風花の誓詞



――真白き清浄な雪よ――降れ。もっと降れ。
俺の胸に巣くう黒き澱みをも、真白に染め上げてくれ…。



気の流れを無理に留められた秋の反動か、例年に比べ幾度も雪が降る。

白く煙る京の空を見上げて、ちらつく風花の中、愛馬を走らせる。
氷の粒が手綱を操る手を覆い、冷たく肌を切るような寒さの中、
風を切って駆け続ける。何かを振り切ろうとするかのように。


「どう、どうっ!」

手綱を強く引き、馬の足を止める。

その昔には威風堂々たる姿を晒していただろう、羅城門。
その跡地まで馬を走らせて来た俺は、形ばかり遺っている石段に腰掛ける。
羅城門跡ではなく、往来をしばし見据えていた。


――あいつに…花梨に出逢ったのは、ここだったな。

瞼の裏に、初めて出逢ったときの情景が蘇る。
先程のように馬を走らせていた先にいて、危うく怪我をさせるところだった。
京では珍しい装いをした、年の頃は十五、六の少女。

――風変わりな娘だとは、思った。
だが、ただの娘だとも思った。

――ほんとうに、そうであったならばよかったのに。


神子と八葉――…そういった間柄となったのは、
幸いなことなのだろうか。それとも嘆くべきことなのだろうか。
護るのは――八葉だから。護られるのは――神子だから。
そんな言い訳が出来ることが…俺にとって幸だったのか不幸だったのか。

神子だ八葉だと言っても、市井の男女とそう変わるものではないのに。


あいつが「龍神の神子」として立派にやっているのを認めながらも、
――…どこかで、それを認めたくない己に気付いたのはいつのことだろう。
護りたいのは「神子」でなく、ただ「花梨」なのだと、自覚したのはいつだろう。
微笑みを向けてくれることに、心が暖かくなっていくのを感じたのは?
あいつとのささやかな逢瀬が楽しいと…幸せだと思うようになったのは?

――――………あいつを、愛しいと想ったのは……――



気が付けば、始終あいつのことを考えている。
まるで腑抜けになったかのように、花梨のことばかり。

…けれど俺はあいつのためならば、劫火の中をも渡っていけるだろう。
あいつを護るために、命を賭すことができる。
花梨の傍にいるときには、もう、あいつ以外なにも見えない。
――――………俺自身すら、見えない。


花梨…お前のためなら、なんであろうと出来る。
けれどすべてが終わったら、お前は天へ還ってしまうのか?
…お前がいなくなるなんて、考えたくもない。

お前のいない俺の人生など……もはや考えられないのに。


俺の脳裏に、つい先日の物忌みでの花梨の様子が蘇る。

今にも儚くなってしまいそうな、頼りない華奢な身体。
――…まるで大気に溶けるかのように、どこか虚ろな様子で…――


背筋に、ぞくりとしたものが走る。
それはけして舞い散る雪のせいだけではなく。
気が付けば、ぎり…っ、と血が滲むほど拳を握りしめていた。

――――失いたくない――失ってたまるか!


俺は白く風花の舞い散る空を見上げる。
雪は天を煙らせ、地を覆い、なにもかもの姿を変えていく。

天からの言霊のように、静寂の中、しんしんと降る雪。
――今ならば、天に声が届くだろうか?

――龍神よ。もしも俺の声が聞こえるのならば、聞き届けてくれ。
俺の命をくれてやる。
だから……だから、花梨をつれて行かないでくれ……。

俺の命ひとつであいつの無事を手に入れられるなら…こんなに安いものはない。



花梨は優しい娘だ。
俺が今の願いを言葉にすれば、きっと少し顔を俯かせて、
哀しげに『自分を犠牲にしないで』と呟くのだろう。
人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう、優しい娘だ。

…花梨は優しい。
だがそれは、俺にだけではなく万人に向けられる優しさだ。
敵対したものにも、躊躇いなく手を差し伸べる。
俺にはない、慈愛の優しさ。

――そして俺は、その慈愛が小憎らしくてたまらない。


俺は少々収まりの悪い自分の髪を、ぐしゃぐしゃと掻き回した。
座り込んでいるうちに髪についた雪の欠片が、ぱらぱらと散る。


お前を護るのは俺の役目だ。
その白い手をとるのは、俺だけがいい。
その微笑みを俺だけの物にしたい。
俺を見ろ、俺だけを。


―――……この腕に閉じこめて、他には何も見させないように出来たら……。


醜い嫉妬。どす黒い独占欲。

行き着いてしまうその闇に捕らわれそうな想いを、
勢いよく首を横に振ることで振り切ろうとする。


こんな想いを抱いてしまう俺は、咎人だろうか。

死して骸となれば、この狂おしい想いも朽ちるのだろうか。
それとも来世へとこの罪業を抱えることとなるのか。

――来世――そこに、あいつはいるのか?

