光の翼
その光景に、誰か他に気づいた人はいるだろうか。
女王候補たちが、新宇宙の視察を終えて次元の扉から戻ってくるとき。
光の加減か、はたまた女王候補の内に宿るサクリアの名残か。
一瞬だけ、彼女らの背後に翼のように広がる光の帯。
扉を越え、「こちら」側にその身をうつしたその途端、
その光の翼は霧のようにかき消える。
一瞬だけの、天使の姿。
機器の溢れる王立研究院という現実色の強い中に、
アンバランスに浮かび上がる幻想的な光景。
僕は、その情景がたまらなく好きだった。
女王試験の合間のたまの休みは、彼女と一緒に過ごすこともある。
緑美しい森の湖の畔で二人寝ころんで、のんびりと過ごしたり。
喧噪溢れる庭園のカフェテラスで紅茶を飲みながら、
打てば響くような会話と彼女のころころ変わる表情を楽しんだり。
彼女の部屋や僕の部屋で、お互いの譲れない意見をぶつけ合ったり。
そんなふうに余暇を過ごすのがとても好きだった。
草の上に寝転がり、湖の畔にうち寄せる小さな波の音に耳を楽しませながら、
僕は、ふと傍らに腰を下ろしていた少女を見上げた。
強い意志を秘める、深海色の真っ直ぐな瞳。
湖を吹き抜ける風が、肩で切り揃えてある少女の琥珀色の髪を揺らしていく。
頬に掛かった髪を、彼女がその白い指でふわりと耳の後ろに流す。
「………っ…」
湖に煌めく光の作用か、それとも彼女の内に宿る力か。
次元の境以外でも、彼女の背に一瞬の、光の帯を……翼を、見る。
彼女の背に、光の翼を見るのが好きだ。
彼女と共に、休暇を過ごすのが好きだ。
だけどそれは、ものの見事に対極にあることなのだと、
こんなとき、気づかざるを得ない。
光の翼を背にする彼女は、至高の玉座へと上り詰めようとする尊き女性。
のんびりと穏やかな時間を僕と過ごす彼女は、手を伸ばせば届く、普通の少女。
「…………まいったね」
「…どうかしたんですか?」
今日もまた一緒に休みを過ごしながら僕がぽつりと漏らした呟きを、
傍らの少女が、湖に向けていた視線を僕に戻し、聞き咎める。
「…いや」
何も、天使を好きになることはないのになぁと思ってさ。
――なんて言えるものか。
「………なんでもないよ」
女王試験も終盤にさしかかるころ。
僕は、彼女の背に翼を見るのが辛くなってきていた。
新宇宙は新たな命の息吹を次々と生み出している。
それは二対の聖獣と女神の手によって。
彼女たちの光の翼は、一層その輝きを増していく。
変わらず、いや、前にもまして、その情景は美しい。
彼女の背に光の翼を見るのは好きなのに…、
……好きなのに、つらい。
――ここにいてはいけないのかも知れない。
僕は、いつしかそんな思いに囚われていった。
コンコン――
ある日、学芸館の僕の私室――執務室でなく――に、ノックの音が響いた。
僕の返事を待たず、招かれざる客は部屋の扉を開いた。
「…ここ数日見かけないと思ったら…。何やっているんだ」
「見て分からないかい?」
「…荷造りしているようにしか見えないな」
「分かっているじゃないか」
『……………………………』
彼との間に、何とも言えない沈黙が降りる。
にらみ合いに飽きたか、それとも僕の対応に呆れたのか。
彼は、ふう、とため息をついて、前髪を掻き上げた。
「…つまり、逃げ出すわけだな」
「夜逃げ、って?…ま、否定はしないさ。
彼女の傍が辛くて……逃げる、のかな。僕は」
「――わからんな。知ってるんだろ?彼女の好意が誰にあるのかくらい」
「………ああ。…これが僕の自惚れでなければ、ね」
でも、彼女からの好意の欠片に縋って、
彼女の道をふさぐ愚行なんて、まっぴらごめんだ。
一時の恋と、女王位。
そんなもの、比較対象にもなりはしないだろうに。
「…もう、帰ってくれないか。
荷物をまとめたいし…話す事なんてもうないはずだ」
呆れたように零されたため息と、遠ざかる足音を聞きながら、
