花の架け橋



王が弑逆された国があった。
公主が追放された国があった。

己が立場に課された責務を心得ず、また知ろうともせず、
落とされた境遇をただ恨んだ公主がいた。


国の名は芳、公主は祥瓊といった。




――芳極国から遠く離れた慶東国。
激しく燃ゆる太陽が地平の彼方へとその身を隠すと、
金波宮を包むのは、穏やかな静寂と、ほのかな月明かり。

雲海を臨む宮の一角で、白く細い腕に、花をつけた枝を一枝握り、
眼前に広がる海と、その水面に映る月明かりを眺める人影が一つ。

その人影は、自らの腕の中の花をひとつ手にすると、
軽く力を込めて、枝からその花を摘む。
ふわりと雲海に投げられたそれは、音を伴わぬ波紋となって、海に広がる。
水面にその姿を映し出していた月は、波紋に揺られ、その姿を滲ませる。

海から吹く風に、微かに褪せた紺青の髪が揺れた。
静かに雲海を見据える紫紺の瞳は、水面に滲む月をただ見つめていた。

波紋が緩やかに消えるころ、その人影は踵を返し、雲海に背を向けた。



その人影は慶国王宮、金波宮にて女史を努めている、元芳国公主、祥瓊であった。






時は還らぬ。
どんなに悔いても、己が咎は消えぬ。

己の責務を理解しなかったがゆえに、父王を諫められず、
故国たる芳の民に苦難を強いてしまった。


出来ることならば、芳のためになにかを尽くしたかった。
芳の民に、己の罪を贖いたかった。

芳に帰れば、父王、仲達の圧政を恨む人々に、報復を受けるだろう。
かつて私刑によって殺されそうになったように。

――それで自分の咎を償えるのならば、甘んじて報復を受ける。
その覚悟が出来るくらいには、己の咎を知った。

……だが。

それは荒廃から立ち直ろうとしている民に、
過去への怒りと怨阻を植え付ける。

制裁に怯えることもなくなり、漸く前に進もうとしている人々に、
悉く後ろを振り向かせることになる。


それは出来ない。してはならない。
王を失った芳を、懸命に支えている月渓に、髪の毛一筋分の負担もかけてはならない。




祥瓊は、自分に宛われた部屋に戻ると、
自分の手の中の枝を花瓶に生ける。

今宵摘んだ花はひとつだけ。
だが、その枝には、花が摘まれた跡が幾つもあった。


きちんと整理された部屋の、その机の上には、丁寧に折りたたまれた書状がある。

女史に召されてすぐ、恭国へ御物に手をかけたことに対する贖いに赴いたころ、
芳の恵州候へと宛てた書状を認(したた)めた。机にあるのはその返信だ。



『あなたの父上のものを盗む。どうか許して頂きたい――』


父王が討たれたときに、恵州候を『簒奪者』と怒りにまかせて罵ったのは自分だ。
だがそれを差し引いたとしても、彼が仮朝の長としてたつのは当然と思っていた。

だがそれを頑なまでに拒んでいたと恭国から戻ってから聞かされた。

芳を案じる責任感故に、すでに御位に就いておられると思っていたし、
また、その誠実さ故に、御位に就くのを固辞しているのもそれはそれで彼らしいとも思う。


だが、自分への詫びを告げられることがあろうとは思わなかった。



祥瓊は、花瓶に生けた花の枝を見やる。


ひとつだけ花を摘み、雲海に投じる。

月が満ちる都度、まるで何かの儀式のように繰り返す。



今はまだ数えるほどだが、月満ちるたびに投じられた花は、
仙として長き時を生きる間に、どれほどの数になろう。

届く可能性が至極薄いのは先刻承知。
だが雲海の先には遙か遠くに他国の王宮もあろう。
――――いつの日か、懐かしい鷹隼宮に流れ着くこともあるやもしれない。



懐かしい鷹隼宮。

その名は、祥瓊が知らず罪を犯した王宮の名だ。
そして同時に、かつての恵州候――月渓の、現在の居城。

かつての自分が30年過ごしたあの宮には、二度と足を踏み入れることはないだろう。
次の峯王が立つまで、あの宮は月渓が守ってくれる。
いずれ芳を担うべき人に、然るべき勤めを果たすべく。



王を失い傾くであろう芳を支えることに手一杯になるであろう月渓に、逢うことも叶うまい。
私事で煩わすことも負担になろうから、手紙も控えることにした。




峯王は月渓に討たれた。
天命を受けた王を討った月渓を、天は罰するだろうか。
天意に逆らう不届き者よ、と罪を罵るものが出るだろうか。

――けれど、と祥瓊は思い馳せる。

誰が彼の罪を咎めても、私はもはや咎めるまい。



雲海への献花は、言の葉にせぬ、祥瓊の想い。

ときには慰労の意を込めて、またときには激励を。悔恨を。懺悔を。思慕を。


もし、万に一つでも、鷹隼宮に届くことがあるのなら、
この花が芳との………月渓との、架け橋と想えよう。





そして祥瓊は、月満ちる今宵、水面に映る月に、花を捧げる。

十二国記創作第一作目。
……初書きが月渓×祥瓊ってのがかなりマイナーのような気がします(笑)
まぁ、どちらかというと月渓←祥瓊に近いと想いますが。