生きる場所
「…ならば、残された路は一つ…!」
その最期の一瞬、私を見たレヴィアスの瞳は、翡翠色の左目。
異世界の皇族としての黄金の右目ではなく、
ただの「レヴィアス」、いえ、「アリオス」としての…。
彼は気づいていたのだろうか。
己のしたことが、彼のかつての恋人と同じことであることに。
自分だけの決心で、自分を愛する者を残して逝くことに。
残された者がどんなに無力感に嘆くか、
どんなに癒されぬ喪失感に襲われるか、
…どんなに辛いか。
彼はそれを知っていたはずなのに。
「アリオス…!いやよ、どうして…!?」
声は最早届かない。
私の瞳が、あの人を映すことはもう二度とない。
…頭の何処かで妙に冷静に、理解はしている。
だけど納得なんてできっこない!!
いつも傍にいてくれた人。
いつも寂しさに哭きそうな瞳をしていた人。
その孤独を癒してあげたかった人。
そして、いつしか愛してしまった人…。
聖地では女王陛下やロザリア様がパーティーを開いてくれた。
だけど、私はそれを楽しむことができない。
宇宙を救った。自分たちが勝利した。
そんな喜びを皆が分かち合っている。
私だって、この宇宙を救えたことはよかったと思う。
だけど…、喜びは感じられない。この結末を心から祝えない。
一番幸せを分かち合いたい人が、傍にいないから…。
喜んでいる皆に悲しい顔を見せたくなくて、
私は一人、テラスへと場所を変えた。
星が瞬いていた。
新月なのだろうか、月は見えず、星の輝きを妨げるものは何もなかった。
「綺麗…よね。そのはずよね。…でも、今は…曇って見える…。
貴方のせいよ…アリオス…」
アリオスとこんな星空を眺める機会が一度だけあった。
ある晩どうしても眠れなくて、一人で宿を抜け出して、
静かな村の小道を星を見上げながら歩いた。
その夜はあまりに静かで、村が、いえ、惑星そのものが眠っているようだった。
響くのは、ただ自分の足音だけだった。
そして、宿からそう離れていないところにあった大きな木の下で、
アリオスとばったりと逢った。
そんな夜更けに出歩いてた私を呆れてはいたけど、
私が眠くなるまで、私に付き合ってくれた。
何を話したということもない。
なんでもない話を二言三言交わしただけ。
ただ星空を眺めて、…それだけの時間だったけど、
…とても、幸せで。
星はあの日と変わらず輝いているのに、
…貴方だけがいない。
貴方がいればよかったのに。
…貴方だけが、いればよかったのに。
堪えようと思っても、視界が滲んでくる。
不意に、背後に人の気配を感じた。
「…アンジェリーク、ちょっとお邪魔していいかしら…?」
「…!女王陛下…!」
女王陛下は、その煙るような金髪を風に靡かせて、
まるで学園の女友達が談笑する時のように、ちょこんと隣に座り込んだ。
「女王陛下、パーティーを抜け出られてよろしいんですか?」
「ふふっ、パーティーの主賓が抜け出してても、皆騒がないんですもの。
女王の一人や二人見えなくなっても、暫くは気づかないわよ。
…それより、少しだけ、あなたと話がしたかったの。
女王としてではなく、ただの女の子としてね」
「女王陛下…」
陛下は、その白い手を、私の頬にあてて、優しい眼差しで静かに語りかける。
「…辛い、恋をしてきたんでしょう…?
