門出
「――ほら、望美。じっとして」
窘めながらも、どこか楽しそうな、朔の声が弾む、几帳の奥。
「今夜の主役は望美ですものね。私に任せておいて。
九郎殿を惚れ直させるくらいに、綺麗に仕上げてみせるわ」
「う……うん」
その言葉に、望美は思わずぽっと頬を染めて俯いてしまう。
飾り帯はこれ、口に引く紅はこれ、と、うきうきと小道具を選んでいく朔。
俄然積極的なその姿を見ていると、どちらが今夜の主役だかわからない。
―――そりゃ、私だって、嬉しくないわけじゃないのだけれど………。
展開が急すぎて、実感が伴ってないとうのが望美の本音である。
―――だって……九郎さんとの祝言、だなんて。
白龍や朔、八葉らの手助けをうけ、鎌倉を逃げ出した望美たち一行は、
おいそれと頼朝さんたちも手は出せないだろうとのヒノエや弁慶の薦めもあって、追っ手をなんとか捲き――熊野へと到達していた。
いつまでも甘えるわけにもいかないが、逃げまどうことを覚悟していた一行には、人心地つく場所が必要だった。
結局源平の合戦に参戦しなかった熊野は、いまだ緑深く、潮風は薫り、市は賑わい――以前と変わらない熊野の姿。
人々の何でもない営みが、戦でささくれだった心を癒し、ひとときの安息をもたらしてくれた。
福原の戦が始まる前の――みなが、まだ何も知らずに笑って傍にいられた、あの頃のように。
そんな穏やかな日々を盛大にひっくり返した、今朝の朔の一言。
揃って朝餉をとっていた時に、にっこりといつもの微笑みを浮かべながら投下された爆弾発言。
「望美、これから祝言をするから、準備をしてね」
「……祝言……て、えーと……あ、結婚式?誰と誰の?」
「いやね。あなたと九郎殿の、に決まっているじゃないの」
「あーそうなんだ…………って、えええええっ!?」
驚きのあまりに箸を取り落とした望美の視界の端で、九郎は吸い物を思い切り吹き出して咽せ込んでいた。
「……さ、朔殿、突然何を……」
ごほごほと咽せながらも、なんとか呼吸を整えて九郎がようやくそう問いただすが、、
答える間もなくまわりに控えていた八葉全員が総出で九郎を部屋から連れて行こうとする。
「さー、九郎。君はこっち♪朔、望美ちゃんのこと、よろしくねー」
「野郎を着飾らせても楽しかねぇが、望美のためだからな」
「お、おい、お前ら!」
「九郎殿。神子のためにここは腹を据えるべきだ」
「まったく、往生際が悪いですねぇ。さ、いきましょうか」
呆然とする望美の視界の端で、九郎は返事に困ったまま七人がかりでずるずると引きずられて行ってしまった。
――で、まぁそんなわけで、今のこの状況に至るわけなのだけれど。
「神子様方。本宮からのお届け物でございます」
几帳で隔てられていて姿までは見えないが、間借りしている社に詰める女房の女性が部屋を訪れて声をかける。
朔が心得た様子で几帳の向こうへ姿を消し、戻ってきた彼女の手には、布で丁寧に包まれた荷物があった。
包みがとかれたその中には、素人目にも上質とわかる着物が何枚も収められていた。
用意されたその衣(きぬ)に袖を通す。
朔が言うには、一番上の衣が濃くて、下の衣ほど薄くなっていくそれは「匂いの襲ね(かさね)」と言うそうだ。
望美の着物の袷を整えながら、朔は、ごめんなさいね、と呟いた。
「急な話で、驚いたでしょう?