傍らにいることの出来る今でさえ、己の起源とする世界を異にしているというのに。



――何故、出逢ってしまった。何故、惚れてしまった。
あの時この場所で出逢わなければ…、或いは、神子があいつでなければ…、
このような物思いとは無縁でいられたろうに。
…けれど出逢わなければ、俺の心はこの雪のように凍てついたままだっただろう。


花梨に惚れたことは後悔していない。出来るわけがない。
あんな女は他のどこにもいない。


愛しい、愛しい少女。

想うたび身体が熱くなる。
俺の心に、焔を燃えさからせる。
獣のような衝動に、身を任せたくなる。


京の街を白く染め上げる雪に、そっと腕を伸ばす。
掌に落ちたひとひらの風花はすうっと溶けて透明な水となる。

――真白き清浄な雪よ――降れ。もっと降れ。
その清らかさで、俺のこの愚かしい劣情を鎮めることが叶うなら…。


俺は、天から降り続ける雪をしばし見つめ続けていた。




――幾刻、そうしていただろうか。

ひん、と愛馬の嘶きが聞こえ、はっと俺は我に返る。
雪の降る中にいたのは俺だけではなかったことを失念していた。

「…悪いな、俺につき合わせちまって。
…いいかげん、俺の頭も冷えたろう。――帰るか」

俺は馬の手綱を取ると、羅城門を後にする。

向かうのは俺の屋敷のある左京八条…のはずだった。
八条大路を駆けていると、愛馬の足並みが緩み出す。

「…おい、どうした?」

訝しんでいると、馬は急に脇の小路へと進路を変えた。
この小路がどこに出るか、嫌と言うほど知っている。
…俺は、苦笑を零さざるを得なかった。


愛馬が紫姫の舘の前でその足を止める。
幾度か花梨を乗せるうち、こいつは花梨に懐いてしまった。
そして俺自身、最近は花梨に会わずに八条の館に帰る日の方が少ないのだ。

「まったく、勝手にここまで走りやがって…。
――…お前の方が、俺より余程自分の心に素直だな」

俺は苦笑を浮かべながら愛馬の背を優しく撫でる。
だが、花梨に会いに行くわけにはいかない。
今あいつの顔を見てしまったら、心を鎮めにいった意味がなくなってしまう。

俺は屋敷と路を隔てる築地に凭れかかると、
雪が降り続け、すでに薄暗く翳りだした天を見上げる。

花梨には会えない。けれど今さら八条の屋敷に戻る気も起きない。

――飽きるまで、ここで雪見をしているのも一興かもしれないな。



ふわ、と微かに香が薫った。

「――勝真さん!?」

いつしか聞き慣れた耳に心地よい声が、俺の耳朶を打つ。
振り返れば、門扉から駆け寄ってくる華奢な少女の姿があった。

「――花梨…?何故…」

「勝真さんの馬の声が聞こえた気がして…。
――やだ、勝真さんの腕、こんなに冷たい!
雪降ってるっていうのに、いったい何時間外にいたんですか!?」

雪と冷気で冷えたはずの俺の身体が、
俺の葛藤を何も知らぬ花梨が触れたことで、また熱を持ちだす。


知らぬということは、時には罪だ。

理性の手綱を手放させたのは、お前のせいだ…

「あったかくしないと風邪ひきますよ!
とにかく中に入って、勝真さ――きゃ!?」

俺の腕を掴んだ花梨の、その白く細い手首を逆に掴み、
軽く力を入れて引くと、華奢な花梨の身体はそれだけで
ぽすん、と俺の腕の中に収まった。

花梨の腰にもう片方の手を添えて抱き寄せる。
耳にかかる髪を掻き上げ、びくりと震える花梨の耳元にそっと口を寄せる。

「――お前が、暖めてくれればいい」


抱きしめたその身体から、微かに薫る、梅花香。
――花梨が好んでその香を纏ってくれることが、俺を少し自惚れさせる。

「――か、勝真さんっ!」

頬を染めて困惑した声を出しながらも、
――抱きしめている俺の腕を、拒絶しない花梨。


…ああ、頼むから俺に期待をさせないでくれ。
貪欲になってしまう。際限なく求めてしまう。
いつか本当に理性を失って、お前のすべてを暴いてしまう。

惚れた女の傍にいられて、護る力がある。それの何が不満だ?
――だめだ、これ以上を求めるな。
張りつめた糸のような危うく脆い絆を、自分で断ちきるな。
――――理性では、そうわかっているのに。


