平和な日常
今日も京は平和だ。
しかし天真は不機嫌だった。
時は6月場所は京の桂川の川辺。
目の前の川ではきゃいきゃいと、楽しそうにあかねが…いや、あかね達が遊んでいる。
大騒動だった鬼とのいざこざもひとまず片づき、
行方不明だった妹も見つかって、落ち着いた日々が流れている。
妹――蘭の体調が回復するまでは、と帰るのを延期してはいるものの、
気を揉む理由もないはずだったのだが、
そこはそれ、健全な青少年である彼には、色恋の悩みとゆーものがある。
ここ京にきてはや3ヶ月。
いつも一緒につるんでいた女友達が、様々な出来事を経て、
彼の中で特別な位置に昇格するというのは自然な成り行きだろう。
が、ここで問題なのは、特別な位置に相手を置いてるのが彼だけということだ。
彼女が自分を男友達としてしか見ていないというのは、
恋する少年にとってあまりに残酷だ。
そんなわけで、彼はもどかしい心境のまま、今に至るのだ。
動く6本の足に合わせ、ぱしゃん、と水がはねる。
「神子様、わたくし、川に足を浸したのなんて、初めてですわ」
「………気持ちいい」
いつもの十二単ではなく、垂衣姿の藤姫は、
初めて知る感覚に顔を上気させている。
普段は藤姫の舘で静養している蘭も、嬉しそうに顔を綻ばせている。
「二人とも気に入ってくれたんだ。――よかったぁ♪」
親友とも、妹とも大切に思っている二人の嬉しそうな顔を見て、
来て良かった、と嬉しそうにあかねは破顔する。
外に出たことが殆どない藤姫と、
操られ酷使し続けた身体の静養をしている蘭のために、
気晴らしを、と川遊びを提案したのは天真である。
折しも季節は春先。
うららかな日差しの中、素足になって川の流れにその白い足を晒している三人は、
時折ふざけてかけあう水の飛沫に負けず劣らずきらきら輝いていた。
――彼の視界に映っていたのは、髪を短く切り揃えた少女のみだったが。
その様子にぼうっと見とれていたのか、
天真は自分の傍に近づいている影に気付くのが遅れた。
「天真殿?」
呼びかけられた声に、天真ははっと顔を上げる。
見上げた先には、いつの間にか川から上がった藤姫が、
心配そうに天真の様子をのぞき込んでいた。
「…あ、すまねぇな。なんか言ったか?」
藤姫は微苦笑を浮かべて首を横に振ると、
傍近くの石に腰掛け、天真の視線の先を伺った。
そこには川辺で楽しそうに魚を目で追いかけているあかねと蘭の姿がある。
「……神子様のことを、ごらんになっていたのですわね」
天真は、その言葉に訝しげに藤姫に視線を向ける。
「…妹の方だとは思わねぇのか?」
藤姫はくすくすと笑いを返した。
「天真殿のご様子でわかりますわ。
妹御をごらんになっているときは、ただただ優しいだけの表情ですけれど、
神子様をごらんになっているときは、時折切なそうな表情をされますもの。
まことに、天真殿は神子様を大事にされておりますこと」
「――藤姫、あんたその歳でその洞察力はちょっと末恐ろしいぞ」
藤姫は、軽く肩をすくめる。
「お褒めにあずかり恐縮ですわ…と言いたいところですけれど、
表情の違いに最初に気づいたのはわたくしではありません。
友雅殿がおっしゃっていたのですわ。
けれど、言われてみれば天真殿の表情の変化はわかりやすいですわね」
天真はげっと顔を顰めた。
なにしろ、本人はこれでも隠していたつもりなのだ。
まさか周囲にばれていたとは。
しかも一番知られたくないタイプの奴に。
――からかわれる。絶対からかわれる!