でも、いつ追っ手がこないとも限らないし……望美は、元の世界に帰るかもしれないと聞いていたし」
「朔……」
「だから、熊野で落ち着いた生活が出来ているうちに、あなたたちのことを祝福してあげたかったの。
私たちの手で、盛大に祝ってあげたかったのよ。
九郎殿にも黙っていたのは悪いと思ってるけれど、九郎殿のあのご気性じゃ、照れた挙句にムキになって断りかねないもの」
確かに、と妙に納得してしまった望美は不覚にもくすくすと笑いを零してしまった。
あの時の九郎は、鳩が豆鉄砲をくらったように驚いていたため、
九郎の差し金でないことは、望美にもわかりすぎるほどわかっていた。
―――なけなしの乙女心としては、どうせなら九郎さんからアプローチが欲しかったなと思わないでもないんだけど……
あの兄上大事の九郎が、その兄に逆らってまでさらってくれたことだけで、平素の彼からすれば充分すぎるほどの意思の表明になろう。
事の次第を飲み込んで、ようやく落ち着いた望美は、今は純粋に、みなの好意を受け入れることができた。
一通りの装束を身につけ終えて、唇にも紅をひくと、最後の仕上げに朔が髪を梳く。
いつも後ろに流すだけの髪を華やかな簪で纏めると、朔は満足そうに笑った。
「綺麗よ、望美」
渡殿を歩く足音が、部屋の手前で止まると、弁慶が声をかけてきた。
「朔殿、望美さんの御支度はいかがですか?」
「ちょうど出来上がったところですわ。お入りになって結構よ」
その言葉に応じて几帳の横からひょいと顔をだしたのは、弁慶だけではなかった。
「やあ、姫君。思った通り綺麗だ。九郎のところにやるのが惜しいね。
――どう?今からでも俺の所に嫁ぐ気はない?喜んで迎えるよ」
「やめておきなさい、ヒノエ。九郎の耳に届いたら、冗談でも斬られますよ」
「姫君のためなら、命張っても構わないんだけどね」
「――もう、ヒノエくんたら、いっつもそんなことばっかり」
くすくす、と笑う望美に、ヒノエくんはちぇっ、振られたか、と笑い混じりに呟いた。
「熊野での祭事だから、斎主は神職である俺がやる。巫女は朔ちゃんに頼んでるから」
儀式の段取りと、花嫁がすべき作法の簡単な説明を終え、朔に対しても二,三連絡事項を伝えると、
ヒノエは円座に胡坐で座って、くつろいだ様子で二人の神子を眺めていた。
「熊野自慢の唐渡りの品々も、姫君の美しさで霞んじゃうね。
――やっぱせめて衣装くらいは、俺が選んどきゃよかったかな」
朗らかに笑うヒノエのその言葉に、望美は合点のいかない様子で首を傾げる。
「……?……でも、この衣装、全部熊野で準備してくれたんでしょう?」
「衣装そのものを準備したのは、確かに熊野ですが、祝言に使う衣は、その中から先刻九郎に選ばせたんです。
――衣装が届いたのは、ついさきほどだったでしょう?」
弁慶のその言葉に、望美は思わず絶句して自分の纏う衣装をまじまじと見つめてしまった。
「最初は、自分には衣の良し悪しなどわからないから任せるって言ってたんですけどね。
ヒノエが一言つついたら、突然にやる気をだしまして」
「――まあ。ヒノエ殿は、なんておっしゃいましたの?」
「たいしたことは言ってないよ。
ただ、『惚れた女の肌を、他の男が選んだ衣が包んでいいのかい?』――ってね。
――いやぁ、覿面に効いたね」
「言われた途端に僕の手から衣を奪い取った、あのときの九郎の顔、ぜひ望美さんにも見せたかったですね」
頬が真っ赤に染め上がったのが、鏡を見ないでも分かるほど、望美は顔の熱を自覚した。
照れくさくて、でもものすごく嬉しくて。
――頬が、熱い。
「わ、私っ、時間までそのへん歩いてますねっ」
望美は我ながら不自然だと思う上擦った声でそう言うと、真っ赤な顔を隠すように弁慶たちに背を向けて、その場から逃げ出した。
