稲妻



初秋の夜空を、黒雲が埋め尽くす。
唸る風と、吹き付ける雨、時折天空を裂く雷が、黒い空を瞬間白く染める。

庭に立ち並ぶ樹々に多少は緩和はされるものの、
それでも歩くことすら難儀を覚えるほどの風雨が回廊にも叩きつけられる。
頑丈な石造りの建物、玻璃のはめ込まれた窓に守られた宮の一室も、風に鳴る窓の軋みは抑えようがない。





「気丈だな。怖くはないのか」

大地を揺るがすほどに轟く雷鳴に怯えも見せず、
窓の外を飽かず眺める千尋の後姿に、寝台に寝そべったアシュヴィンが声をかけた。

玻璃の窓に手を添えたまま、千尋は微笑みながら振り返る。

「昔は少しね。でも……今は怖くないわ」

肩を並べて戦場を駆けたあの頃、天空を裂く雷は幾度となく窮地を救ってくれた白き光槍だった。
鳴神に祝福された彼の傍にいてどうしていつまでも雷に怯えるというのだろう。

向けられた眼差しに乗せたそれを察したのか、アシュヴィンは愉快そうに笑んだ。
寝台から身を起こすと窓辺に近寄り、千尋の肩を抱き寄せながら玻璃の向こうの嵐を見る。
千尋もふふ、と笑って自らの肩を抱く逞しい腕に白い手を添えて、腕の持ち主を見上げた。
この腕が千尋を守り、導き、愛してくれる。この腕の中では、何も不安などない。

「鳴神さまがここにいるんだもの。ちっとも、怖くなんてないわ」





「俺が鳴神ならば、お前は豊穣の女神だな」

「もう、何を言っているのよ」

照れてそむけた千尋の髪をすくいとり、唇を落とす。

「からかっているつもりはないんだがな。心底本音だとも。
晩夏、初秋の嵐は、秋の実りをもたらす先触れ。
………それすらも、この数年は絶えて久しかった」

その言葉に、かつての常世の国土に蔓延した枯れ果てた荒野の情景が千尋の脳裏によみがえる。


「民が自らの口をまつるだけの実りすら、常世の大地から汲み取ることはできなかった。
侵略し手中に収めた豊葦原から搾取されたものでなんとか常世は生き延びてきたんだ。
それを支配と言い換えれば体裁だけは繕えるがな。
あのままであれば、いずれは常世の澱が豊葦原をも道連れにしていただろう」

言って腕の中の妃を見下ろせば、千尋はその美しい蒼穹の瞳を曇らせ、憂いの表情を見せていた。

―――故国を大切に思うこの人が、どんな気持ちで荒れゆく常世を見ていたのだろう。



自らの感情に素直な妃の考えていることなど手に取るように分かり、
アシュヴィンは苦笑いを滲ませながら、金の髪を掻き分け柳眉を顰める妃の額を撫でた。

「こら、そんな顔をするな。もう過去のことだ。
―――言ったろう?お前こそが豊穣の女神と」


秋の風に揺れる黄金の稲穂を思わせる千尋の髪を、アシュヴィンは愛しげに指で梳く。


「他ならぬお前が、常世に緑を、白き日を、せせらぐ水を、大地の実りを呼び戻してくれた」




外の嵐はいまだ収まらず、玻璃の窓は荒れ狂う風に鳴る。
けれど嵐にともなう落雷は、大地に実りをもたらす。

それゆえに、豊かな実りを約束する鳴神を、稲穂の妻―――稲妻と、呼ぶのだ。


「鳴神の妃が稲穂の女神とは、大地の恵みを約束するような取り合わせじゃないか。
女神の寵愛を受けるのがこの身なら、これほどに光栄なことはないな」

おどけて言ったアシュヴィンの言葉を受けるように、千尋はくすくすと笑って夫の頬に手を伸ばした。
褐色の肌に細く白い指が擽るようにすべる。


「―――愛しているわ、アシュヴィン。
あなたと共に、この国を護れることが、とても嬉しい」

「千尋……」


鳴神を眷属に持つ男は、女神に賜った優しく甘美な言葉に誘われるようにその唇に口付けを捧げる。
常世を導く二柱の神は互いの想いを供物として、愛の儀式に酔いしれた。





古語の「妻」は配偶者って意味で、男女の区別はないそーです。
あと雷が落ちると稲がよく育つのは、窒素が定着するからだとか。