うなじを包むように、手を花梨の髪の中に滑らせる。
ぎゅっ…と、花梨を抱く腕に知らず知らずに力がこもる。
花梨は少し苦しそうに呻いたが、俺の腕を振り解こうとはしない。
腕の中の、心地よいぬくもり。芳しい香り。頬を染める仕草。微かに漏れる吐息。
それらのすべてが、俺の理性を揺らがせる。


「――拒めよ。お前が嫌がるなら、離してやれるから…」

花梨は困ったように俺の腕の中で身じろぎをする。
すっと視線を逸らして、頬を染め上げた。

「……そんなこと言われても…やじゃないから…嫌がれないもん…」

――――………もう、理性の制御なんて利くわけがない。
次の瞬間、気が付けば俺は花梨の柔らかい唇を奪っていた。



「…ん……っ、ふぁ…んっ…」

暖かく、柔らかく、酔いしれそうに甘い唇。
幾度も幾度も、啄むように浅く、また絡みとるように深く。
少しだけ苦しげに、だが甘く漏れる花梨の吐息が、俺を追い立てていく。


心地よく、そして愛しすぎて手離せない温もり。
今、俺の腕にいる愛しい存在が、消え去ってしまうかも知れぬ恐怖。

行かせない。渡さない。離さない。
――お前がいなくなるなんて、絶対に許さない!

「…勝真…さ…ん…」

頬を上気させてすっかり力の抜けてしまった花梨の、
その細く華奢な身体を支えるように、強くかき抱く。

「──何もかも捨てて、お前を攫って逃げられたらいい…。
どこか、誰も知らない場所で…二人で…。
そうしたら、お前を奪われずにすむのか…?
誰にも…龍神にも…お前の世界にも…っ!」

花梨の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。

「…勝真さん…!」


「…俺は…お前を失うかもしれないのに、何もできない…!」

「……………」

降り続ける雪の織り成す静寂が二人の間に落ちる。
花梨の指が、俺の頬にそっと触れた。

「…勝真さん…。…大丈夫。きっと大丈夫だよ。
だって、勝真さんがいてくれるもの」

「…花梨………?」

「勝真さん、あの物忌みのとき、言ってくれたでしょう?
『ずっとお前のそばにいてやる。
消えてしまいそうになったら俺が取り戻してやる』って。
あのとき、龍神様の声から私を引き戻してくれたのは勝真さんだよ。
だから何があっても、私は勝真さんのもとに還るの…絶対に」

花梨は俺の着物の裾をきゅっと握り締める。

「私の居場所は……勝真さんのそば。
初めて京にきたときからずっと。きっと、これから先も…。
…………もちろん、傍にいるのを勝真さんが許してくれたら、だけど…」


俺は、信じられない思いで花梨を見つめた。

――俺は、自分に都合のいい幻を見ているのではないのか?


頬を染めて眼差しを逸らした花梨を、いっそう強く抱きしめる。

「……許すどころじゃないだろう…。…望むことすら、諦めていたのに…。
………いいのか?…本当にお前を離せないぞ。
元の世界に帰りたいと言っても、俺が嫌いになったと言っても」

花梨がそっと俺の背に手を回す。
俺の背でその小さな手がきゅっと握り締められたのがわかる。

「…生半可な想いで、残ると言ってるなんて思わないで」

「…ああ…そうだな」

俺は花梨の頬に手を添えてそっとこちらを向かせると、
もう一度ゆっくりと、深く唇を重ねた。


「………生涯かけて、お前を護る。
他にはなにもいらない。何も欲しくはない。
欲しいのは花梨だけだ。お前だけが、愛しくてたまらない…」




冷気は冴え渡り、風花は鮮やかに舞い散る。
だが互いの腕に抱かれ、胸のうちの焔を燈しあった者には如何ほどのこともない。
凍てつく風の刃も、俺の想いを凍りつかせることはもはや叶わない。

――…お前がそうと望むなら、
この狂おしい想いでお前を抱こう。
燃え盛る心の焔に身を委ね、心のままにお前を愛そう。

お前のそばにいられるなら、何を捨てても惜しくない。



風花の舞い散る京の街で、人知れず交わされた誓い。
それは決してたがえることのないもの。

今ひとたび、俺は天に誓う。地に誓う。すべてのものに誓う。


この愛しい少女を、俺の生涯のすべてをかけて愛し護りぬくことを………


勝真さんの誕生日に間に合うようにと書き上げた、初の勝真×花梨創作です♪
文章は相変わらずまとまりがなくて読み返すのも結構はずかしいのですが(苦笑)。
遙か2は召還直後に会う八葉が選べるのがよいですね(笑)!
帝編では序章の相方は勝真、一章ももちろん勝真、でした(笑)。
二章の相方は最初頼忠でしたが、一度帝編で心のかけら集めてイベントを全部見てからは、
乳兄弟との交流を少しでも増やしてあげようと、最初からやり直して二章の相方はイサトなデータに書き換えました(笑)。