきて、かえってどきまぎしてしまう。
双方、真っ赤になって黙り込んでしまうと、気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、九郎さんの方だった。
「……で、何をしにきたんだ。用があったんじゃないのか」
その言葉にぱっと顔をあげる。
そうだ、肝心要の用件はまるで済んでいなかった。
「あっ、はい!その……私、九郎さんに一言謝ろうって思って」
「謝る?何をだ。謝られる覚えは俺にはないが」
「その……田辺での、笛のことです。
九郎さん、本当は笛吹けるんでしょう?大切なものだったんでしょう?
それなのに、私が奉納したいなんて言ったから……」
「…………なんだ、そんなことか。
俺が好きで奉納したんだ。お前が気に病む必要などないだろう」
「――でも!」
「いいんだ」
さらに食い下がろうとしたら、九郎さんは柔らかい笑みで私を制した。
その穏やかで後悔のカケラもみえない笑みに、つい私も押し黙ってしまう。
「先生に武術の教えを請うたその日から、俺の手は笛でなく刀を持つためのものと定められた。
この戦に勝利をおさめて平穏な世がくれば、また笛を嗜む日も来るだろうが、今は……、
今このときに俺の手にあるべきは、この太刀だ」
腰に帯びた太刀に、手をやり、まっすぐ前を見据えるその眼差しには一片の迷いもない。
「俺自身が選んだことだし、いまも後悔はしていない。
それに、後白河院に賜ったとはいえ、笛は所詮、笛にすぎん。
それよりも、お前の願いに価値をみたから、奉納した。それだけだ。――だから、あれでいいんだ」
「九郎さん…………」
――なんて、まっすぐなひとだろう。
私は、自分の考えの甘さを恥じた。
弁慶さんの言ったとおり、九郎さんのしたことに異を唱えるのは、彼の誠意を踏みにじる行為だ。
少しの間だけ目を閉じて、心を落ち着けると、私は顔を上げ、微笑んで九郎さんをまっすぐ見返した。
「――わかりました。もう、笛の事で九郎さんに謝るのはやめにします。
でも、なにか私に出来る事はありませんか?
お詫びじゃなくて……私のために奉納してくれたお礼として、九郎さんに何かをかえしたいんです」
我ながら、ものは言い様だと思う。
でも、どうしても九郎さんのために、何かをしたかった。
その名目がお詫びでもお礼でも、私にとっては、たいした問題ではなかった。
九郎さんは困惑していたけれど、少し考えてふと表情を和らげた。
「――それじゃ、ひとつ舞を見せてくれるか」
「え……」
「神泉苑で見せてくれたお前の舞は……その……美しかったからな。
機会があればもう一度見たいと思っていたんだ。……嫌か?」
「とんでもないです!……でも、そんなことでいいんですか?」
「『そんなこと』どころか、白龍の神子に舞を舞ってもらうなんて、かなり貴重なことだと思うぞ。
今度は雨乞いの儀式でもないし、後白河院の手前という立場もない。
だから、ただ俺のために舞って欲しい。……俺ひとりのために。
――とても贅沢な願いだろう?」
柔らかく笑ってそう言われて、私に断れるはずもなかった。――断る気も、なかったけれどね。
笑顔にドキッとしてしまったのがちょっとだけ癪だったので、私はにっこり笑って反撃を試みた。
「舞うのはいいですけど、音楽がないと。
――楽の代わりに九郎さんが歌、歌って下さいますか?」
「……………俺は、今様(いまよう)は、不得手だ」
「だめです。九郎さんの苦手は、信用できませんから」
くすくす笑う私に、九郎さんは、しまった、というように顔を顰めたけれど、
それでも……舞を舞わせるのを取り消すとは言い出さなかった。
私は舞扇を胸元から取り出すと、畳んだままのそれを胸の前で軽く握り締めた。
初めて人前で舞うわけでもないのに、いざ舞おうとしてるのを九郎さんに見つめられると、
何故か動悸が止まらなくて困ってしまう。
「白龍の神子の舞か……。あの『白竜』で楽を奏でてやれれば、少しは格好がついたかもしれんな」
俺が歌うよりはましだったな、と苦笑を零して、初めて笛を惜しんだ言葉を呟いた九郎さんに、
私はあえて何も言わず、穏やかな笑顔で返した。
本当はね。なにもいらない。楽も、舞台も、大勢の観客も。――九郎さんが見ていてくれるなら。
瞳を閉じ、冴えた空気を胸一杯に吸い込んで心を落ち着けると、舞扇を広げた。
それに合わせたように、九郎さんの歌声が、宵闇に吸い込まれるように広がっていく。
立派な舞台も、楽の音もないけれど、これほど満ち足りた想いで舞を舞ったのは初めてだと思う。
――雨乞いのためでも、神のためでも、立場のためでもなく……ただ、九郎さんのために。
そのことに、何故こんなに満ち足りるのか、
九郎さんの眼差しが、何故ときにこんなに心を乱すのか、
このときの私にはまだ……分かっていなかったのだけど。
厚くかかっていた雲の隙間から、ひとときだけ月が顔を見せた。
刹那の月明かりに照らされる神域の森の中で、
さわさわと、風に揺れる樹々の葉擦れの音が、楽の代わりとでも言うようにふたりを包んでいた。
100のお題、No.12「音楽」。転じて笛ネタ。
九郎が新熊野権現に笛「白竜」を奉納するというイベントをみて、つい書きたくなった話です。
別名ツッコミ創作。
笛を吹きながら五条大橋に現れる牛若丸って、イメージとして定着してるじゃないですか。
笛まで貰っているのに、笛の心得がないとなー!?
それを熊野くんだりまでわざわざ持ってきて、さらに持ち歩いてるとなー?!……いや、それ、嘘だろ?と。
……いや、別に、ほんとに笛の心得のない義経でもいいんですけどね(笑)ていうかそっちのほうがとっても地の青龍らしいですけどね!(核爆)
しかし、自分で書いときながらなんですが、私、舞の心得はありませんが、それでも音楽無しでいきなり今様で舞うのはかなり難しいと思います。(なら書くな)
敦盛に笛を吹いてもらって笛の音で舞うという展開も考えましたが、花の窟のイベントと被っちゃうので却下(笑)
田辺の新熊野権現(現代の闘鶏神社)に、義経の龍笛「銘白竜」が奉納されてるのは本当です。
ちなみにこの闘鶏神社の名前の由来は、源氏と平家の両軍から加勢を依頼され、どちらにつくか判断に迷った熊野別当藤原湛増が、その息子の武蔵坊弁慶と一緒に、赤と白の鶏を戦わせ、源平の戦の趨勢を占ったことからだそうです。
ついでに、鞍馬で突然現れた天狗に、牛若丸が笛を構えたのも、伝承として残っていますよね(笑)
追記。
いろんなサイト(遙か以外も)を回っておりましたら、判明しました新事実。
笛の音で舞を舞うのは無理なんだそうです(笑)舞と笛では、拍子が違うので笛に合わせると舞手は転んでしまうそうです(苦笑)
花の窟のイベントは、実際には不可能なんですね〜(笑) 今様はもっと無理だろうな(笑)