古き傷
…俺はいったい何をしているのだろう。
…何を、迷っているのだろう。
──何に、怯えている…?
「…ちぃっ、俺としたことがドジったな…」
その日の戦闘で負った傷を軽く手当てしていた俺は、ふと窓の外を眺めた。
星空が冴え渡る、静かな夜。
窓辺に寄りかかるように立ち、ただ夜空を見上げる。
ほんの一月前の、綺麗な夜空を思い出す。
「…あれは…こんな夜だったな…」
『死が二人を分かつまで、私の心は貴方のもの──』
そう言って、アンジェリークは俺に想いを告げた。
純白の準礼装に身を包み、神の御前で。
俺に返事を求めるのでもなく、ただ、告げただけ。
目の前にいたのは、女王でも戦士でもなく…不安に泣く、ただの少女だった。
…俺は…ただ、彼女を抱きしめてやることしか出来なかった。
…俺は…あいつに応える術(すべ)を知らない。
錯綜する想いが胸を渦巻く。
俺は、あいつをどう思っているのか。
敵としてではなく…一個人として、…一人の女として。
それは、あの日から、ずぅっと己に問い続けてきたこと。
少しずつ、答えが見えてきそうで、…永遠に見えぬままでもありそうで。
…怯えているのは、答えが出てしまうこと。
答えが出た時、俺はどうするのだろう。
あの少女を、この手に掛けるのか。
それとも…?
──コンコン──
扉がノックの音を部屋に響かせた。
「…起きてる…?」
聞きなれた、アンジェリークの声。
二人だけで逢うのはあれ以来初めてのこと。
どんな顔をして逢っていいのかわからなかったが、
拒否すべき理由も見つけられない。
「──開いてるぜ」
キィッと軋みの音をたてながら、扉が開いて、アンジェリークが顔を覗かせる。
窓辺に寄りかかったままの俺を見つけると、驚いた表情をする。
「…やだ…!おとなしく寝てなきゃダメじゃない!怪我してるのよ!」
「…だから、何度も言わせるなって。
俺にとっちゃこんなの大した怪我じゃねぇって」
アンジェリークは心配を隠せないといった様子で俯いた。
「…だって…。私を庇って怪我したんだもの…。
早くよくなってほしいと思うのは…当然でしょ…?」
「あれは、俺のドジだからな、お前が気に病む必要なんかねぇ。
いつもなら、お前一人くらい余裕で守れるんだ。
それが傷を負ったのは、油断していた俺の責任だし。
大体庇われるたびにこんな怪我のひとつひとつに気ぃ配ってちゃ、
先にお前の神経の方が参っちまうぞ」
「もう…!心配くらいさせてよ…!」
「…で?こんな時刻に俺の部屋に、何の用だ?
わざわざ俺を叱りにきたわけじゃねぇんだろ?」
アンジェリークは溜め息をひとつ吐くと、
困ったような笑顔を向けた。
「…確かに叱りに来たんじゃないけど。
…怪我が、気になって。だから…眠れなくて。様子見に来たの。
そーいうわけだから、私の安眠のために、安静にしててよね!」
アンジェリークはそういうと、俺の腕を掴んで窓辺から引き離すと、
背中をぐいぐい押して俺をベッドまで押しやった。
「ほら、きちんとしてないと、傷口開いて塩塗り込むわよ!」
頬を染めながら、照れ隠しのように命令口調で世話を焼く。
こうして、二人でいる空間が、貴重なものに感じている自分に気が付く。
ベッドサイドに腰掛けた俺は、苦笑した。
「…ああ、わかったわかった。今夜はおとなしく休むから…。
…そうだ、俺が眠るまで、看病がてらに付き合えよ」
「…ん。わかった…」
アンジェリークはベッドの傍に椅子を寄せた。
そして、黙り込んでしまう。
沈黙が落ち着かなくて、声を掛けた。
「…なんだよ。なんか話せよ。
すぐになんて眠れやしないんだから」
アンジェリークは瞼を閉じて、何も言わずにただ膝の上で両の掌を組み合せた。
窓から差し込む月明かりだけの部屋に、不思議な沈黙が流れつづける。
ゆっくりと瞼を開け、俺と視線を合わせると、ポツリ、と話し始めた。
「……貴方って…古い傷がたくさんあるわよね」
アンジェリークの小さな手が、シーツと服越しに、俺の身体をなぞる。
新たに負った怪我の上にくると、労るようにそっと触れる。
短く呪文の詠唱をして、アンジェリークの手から癒しの力が迸り、傷口を優しく包む。
傭兵として戦場を行き交っていた頃の小さな傷ばかりだが、
消えずに残ったものも確かにある。
訝しげにアンジェリークを見返すと、その寂しげな表情にどきっとする。
「…私は…貴方のことを何も知らない…」
そのアンジェリークの表情に、俺はただ吸い込まれるように瞳を合わせていた。
漸く口を開くと、罪悪感に後押しされた言い訳がましい台詞を吐いた。
「…過去が、そんなに大事か?」
アンジェリークは静かに首を横に振る。
ただ、それは俺の罪悪感を軽くするものにはなり得ない。
「…貴方がどんな道を歩んできたか、
何を思い、何を考え、何を見て、これからどんな道を歩もうとするのか。
