平穏の代償
あなたのことは、私が守る。守りきってみせる。なにに代えたって。
――そのために、私は剣をとったんだもの。
鎌倉――梶原邸。
平家が放った怨霊を止めるため、鎌倉を訪れた望美たち一行が、
当座身を寄せているそこは、鎌倉でも指折りの大きな邸。
その一郭で、おしゃべりに花を咲かせていた少女たちの声が、ふと途切れた。
「あら、もうこんなに更けてしまったわね。じゃあ、そろそろお暇するわ。
――おやすみなさい、望美」
「うん、おやすみなさい、朔」
宛われた一室で、望美は朔と就寝の挨拶を交わした。
朔に促され、望美が床に入ると、朔は退出がてら、灯台の火を消す。
途端――ふっ、と部屋は宵闇に包まれる。
妻戸が閉じられると、部屋は夜の静寂(しじま)に閉ざされた。
邸の住人である朔は当然自室を持っており、
白龍も熊野で成長してからは望美と離されたため、
事実上、望美は一室をを独占している状態だった。
だから、誰も知らないはずだった。
――望美が毎夜、部屋を抜け出していることは。
その夜、九郎は目が冴えてしまっていた。
戦場しか知らずに育った自分のこれからの立場に対する漠然とした不安。
そして望美と共に訪れた大倉御所での、試すような兄の物言いが、
自分の立場が、まるで綱渡りのように危ういものなのだと、
弥が上にまざまざと感じさせられた。
福原で、望美が官位辞退を強く意見しなければ、
自分の首は今ごろ、胴から離れていただろう。
「――っ!…………くそっ」
頭を一つ振ると身を起こした。
考えれば考えるほど、暗い結末しか待っていそうにない己の道。
泥沼に落ち込みそうになった気分を振り払うため、
九郎は太刀をとって、なるべく音を立てずに部屋を出た。
素振りで雑念を払おうと、庭先で太刀を構えた九郎は、
そのとき自らのものではない音が耳朶を打つのに気づいた。
ヒュッ、ヒュッ、と勢いよく風を切る音。
等間隔に、絶え間なく聞こえてくるその音は、素振りの音であるような気がした。
訝しく思って音の出所を探ると、それは女性陣が部屋を宛われた泉殿のあたりから漏れ聞こえていた。
もしや、と思い足音を殺してその傍近くへと寄ってみると、果たしてそこにあったのは。
――月光の袂、一心不乱に剣を振るう望美の姿。
九郎は、一瞬声をかけるのも忘れ、魅入られたようにそれを眺めていた。
重さの枷を感じさせない足裁き。
軽やかでしなやかな身のこなし。
そしてそのふわりとした動きとは対照的に、冴え渡る白銀の月のような、鋭い太刀筋。
まさに舞とみまごうその剣筋に、思わず目を奪われる。
――ああ、やはり見事な太刀筋だ。
望美に会うまで、女兵を見たことがなかったわけではない。
けれど、望美の剣はそのどんな女兵たちとも違っていた。
同じ師に教えを受けていても、こうも違いがでるものなのかと思うほど、
それは「望美の剣」として、しっかりとひとつの形をとっていた。
――美しい、と思う。
もののふの戦い振りに感嘆を覚えたことはあっても、
――女の戦うさまを美しいと感じたのは、彼女が初めてだった。
美しく、しなやかで、それでいてけしてか弱くはない太刀筋。
それはまるで、望美そのものを現しているかのようだった。
九郎は傍らに咲いていた姫椿の花びらを一枚摘むと、手首をしならせ、天へ放った。
それは夜風に吹かれ、まるで誘われるように望美の傍へと舞い落ちようとする。
――ピッ
望美の白刃が、姫椿のその白い花びらを、二つに断つ。
――秘剣、『花断ち』。
師であるリズヴァーンより教わった、剣技のひとつだ。
「腕は、鈍っていないようだな」
背後で呟かれたその言葉に、ようやく望美は九郎の存在に気づいて勢いよく振り向いた。
「九郎さ……――ッ!?な、な、なんでこんな時間に」
思わず上げた自分の声の大きさに驚き口を手で覆い、