僕は黙々と、学芸館に宛われた部屋を整理し続けていた。
――忙しい方がいい。余計なことを考えないで済むから。
数日もしないうちに、女王の決定は成されるだろう。
もう、僕の役割は役目を終えたはず。
明日にでも…ここを去ろう。
「…君は怒るかな」
目を閉じれば、すぐにでも思い浮かぶ。
嘘や妥協を許さない、真っ直ぐな深海色の瞳。
あの瞳を見ることが、あの瞳に見られることが、何より好きだった。
好きだから去るなんて、自分でもバカだと思うけど。
好きだから縛るのは、僕が一番嫌いなこと。
…少なくとも、僕はそう思ってきた。
自分が嫌いだと言ってきたそれを、君に強要できるわけがない。
――恋の片鱗を、君の眼差しに感じていても。
そして翌日。
いつもの通りに教官としての仕事を終え私室に戻った僕は、
昨晩の内にまとめた荷物に手を触れる。
夜が更けたら、この荷物を持って、ここを出よう。
――コンコン
昨日と同じように、僕の部屋の扉が、ノックの音を立てた。
振り返らなかった僕の背後で、カチャ、と扉が開かれる。
「セイラン様」
その声は、今聞くはずのない…しかし、僕が間違えようもない、
心に深く刻まれた、心地よく耳を打つ声。
信じられぬ思いで、おそるおそる振り返ると、
そこに、彼女がいた。
いつもの真っ直ぐな瞳に、拗ねたような表情を浮かべて。
「私を置いてどこかに行っちゃうなんて、ずるいです」
「…何で…ここに」
「…教えてもらったんです。
『セイランが去ろうとしている。決めるのは君だ』って。
だから、来ました。私も連れて行ってもらうために」
僕ですら悩んだ重大なことを、
彼女は笑顔を浮かべて、何でもないことのように言う。
彼女の口から紡がれる、思わず縋り付きたくなる甘美な誘(いざな)いに、
僕はなけなしの理性を働かせて抗った。
「君は…自分が何を言っているのかわかっている?
もう二度とない機会を棒に振ろうとしているんだよ」
「あら、それだったら、今だって同じです。
今を逃したら、二度とセイラン様に会えなくなると思ったから。
今、私にとって大切なのはどちらか、
迷う必要なんてないくらい、あっさり答えは出ましたよ」
彼女は僕に歩み寄り、その双眸は、たじろぐ僕をしっかりと見据えていた。
そして、大輪の花が綻ぶような、満面の笑みを見せた。
「だって、私はセイラン様が好きだもの」
ああ…今まで生きてきて、こんなに心地よい言葉があっただろうか。
揺るぎない、迷いのないその言葉が、僕の心に、
真綿が水を吸うように染み渡っていく。
心の中に、暖かいものが広がっていく。
僕は、瞼の熱さを自覚した。
もう目の前の天使に、光の翼をみることはない。
幻想的な光景と引き替えに、僕は至上の宝を手に入れた。
「ねえ、いつになったら君は『様』をとってくれるのかな」
すべてを終え、聖地を後にしてから、しばらくしてのこと。
『好きな人』から『恋人』に昇格した彼女の肩に手を回し、
ちょっとだけ拗ねた声を出して尋ねてみる。
「ん〜そうね。セイラン様が、私をお嫁さんにしてくれたら、かな」
あっさり言われた言葉に、流石に面食らう。
お互い顔を見合わせて、どちらからともなく、くすくすと笑い声が漏れる。
「言わない可能性は考えていないんだ。
これまた随分と自信家だね」
「あら、だって好きでしょ?」
僕の首に両手を回し、にっこり笑って君は言う。
僕の気持ちを疑わないでいてくれるね。
ああわかっているよ。この勝負、僕の負け。
「――もちろん好きだよ」
僕は未来の花嫁の額に、そっと口付けを贈った。
fin.
リクエストは勝ち気ちゃんとの両思いの話、ということでしたが、どうも片思いっぽいな〜(笑)。
いや、一応基本は両思いで書いているんですけどね。
そして例の如くまた脇役の名を伏せている(笑)。意味ないなぁこれ(笑)。