…私に…問う権利も…引き止める権利も…ないもの…。
……過去を知りたいとは思わないけど…でもね…」
アンジェリークの手が、俺の手に触れる。
「今、この時間は一緒にいられる。
その間に負った傷は、私が癒してあげられる。
だけど、今までに負った傷は…?これから負う傷は…?」
深い海の色のアンジェリークの瞳に、涙が微かに滲む。
「貴方が傷を負った時…傍にいられなかったことが…。
これから、傍にいられなくなるかもしれないことが…それが…嫌なの…」
俺は身体を起こすと、涙に滲んだアンジェリークの目元を、そっと拭ってやる。
「そんなに、心配すんな。俺がそう簡単にやられるわけないだろうが」
だがアンジェリークは、俺の言葉に首を振る。
「…初めて逢ったとき…。あの時も、貴方は傷口から血を流していた」
「え…?」
「…貴方、深い、深すぎる傷を負っているわ。
今も…その傷を持て余してる。
そして、その傷口を通して…私を見てる…」
俺は身体を強張らせた。
アンジェリークの言わんとしていることに、否応もなく気づかされる。
俺が『エリス』という傷を負っていることを、アンジェリークは知っている。
…いや…知っているというよりも、
俺が彼女に違う面影を重ねていたことを見抜いていたと言うべきか。
「好きだもの…。…貴方に…私を見て欲しい。
でも…他の誰かの影を探すのなら…、
『私』を見てくれないのなら、そんなのは嫌よ…!」
アンジェリークは声を荒げると、椅子から立ち上がろうとした。
……去ってしまう…!
そう思った瞬間、俺は咄嗟にアンジェリークの手首を掴まえる。
問い続けてきた問いに、ほんの少し、答えが見えそうだった。
アンジェリークは俺から視線を逸らした。
「…お願い。離して。このままここにいると…もっと嫌な女になりそうなの」
「ごめんだな。誤解されたままで出て行かれちゃ、こっちが迷惑だ」
「…誤解…?」
俺の返答に、アンジェリークの表情に困惑の表情が満ちる。
俺はタイミングを見計らって、掴んだ腕を強く引き寄せ、ベッドに引きずり込む。
流石にアンジェリークが慌てて抗うが、
両手首を自らの両腕でベッドに縫いつけると、
俺はアンジェリークの口唇に自分のそれを深く重ねた。
「…!!…んっ…!」
アンジェリークは暫く抗いつづけていたが、
その身体から力が抜けるまで、俺は口付けを続けた。
そっと口唇を離すと、ただぼうっとした表情で俺を見つめていた。
そしてはっと我に返ると、顔を真っ赤に染める。
その口唇から再び糾弾の言葉が出る前に、静かに語り掛ける。
「…誰が、お前を見てないって…?
この一月…いや、もっと前から…俺の頭ん中にはお前ばかりちらつくのに…。
お前が…そうさせているのに…!」
確かに、最初は血を流しつづける傷に、想いを支配されていただろう。
だが、お前と逢って知った。
生(き)のままの傷なんてありはしないんだ。
どんな傷も、いつしか少しずつ癒されていく…。
傷痕が残っても、時には古傷が疼くことがあっても…。
そして、俺の傷を癒してくれたのは…時の流れでも、誰かの言葉でもない…。
ただ…お前の存在だったんだ…。
そう、俺の心を占めていたのは、ずっと、アンジェリークのこと。
教会でのことは、それを自覚させただけ。
アンジェリークがどう思っているのか…、その答えが出る前までは、
自分の感情と向き合わずに済んだだけのこと。
…答えが与えられてしまったら、俺自身の答えを出さなければならない。
そして、アンジェリークが立ち去ろうとした瞬間、
俺の中に溢れた想いは…、俺の中を駆け抜けた感情は…。
この感情を、なんて呼べばいいのだろう…。
『恋』と呼ぶものに近しい。
でももっと強い…そう、失った半身を求めるような…。
見つけてしまったら、離れられない。
『…愛しても…よかったのか……?』
俺の問いに、答えられる者はない。
俺自身を焼く、光なき焔が、いつか彼女を滅ぼしてしまうかもしれない。
だけど、気が付いてしまった以上……求め始めてしまった以上、
もはや、後戻りはきかない。
窓からは、変わらず、月明かりが部屋の中を照らす。
静かにすべてを癒す、生命なき月光の下で…誓いを立てようか。
『死が二人を分かつとも──永遠(とわ)の想いをここに』
「アリオスの誕生日になんか創作をUPしよう!」と思い立って、徹夜して書きました。
最初は誕生日をテーマにしようとおもったんですが、どうにもうまく動いてくれなかった。
で、単に「誕生日に書いた話」ということになってしまいました。…ま、いいか。
そんなわけで、chapelの続編というべきお話です。いうなれば、「自覚編」でしょうかね。
そして、相変わらずアンジェは「お前は千里眼か」と言いたくなるほど鋭いです。
アンジェリークが前回教会で述べた誓いの言葉と、アリオスが最後に呟いた誓いの言葉は、微妙に違います。