…わかるのよ。今のあなたの瞳は、あの頃の私とそっくり。
話したくないなら、それでもいいのよ。でも…、傍にいさせてね?」
私を見つめる女王陛下の瞳の色。
…それは、悲しい恋を経てきたものだけが持つ、深い瞳の色。
誰かに、この澱んだ気持ちを吐露したかった。
だけど、自分のこんな弱さを誰にも見せたくなかったのもまた本心で。
陛下になら、いえ、「彼女」になら、何もかもをぶつけられそうな気がして、
気がつくと、私は女王陛下に、すべてを話し始めていた。
アリオスと出逢った時のこと。
アリオスの不意に見せる寂しげな瞳に、
いつしか心を締め付けられるようになったこと。
『裏切ったのだ』と言われても、
それでもなお、信じることを止められなかったこと。
この身を擲ってでも、彼を救いたくて、
けれど為し得なかったこと…。
「…私、何も出来なかったんです…。
ずっと傍にいたのに…彼の哀しい瞳に気づいていたのに…」
陛下は何も言わなかった。
慰めの言葉も、激励の言葉も、叱咤の言葉も。
ただ、変わらぬいつもの優しい眼差しで、私の話を聞いてくれた。
私がすべてを話し終えて、沈黙が流れ始めると、
陛下はぽつり、と話し始めた。
「…アンジェリーク、私は、愛した人とは結ばれなかった。
それはこれからも…。
あの人の瞳は…違う人を追っているから…。
振り向くことはないと…、
永遠に想いが伝わらない、と痛いほどわかるのに、
それでも傍にいなければならないのと、
想い合えていたのに置いていかれるのと…、
どっちがより辛いのかしらね…」
陛下のその言葉は、一瞬私を考え込ませた。
ずっと、心に閉じ込めた想いを、この方は一人で抱えてきたのだろう。
それは、私の悲しみとは異なる、だけど、やはり大きな悲しみを。
『愛した人が、幸せならばそれでいい』と、
そんなに簡単に言えるものではない。
愛した人が、自分以外の影を追って、
…それを見詰めつづけなければならないのだ。
離れてしまえれば、振り切ることも出来たかもしれない。
だが、それすらも叶わぬまま、この先、気の遠くなる長い時間を生きるのだろう。
誰に言うこともなく、忘れることも出来ずに。
私の視線に気がついたのか、女王陛下は優しい微笑みを浮かべる。
この笑みも、自然に浮かべられるまで、どれくらいかかったのだろう。
陛下は悲しげに呟いた。
「…アンジェリーク、同じ名前の、もう一人の私。
あなたには、幸せな恋をしてほしかった。
…私が歩めなかった道を、歩んでほしかった」
「…いいえ、いいえ、女王陛下」
その時、私の口から出た台詞は、自分でも予期していなかった台詞だった。
「私は…、幸せだったと思います。
あの人に出逢えないよりも…。逢えて…よかったと思います。
確かに私はアリオスを…あの人を失ったけれど…、
アリオスが…私を大切にしてくれたのがわかるから…」
女は強いものだ、と、誰もが言う。
想い出さえあれば生きていけるのだと。
男はそれが出来ぬから自らを滅ぼすことを選ぶのだと。
それは少し違うだろう。
女が生きられるのは、過去と語り合うためではない。
愛した人が生きた証を、なんらかの形で未来に託したいから。
それは言葉であったり、生き様であったり、命だったり。
「私、新宇宙に戻ったら、…新しい命が宇宙いっぱいに芽吹いたら…、
アリオスのことを、みんなに語り伝えます。
創世の女王がただひとり愛した人が、どんな人生を歩んだか。
いつか私が土に還っても、伝説として語り草になるくらいに。
アリオスは嫌がるだろうけど…、私を置いてった…罰です」
言葉に出してそう言い終えると、何故か心が少し晴れやかになった。
それはひょっとしたら錯覚だったのかもしれないけど、
それでも悲しみの泉の淵から、少しだけ顔をあげることが出来た。
女王陛下は、優しさの中に嬉しさをこめた眼差しで私を見た。
「アンジェリーク、あなたはきっとすばらしい女王になるわ。
悲しみに囚われたままの私なんかよりも…、ずっとね…」
もう、大丈夫ね、と一言言い置いて、陛下は宮殿に戻られた。
私は陛下を暫く見つめていた。
私は何も言わなかった。私には、気づいたことがあったから。
それは、女王陛下すら気づいていないのだろうけど。
いつも、女王陛下を見つめている瞳。
深い、強い想いを込めた眼差しで。
それは敬愛ではなく、友愛でもなく。
今の今まで、私も気づかなかった。
だけど、陛下の微笑みの影にある悲しみを聞いた後、
『ああ、そうか…』と、得心がいったのだ。
翌日、新宇宙へと戻るために、私は朝早くに宮殿へと向かった。
みんながまだ寝静まっているうちに。
それは私の、せめてもの、この世界との訣別の仕方。
忘れることはないけれど。一生、忘れるわけはないけれど。
私がいつまでも過去を振り向くことを、あの人は望まないだろうから。
「アンジェリーク」
宮殿へと向かう途中の私を、人影が呼び止めた。
驚きはしなかった。…たぶん、いるだろうと思っていた。
言い出しにくそうにしていたけれど、意を決したように口を開いた。
「…ええ、私はこれで戻ります。皆様には…よろしくお伝えください。
…え?昨日の陛下との話…?