藤姫は、にっこりと微笑むとさらに追い打ちをかける。
「ですが神子様にははっきりおっしゃった方がよろしいと思いますわ。
わたくしから見ても、お気づきなられた様子はございませんもの」
天真は、深くため息をはくと、がっくりと力なく肩を落とした。
天真とあかねと蘭は、川遊びの帰り道、
夕焼けに染まりはじめた風景を楽しみながら歩いていた。
ちなみに、藤姫は都合で一足先に屋敷に戻っている。
あかねは少し歩調の遅くなる蘭に合わせて、
ゆっくりと川沿いの道を歩く。
己の妹に対する、彼女の無言の優しい心遣いが、天真の心を暖かくする。
「天真くん」
ふいにあかねが後ろを歩いていた天真を振り向く。
「お、おう?」
「今日はありがとね。楽しかったよ」
にっこり笑って唐突に告げられた謝意の言葉に、
天真は咄嗟に返す言葉が見つけられず、
照れてそっぽを向いてしまう。
「……たいしたことじゃねぇよ」
二人の間に、穏やかな空気が流れる。
――が。
「今度は八葉のみんなと一緒に行こうね」
相変わらずの邪気のない笑顔で、あかねは楽しそうに言う。
ぴしっと天真の表情が凍り付く。
――だめだ、男として見られてねぇ…。
天真は再びがっくりと肩を落とした。
翌日の朝。
天真はやけに気合いの入った様子であかねの部屋の傍にいた。
男として見られてないなら、意識させてやる!
聞き様によっちゃ『何やらかす気だてめぇ』と止めに入りたくなるような
溢れんばかりの気合いのもと、天真はあかねに会いに来た。
一応八葉の礼儀として、藤姫を仲介にアポを取る。
待つことしばし。
「ごっめーん、おまたせ天真くん!」
ぱたぱたと駆けてくる軽やかな足音がしたかと思うと、
天真のいる部屋の御簾をばさっと上げて、あかねが現れる。
「よう、あかね!おはようさん」
天真は努めて平静にあかねに挨拶をする。
あかねはにこにこと笑っておはよう、と返す。
「で、なぁに?用事って」
いきなり用件を促す(当たり前だ)あかねに、
天真はぽりぽりと頭を掻きながらどう切り出したものかと考えあぐねる。
悩んだのもつかの間、ここはとにかく直球勝負!とばかりに、
天真はあかねの両肩をがしっと掴んだ。
「…あかね!」
あかねはぱちくりと大きな瞳を瞬かせる。
「つ、つき合って欲しいんだ!」
「いいよ?」
拍子抜けするほどにあっさりと返った返事に、
天真が浮かれる暇もなく、無垢な笑顔であかねは言葉を続けた。
「で、どこに?」
「――……………は?」
どうやら『交際』の意味でなく、
『何処かに一緒に行く』方の意味にとったようだ。
慌てて天真は勘違いを解こうとする。
「い、いや…そ…そうじゃなくてだな!」
不意に、カラリと部屋を分かつ障子が開く。
障子の向こうには、おどおどした様子の蘭が、じっと見ている。
「あ…蘭。おはよう。どうしたの?」
あかねは心配そうに蘭を見やる。
気勢をそがれた天真を後目に、蘭は潤んだ瞳をあかねに向けた。
「あかね…心細いの…傍にいて」
「蘭…うん、いいよ!」
さくっと方向転換して、あかねは蘭の元へと足取り軽やかに駆けだした。
後に残るは、勢いを削がれて行き場のない気合いをもてあました天真のみ。
ひゅるりらら〜と風の吹く中、蘭が己の兄に笑いかける。
「じゃあね、お兄ちゃん」
にっこりと笑った蘭の背後に、見えざる黒い尻尾が見えたような気がした。
ぱたんと障子が無情に閉まる。
教訓。
「妹といえども、油断するべからず」
京は今日も実に平和である。
アイリス様に誕生日に差し上げた創作です。
リクエストは「天然あかねと押せ押せ天真!」だったので、こ〜んな話になってしまいました(笑)。
コメディはどちらかというと苦手なんです。読むのは大好きですが(笑)。
なので今回は勢い勝負でした(笑)。天真じゃないけど「直球勝負!」です(笑)。
一気にこう、が――っと書いてしまわないとダメなんで(笑)