その場に残された形となった3人は、分かりやすいほど狼狽した望美の様子に、
しばし呆然としたのち、たまらないというように笑いだした。
「まったく、二人とも、純真といいますか、不器用といいますか」
「そりゃあんたから見れば、大方の人間は純真だろうさ」
「ほんと、微笑ましいこと。―――だからこそ、誰より幸せになって欲しいわ」
朔の言葉が、二人の表情に微細な変化を生むが、
二人と話しながらも、飾り紐や簪を螺鈿の箱に丁寧にしまっていた朔は、その変化に気づかずにいた。
「―――ああ、そうだ。朔ちゃん。あとで、君にも衣装を届けさせる予定だから、そのつもりで」
「え?……ああ、そうね。小なりとはいえ神事ですもの、
巫女をやる者が僧服のままというわけには参りませんわね」
「……それもあるけどね」
「はい?」
「いや、なんでもない。じゃあ、そういうことでひとつよろしく」
「―――では、僕もお暇いたしますね。また、のちほど」
退室し、対屋からは姿も見えぬほどに歩を進めたのち、弁慶は前を歩く甥に厳しい声音で声をかける。
「―――ヒノエ。彼女に浮ついた気持ちで秋波を送るのはやめておきなさい」
「浮ついてるか本気かは、俺が決めることだ。あんたに口出しする権利はないと思うけどね」
振り返りそれだけ言って、再び踵を返すヒノエに、弁慶はしばし無言でその後姿を睨み付けた。
後刻、朔は届けられた衣装に添えられた煌びやかな宝飾類に、ヒノエの真意を測りかねて困惑することとなる。
部屋から逃げ出した望美は、気を緩めると引きずりそうになってしまう衣装に難儀しながら、社を抜け出した。
「うー……、頬が熱いよ〜」
儀式の刻限までには頭を冷やさねばと、涼を求めて敷地を巡る。
規模はごく小さいながらも人工的に作られた小川のそばで、腰掛けるのに都合がよい大振りの庭石を見つけ、腰を落ち着けた。
さわさわと揺れる木立の葉擦れと、さらさらと流れる川のせせらぎに耳を傾ける。
そうしているうちに水際の涼やかさも手伝って、頬の紅潮は漸く治まってきたかに思えた。
「頬の赤みも、そろそろ取れたかな……」
小川の水面を鏡代わりに覗き込み、顔色を確認する。
そんな矢先。
「―――望美?」
じゃり、と砂利石を踏みしめる音が響いたと思った瞬間聞えた声に、びくりと身体が反応する。
「く、九郎さんっ!?―――って、きゃあ!?」
不自然な体勢で振り向いた拍子に、バランスを崩す。
目をぎゅっと瞑って転倒を覚悟したが、次の瞬間、ぐっと強い力で腕を引かれる。
逆方向に身体が移動したと思うと、どん、という衝撃とともに、男性の匂いに包まれる。
恐る恐る目を開くと、視界いっぱいに広がる九郎の正装姿。
気が付けば、九郎に抱きかかえられる形で地面に二人して倒れている。
認識した途端、落ち着いていたはずの動悸が再び激しい音を奏でだす。
「望美……おい、大丈夫か?」
固まってしまったその状態をどう解釈したものか、心配そうに覗き込んでくる九郎に、
ようやく我に返った望美は、慌てて九郎から離れる。
「ご、ご、ごめんなさい、九郎さんっ!」
「かまわん」
「でも、下敷きにしちゃって、服まで汚しちゃって」
「気にするな。こんなもの、叩けばおちる。お前が無事ならそれでいい」
その笑みに、望美はふと安堵を覚える。
(あ、いつもの九郎さんだ)
穏やかで、暖かく、春風渡る草原のような。
―――大好きな、笑顔だ。
ふふ、と思わず微笑んでしまう望美に、九郎は訝しげにこちらを見やる。
「何を笑っているんだ」
「うん、やっぱり、九郎さんは笑顔が素敵だなぁって」
「―――っ。なっ、なにを、いきなり」
途端、真っ赤になって顔を背けてしまう初心さも、いつもの彼のもの。