…ええ、たぶん、ご想像のとおりでしょう。
何故驚かないのかって?…ご自分の行動よく振り返ってみることですね。
ふふ…、そう、見てるだけで気づいたくらい…。
え?…いいえ、ご自分が伝えないと意味がありませんよ。
…そうですね、それがいいですよ。きっと…、ね」
短い問答のあと、その人は走っていった。
きっといつか、いつも静かに見守っている人の存在に、陛下は気づくだろう。
私が、アリオスのその隠れた優しさに気づいたように。
今は、まだ心が過去に囚われていても。
きっと、違う色の光を見つめられるようになる。
出逢ってから始まるのは…誰だって同じなのだから…。
私は聖地の空を見上げると、ぽつりと呟いた。
「アンジェリーク、…もう一人の私。幸せになるのよ…」
聖地を去って、幾日が過ぎたか。
レイチェルは、いつもどおりに接してくれる。
明らかに私の様子が変わったことに気づいているけれど。
『話したくなったら話してくれればいいよ。
それまで、待つから。いつまでだって、待つから』
言葉には出さないけれど、レイチェルのそんな気遣いが伝わって、嬉しい。
「アンジェ、アンジェ!!」
突然息を切らせて、顔を上気させて、レイチェルが部屋へ駆け込んできた。
「生まれたよ、新しい生命!!」
そう…、生まれたの。私たちの、新しい『子供たち』が。
「それがね、すっごく神秘的な子なの!
左右の瞳の色が違ってね、金色の右目と緑色の左目の、不思議な子!」
私は絶句した。
理性ではなく、直感が、それが彼だと訴えかける。
悲しいのではないのに、涙が溢れてきた。
もう、とまらない。
「アンジェ…アンジェ、どうしたの?」
レイチェルが気づかわしげに話し掛ける。
「…なんでもないの、なんでもないのよ…」
たぶん、今まで生きてきてこれ以上説得力に欠ける言い訳はないだろう。
でも、もう少し待ってね。すべてを話すから。
「…その子のところへ、連れていって」
おそらく彼は、私のことを知らない。
でもいい。それでもいい。
覚えているのは私だもの。
廊下を駆ける私は、ぼんやりとあることを思い出していた。
それは、アリオスと交わした、たわいない戯れ言のひとつ。
『お前、故郷に帰りたくないのか?
女王とやらで一生を終えて、悔いはないのか?』
『私がいたい場所はただひとつ、愛するものがいる場所よ。
私は、アルフォンシアを我が子のように愛してるわ。
レイチェルを、親友として愛してるわ』
『気障くせぇ…。…でも、お前らしいよ…』
『愛する者のいる場所…か…。俺も…いや…なんでもない…』
fin.
いきなり初っ端からヘヴィーな展開から書き始めた上に、尻切れトンボな終わりかたのアリオス創作です。
アリオスはここから始めなければと、妙に気負って書き始めてしまいました。
気負った割には、なんかこう、自己満足で終わっちゃったよーな。
リモージュの失恋の相手も、想われている相手もやっぱり決まっているのですが、なぜか藤之は銘記しない悪い癖がついているようです。
描写から想像してください。捏造でもよくってよ(笑)。