君に捧ぐ
アシュヴィンの目の前で、千尋は飽きもせず花をいじって遊んでいた。
生けた花瓶から1本抜いて、くるくると回したり、香りを楽しんだり、頬に軽く触れさせたり。
また花瓶に生けなおし、また違う花を引き抜いて。
子供のような笑顔を見せたかと思えば、唐突にひどく優しい愛おしげなまなざしの『女』の貌を見せる。
目まぐるしく変わるすべての表情は、たった十数本の白い笹百合の花が引きだしたものだ。
「そんなに嬉しいものか」
「嬉しいわ」
長椅子に身体を凭れかけながら頬杖をついて零された言葉に、くるりと振り返って笑顔で即答が返る。
笹百合の花は二人の間では特別な意味を持つ。
アシュヴィンとて、この花にまつわる思い出は忘れ難い。
なにより愛しい妃の笑顔が見られたのは重畳だ。
殊の外の喜びように驚きはしたが、悪い気がするわけもない。
それに、と千尋は言葉を継いだ。
「アシュヴィンが、私のために摘んできてくれたものだもの」
ことの始まりは、数日前にさかのぼる。
皇妃の―――つまり、千尋の誕生日が近いということで、次々と根宮には献上の品々が贈られてきていた。
むろん、公式にも祝賀の宴を執り行うことは決定事項だ。
だがそれはあくまで「皇」から「皇妃」への祝いだ。
初めて迎える千尋の誕生日。皇としてではなく、ただのアシュヴィンとして千尋に贈り物をしたい。
「お前が望むなら、部屋一面を玉や黄金で埋め尽くしてやることだって容易いのだがな」
「そんなのいらない」
「だろうな。お前ならそう言うだろうと思った」
宝飾も衣も千尋の興を引くにはいささか弱い。
それらを嫌うわけではないが、千尋は自らを着飾ることにさほど頓着をしない。
王族として恥じぬ程度の装いはするものの、それ以上を好んで求めることはない。
贅に溺れぬのは千尋の美点のひとつだが、いざ愛妃の興を引こうとするときにその安易な選択肢は封じられる。
「玉環金紗を捧げて寵を得られるならば造作もないのだが。
さて、我が妃殿は、何をお望みだ?」
改めて問うてみれば、千尋は思いのほかそわそわと動揺を見せる。
言葉にしようと口を開けては思いとどまり、ちらちらと視線を投げながら、様子を見ている。
ない、と答えられたらこちらもお手上げだったが、千尋の様子を見るに、何かしら希望がありそうだ。
「……呆れない?」
「聞いてみないことにはなんとも答えようがないだろう」
もっともな正論に、千尋はうっと詰まる。
言葉にならない声を口の中でもごもごさせて、言うか言うまいか逡巡している様子が見て取れた。
こういうときに答えを急かしても逆効果だと今までの千尋との付き合いで学んだアシュヴィンは、葛藤の海でぐるぐるしている千尋の答えを根気強く待つ。
そして、ようやく思い切って千尋はぼそぼそとそれを口にした。
「少女趣味が過ぎるかなって……思ってたんだけど……」
口にするのは憚られていたのだが、ささやかな夢があったのだ、と。
そして冒頭の光景に戻る。
「誕生日にね。好きな人から、歳と同じ数の花の花束をもらうことが、夢だったの」
あの時と同じ言葉を、千尋は繰り返した。
好きな人から、という言葉にまたしても浮き立つ自分の感情がくすぐったい。
するととたんに二人の間の距離がもどかしく感じて、アシュヴィンは長椅子に凭れさせた自らの身体をずらし、隣を開けた。
微笑みは千尋に向けたままそこをぽんぽんと軽く叩くと、心得たように千尋は隣にすとんと座る。
千尋は手にしている笹百合の花に、愛おしげにそっと口付けた。
「誰かに命じて用意させた一面の贈り物よりも、手ずから摘んでくれた一本の花のほうが嬉しいわ」
「―――そうか」
本当にうれしそうに微笑む妃の姿に、アシュヴィンも笑みを深くする。
花がほしい、との希望に応えるために、忙しい時間の合間を裂いて自ら笹百合の谷まで出向いた甲斐は充分すぎるほどにあった。
千尋の手から、笹百合の花をついっと抜き取ると、かつてしたように、千尋の金の髪にその花を挿す。
唐突に花を取られて驚いた千尋も、思い出に重なるそれに幸せそうに笑った。
あのころは結いあげられていた髪は今では肩よりも短くなったが、頬に触れるアシュヴィンの指にさらさらと遊ぶそれはいささかも千尋の美しさを損ないはしない。
あの時とは、本当にいろいろなことが変わった。世界も、国も。互いの立場や、二人の関係も。
けれど、変わらぬものもある。
今もなおアシュヴィンの心は、このたったひとりの少女に惹かれたままだ。
「さて、来年は何がほしい?」
アシュヴィンの問いに、千尋はきょとんとした表情を浮かべる。
そして、物寂しげな表情に瞬く間に変わっていくものだから、アシュヴィンをたやすく狼狽させる。
「な、なんでそんな顔をする」
「……来年は、摘んできてくれないの?」
戸惑うアシュヴィンに告げられた千尋のつぶやきに、后の望みを汲み取る。
「来年も、花がほしいのか?」
そうじゃなくて、と拗ねてそっぽをむく千尋を後ろから抱き締めた。
千尋、と言葉を促すと、拗ねていた花嫁も、温かい腕と、優しい抱擁と、なにより真剣に見つめる夫の瞳に絆されてか、あのね、と漸う口を開いた。
「『来年も』じゃなくて……いつまでも、よ。ずーっと。
……私が、しわくちゃのおばあちゃんになっても、ずっと。
60歳になっても、70歳になっても、80歳になっても」
言い募る千尋に、アシュヴィンはふっと優しい笑みを口の端に刻んだ。
アシュヴィンの脳裏に、柔らかな情景が浮かぶ。
陽だまりの中、満面の笑顔を向けてくれる妃に贈る、手ずから摘んだ腕いっぱいの笹百合の花束。
風に揺れる笹百合は、年を重ねるごとに1本、また1本と数を増す。
木々が年輪を重ねるように、共に過ごした分だけ増えていく愛の形。
―――それは、なんと幸せな情景だろう。
愛しさが、胸にあふれる。
千尋を抱き寄せる腕に思わず力がこもり、その光のような髪に顔を埋めて、アシュヴィンは笑った。
アシュヴィンの息が首筋を擽り、千尋もくすぐったそうに笑いながら身を捩る。
「―――ああ。
年を追うごとに、持ちきれなくなるほどの花の束を抱えさせてやる。
その時になって持てんという苦情は受け付けんぞ?」
「言わせてみせて」
楽しそうに、嬉しそうに、くすくすと千尋は笑う。
「まったく、口の減らない妃だ。そんな口は」
「―――――」
そして、部屋には静寂が降りる。
二つの影は、寄り添ったまま。
開かれた窓からは、心地よい風が吹き抜けて、薄い紗幕を音もなく舞わせてゆく。
花瓶の中の笹百合が、風に揺らされて微かな葉擦れの音を立てた。
誕生日に歳の数だけの花束…。わーい書いててむずかゆかったデース☆
とにかく徹頭徹尾いちゃこかせたかった!
記念日をネタにしたかったので、千尋の誕生日にしてみました。
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