望美は慌てて両手を背に廻し、剣を自分の身体で隠す。
だがむろん、今更それは無意味なことであった。
九郎はもはや足音も隠さず望美の傍に近付くと、眉根を顰める。
「――それはこっちが訊きたいことだぞ。
まさか、毎晩やっていたのか」
両手で剣の柄を握り締め、肩をすぼめて上目遣いに見返す望美のその仕草が、無言ながらも九郎の問いを肯定していた。
「……剣の腕を磨くのが悪いとは言わん。
だが、身体を休めるのも戦場に立つ者の務めだぞ」
それに答えるように微笑み、望美は、ちゃ、と剣を握りなおす。
「無理まではしていませんよ。
戦場に出られなくなったら、本末転倒だし。
……でも……出来る限りのことはやっておきたいの。
――もう、後悔はしたくないから」
両手で握った剣を、僅かばかり俯き加減で見つめる、望美の真剣な眼差し。
――源氏軍は勝ち進んでいるのに、何故望美はこんなにも、張りつめた糸のように余裕のない声音なのだろう。
――何故こんなにも、傷ついた雛のように怯えているのだろう。
「自分の手の届かないところで、大切なものを失うのだけは、もう嫌なの」
敵将の刃から、望美を庇って倒れた九郎。
秋の京で、望美を庇い、炎に呑まれた九郎。
兄の怒りに触れ、処刑台の露と消えた九郎。
あるべき時空のあるべき事態を歪め、『なかったこと』にした運命だけれど、
それでも思うのだ。
――あの時、自分にもう少し力があったら、違う運命があっただろうかと。
――敵将と対峙しても、対抗出来る実力があったなら。
――京を焼いた平氏の兵を突破するだけの力があったなら。
――源氏軍で、押しも押されもしない発言力のある存在であったなら。
「――ほんの僅かであっても、大切な人を守る一助になるなら……
それは必要な力だと思うから」
望美は伏せた顔を上げて、艶やかな髪の、肩に零れたその一房をぱさりと背に流して、九郎に微笑んだ。
望美の様子に戸惑いながらも、その決意が軽々しいものでないことは……ただの意地や、格好つけた正義感によるそれではないことは、九郎にも分かったのだけれど。
けれど、望美の笑顔は穏やかで――そして痛々しくて。
微笑みは、今にも涙をたたえそうな、儚いもので。
気づいたときには、九郎は望美をその腕の中に抱き寄せていた。
抱き寄せて、初めて感じるその線の細さ。
力を込めたら今にも壊れてしまいそうな、華奢な身体つき。
その小さな身体のどこから、あんなに鋭い剣を振るう力が出てくるのだろう。
「――もう、戦うな」
「く、九郎さん?」
「もう、無理をするな。お前は、戦う必要なんて無かったんだ。
そうだ。これは最初から、俺の戦だ。
俺がお前を巻き込んだんだ。お前を戦場に出しさえしなければ――お前がこんなに傷つくことは、なかったんだ」
望美は九郎の腕に包まれてその言葉を聞いていたが、目を閉じると、自分を抱きしめる九郎の胸に、こつん、と額を乗せ、ゆっくりと首を横に振る。
「これは、私が選んだことだから。私が自分で望んで、剣をとったの。
九郎さんが巻き込んだんじゃない。私が自分で飛び込んだの」
「望美、しかし――」
「――それはもちろん、好んで戦いたくなんてないですけど。
戦なんてしないですめばそれに越したことはないんだし。
でもね……一番したくないのは、目を背けて逃げ出すこと。
戦える力があるのに、守ることを放棄することなんです」
望美は九郎の腕の中で、自分を抱きしめる男を見上げると、
そっとその頬に手を伸ばす。
「守りたい人たちを犠牲にして、嘘の平和を手に入れたって、
そんなの、私にとっては何の価値もないから。だから」
「――ッ」
「だから、私は、穏やかな日を犠牲にしても、大切なひとを守る。
九郎さんのことは、私が守ってみせる。――そう、決めたの」
穏やかに、だがはっきりと告げる望美の言葉に、九郎はもはや反論する術(すべ)を持たなかった。