言葉を紡ぎかねるほど動揺した九郎と、この空気を壊したくない望美とが、
互いに口を閉ざし、しばし、二人の間には無言の時が流れる。
その静寂を破ったのは、九郎であった。
「―――お前、いいのか」
「……なにが、ですか?」
問いの意味が分からぬ望美が、首をかしげて戸惑うと、
九郎は二、三度何かを言おうと口を開けたり、閉ざしたりを繰り返す。
ややあって、漸く腹を据えたのか、真正面から望美に向きあった。
「――俺は、武骨者だ」
突然の言葉に、望美は瞳をぱちくりさせる。
「血気に逸りやすくて、口煩くて、女心の機微とやらにも疎い。
気の利いたことのひとつも言ってやれない。
もはや、源氏の名も捨てた身で、地位も誉れも与えてやれない」
「……九郎さん」
「今の俺が与えてやれるのは、なにもない。あるのはこの心ひとつだ。
それなのに、お前を手放したくないと願ってしまう、傲慢な男だ。
……それでも、いいか。こんな俺でも、いいのか」
意外といえば意外な問いに、望美はしばし答えを返し損ねる。
「――ばか。」
ようやく口をついて出たのは悪態の言葉。
だが、その内容とうらはらに声音は感情に震えて。
望美は、ぽすん、と九郎の腕の中にその身を滑り込ませる。
九郎は、壊れ物を扱うかのように優しく望美の身体を抱きしめた。
九郎の胸元に頬を寄せると、ぽん、とその胸に軽く拳を叩きつけた。
「九郎さんてば、そんなの今更な話だよ。
地位とか名誉とか欲しがる女だって、本気で思ってたんなら、その頬ひっぱたくわよ。
そんなの欲しくない。九郎さんがいてくれれば、それでいいの」
「俺で、いいのか」
「ばかっ!九郎さんでいい、じゃない。九郎さんがいいの。九郎さんじゃなきゃ、ダメなの」
短気で口煩くて、女心がわかってなくて、口下手で素直じゃなくて。
でもまっすぐで、嘘がなくて、義に篤くて、時折不器用な優しさを見せてくれる――そんな九郎さんがいいの。
「俺とともに―――歩んでくれるか」
「ダメって言われたってついてくわ。
突っ走る九郎さんについてける女の子なんて私の他に誰がいるっての」
「違いない。はは、お前も、いつものお前らしくなってきたな」
「―――え、私、いつもの私らしくなかった?」
「あ、いや。その………………綺麗だったからな」
「え?え?今、なんて」
「―――なんでもない!」
教えて教えてと追いかける望美と、なんでもないなんでもないと白をきって逃げ回る九郎。
婚儀前の男女とは思えないその様子を見るものがいれば、ため息をこぼすか、らしいと笑うか。
半刻も過ぎたかと思う頃、遠くから朔の呼び声が聞えてきた。
「あ、そろそろ時間みたい」
「―――行くか」
「はい」
九郎が差し伸べた手に、望美は手を伸ばしかけ―――ふとその動きを止める。
「―――望美?」
訝しげに表情を覗き込んでくる九郎に、望美はにっこりと笑った。
「……ううん、そういえば、私も、すごく大切なこと言ってなかったって思って」
「大切なこと?」
―――あなたが好きですって。
100のお題No.1「始まり」。転じて、人生の門出であり、夫婦の始まりである結婚式。
一度は書いておきたかった日本残留九望。
いや、このあと現代にいったりモンゴルいったりするのかもしれませんが(笑)
書いてて楽しかったのは「その頬ひっぱたくわよ」とか「ダメと言われたってついてくわ」だったり(笑)
――愛は拳で語れ(笑)!なセリフが違和感なく入るカプ、九望!(爆笑)
遙かは苦悩する人には「いいんだよ苦しまないで」な話が多いのですが、ケンカップル九望は強気発言でもむしろそれがハマりまくります(笑)
あと書いてて楽しかったのは小姑予備軍たちの会話とか(笑)あそこはあそこで△だか□だかの関係形成しそうではありますが(笑)