ふう、と溜息をひとつつくと、望美の髪を梳くように撫でた。
「――わかった」
「……九郎さん?」
了解の言葉が貰えると思ってはいなかった望美は、吃驚して九郎をぽかんと凝視してしまう。
九郎は、ぽん、と望美の頭に手を添えた。
「お前がどうしてもそうしなければ気が済まないと言うのなら、守られてやる。
だが、俺もお前を守る。この身を盾にしてでもな」
「……それじゃ、意味ないです」
九郎に子供をあやすように髪を撫でられ、望美はむうっとふくれる。
その様子にようやく年相応の仕草を見て、九郎は穏やかに微笑んだ。
「なんと言われようと、こればかりは譲れんからな。
……お前の命を引き換えにしていいものなんて、俺にはないんだ」
九郎に微笑みを向けられ、望美の頬が薄紅に染まる。
「〜〜っ。ぜ、絶対、私が九郎さんを守ってみせますからねっ!」
望美は顔を桜の色に染め上げたまま、そう言い放つと、
踵を返して部屋へと駆けていった。
部屋へと戻った望美の後ろ姿を見送って、
九郎は先程まで彼女を抱きしめていた自分の腕をじっと見つめた。
――よくもあんな大胆なことができたものだ、と自分に驚く。
まだ、抱きしめたときの感触が手に残っているような気がする。
華奢で、柔らかな丸みを帯びた身体。
女性特有の、どこか甘い香り。
単なる『女子供』ではなく――『女性』なのだ、と気づいてしまうと、とたんに鼓動が跳ね上がる。
――望美が触れた頬が、望美に触れた指が、やけに熱い。
――私が選んだの。平穏を犠牲にしても、あなたを守ってみせるって。そう決めたの。
望美の言葉が、九郎が迷い込んでいた迷いの暗闇にそそぐ、一条の光となっていた。
幼いときに、太刀をとる道を自ら選んだ。
それが今の俺を形作るすべての始まり。
俺も、あるいは戦を知らぬ穏やかな一生を送れたのかも知れない。
けれど、偽りの平和の中で生きる俺は、もはや俺ではない。
――これは、俺が選んだ道。果てに何があろうと、突き進むのみだ。
腹を据えると、先刻まで抱えていた不安は、不思議なほどに凪いでいた。
心のもやを吹き払われた気持ちで空を見上げると、
秋の夜空にかかる望月が、鮮やかな光を降りそそいでいた。
美しい、望月――その名を冠する少女の面影が、脳裏によぎる。
知らず、口元に笑みが浮かぶ。
太刀をとり戦うことを選んだ俺の道。
平穏な未来を代償にしてお前と出逢えたのだとしたら――なかなか、悪くない。
100のお題No.4「それだけは勘弁してください」。(長いお題じゃ。)転じて、望美がいう「一番したくないこと」。
どっちを向いても嫌なことばかりに追いつめられたら。だったら消去法で嫌なこと消していくしかないと思います。
普通の女の子だったころならともかく、大切な人の死を経験してきた望美だったら、一番嫌なことは、「自分の無力で大切な人を失うこと」だと思います。
自分が頑張って、助けなきゃ、と考えると思います。
特に九郎。純粋すぎて危なっかしいから。
九郎の死のバージョンがひとつ追加されてますが、読み飛ばしてください(笑)書きかけの創作で、九郎瀕死ネタを書いていた影響です(笑)
地青龍、天白虎、地白虎は、神子を庇って死ぬのがあり得ると思います。ていうか天白虎はシナリオがもろそうですが。他の人は庇わないというわけでなく、イメージ的に「そのために命を落としても一片の悔いもなさそう」な人たちってことで。
話の中で花断ちをさせようとして、実はこっそり困り果ててました。
舞台は6章鎌倉です。季節は――秋。
剣で切れるくらいの大きさの花びらが舞うような秋の花って何があるっ!?
手元にあった資料では、剣で切れないほど小さいか、花ごと落ちるか。――と、いうわけで。無理矢理ひとひら花びらを摘んでいただきました(笑)