花葵






窓の外では、もう春も終わろうとしている。
吹きそよぐ暖かな風、咲き誇る花々、青々と茂る新緑。
それらが賑やかしく街を行き交う人々を包む。

葵が夏の終わりに不可思議な力でアロランディアの地に喚ばれてから、
季節は一巡りしようとしていた。

「時が経つのは、ほんに早いものよ。この地で春を過ごす事になろうとはな」

今は評議会としてその役割を変えた神殿の一室で、
議長としての勤めを果たしつつ、開いた窓の外を眺めながら、葵は呟く。
そこを訪れていた長身の文官がその呟きを受け、答えを返す。

「故郷の春を、恋しくお思いですか」

「――やれやれ、うかつなことを口にすると、すぐに言質を取られるな。
今ではここも私にとって大切な地じゃぞ?私はこの地で生きる今に満足しておる」

「しかし春になってから、あなたは時折窓の外を眺めては物憂げにしておいででした」

「……おぬし、要らぬところばかりよく見ておるの。別にどうといったことはない。
……ただ、桜が見られぬことが、いささか残念なだけじゃ」

葵の故郷ではただ『花』と言えば、それは桜を指すほど人々に愛された花だ。
葵自身も例に漏れず、幼き頃より春の訪れを枝一杯に知らせる桜の花をこの上なく愛でていた。

故郷もすでに桜の盛りを過ぎたころ。
幾年か経てば桜を見ずに春を過ごす違和感もいずれは薄れて消えていこうが、
今はまだ初めて過ごす春。それは無理な注文だ。

「――感傷じゃな。後悔とはまた別の話よ。
こればかりは、時が解決するのを大人しく待つとするさ」

 その言葉を聞いて、長身の男――ソロイは、何かを考え込むように、黙り込んだ。



それから幾日か経った日の夜のこと。
未だ不慣れなせいで滞ってしまっている未処理の書類に向かっていると、
奥の部屋でカタンと音がしたような気がして、葵はペンを走らす手を止める。
二部屋からなる自分の部屋の奥の寝所へと足を向けると、
灯りのともらぬ寝所は、それでも窓から零れる月明かりでほんのりと明るかった。

――人の気配はない。
だが、閉めていたはずの窓に目をやると、キィ、キィ、と風に吹かれて、微かに軋みをあげ、前後に揺れている。
訝しんで窓辺に寄ると、窓の鍵の掛け金に挿された一枝の花が月明かりに浮かび上がった。

「……これは……桜…か?」

焦げ茶の枝、白い中にも薄く紅を纏った小さな花弁。

実際に触れると見かけを似せた材質で作ったまがい物であるのが分かるが、
葵の視界に映るそれは、想い出の中にあるだけの花のはずだった。

「……直接手渡せばよかろうに……」

口では文句を言いつつも、その表情は嬉しそうに笑顔が零れる。
名乗りはなくとも、誰が来たかはこの一枝が雄弁に語ってくれる。
――葵以外でこの花を知っているのは、ただ一人ゆえに。

葵は掛け金に挿されたそれを手に取ると、
するはずのない匂いをかぐ仕草をしたり、月明かりに透かしたり、それは楽しげに桜を愛でた。



 翌日、神殿で顔を合わせた男に、葵は笑いかける。

「思いがけぬ場所で懐かしい花を見た。礼を言うぞ」

「なんのことかわかりかねます」

その口の端に笑みを刻みながらもあからさまにとぼけるソロイに、葵はふっと笑みを零す。

「――それならそれでもよいさ。私がおぬしに礼を言っておきたかっただけじゃ」

「そうですか。ではとりあえず受けとっておきましょう」

そう言うと、二人は表情から笑みを消して、書類片手に仕事の話に移る。
ソロイも葵も、元来真面目な性質ゆえに、こういった切り替えの早さは流石と言える。

取り急ぎの打ち合わせを終え、退室しようとするソロイを、葵が呼び止めた。

「もののついでに、茶でもつき合ってゆけ、ソロイ殿」

こぽこぽと陶器の茶器から茶が注がれ、執務室に暖かな湯気と香りが漂う。
香りの良い茶はマリンが葵のためにと用意してくれたもので、
故郷の茶とはいささか趣を異にするが、これはこれで、風味が葵の気に入りだ。

「……貴女とこうゆったりと茶を飲むことがあろうとは、あの地にあっては思いもしませんでした」

――姿を変え、人として生き、そう呟くかつての式に、葵は紅茶の香りを楽しみながら、ふふと笑いかける。
互いの胸の内を知らないでいたあの頃は、常に彼の同胞を屠る戦いの中にあるか、
そうでなければ意地を張るばかりで。
確かに茶を嗜むどころの雰囲気ではなかった。

ソロイは机の上に置かれた一輪挿しに一枝の造花が飾られているのを目に留め、微かに口の端に笑みを刻む。
それに気付いた葵が、思い出したようにソロイに問うた。

「おぬしも昔は桜を好いておったな。桜が咲かぬこの国で、気に入りの花などはあったのか?」

「――今でも桜は嫌いではないですが。
……そう、ですね。ホリホックの花などは……悪くないと思いますよ」

「ほう、どんな花じゃ?」

純粋な好奇心で問う葵の言葉に、ソロイは含みのある笑みを浮かべた。

「お知りになりたければご自分で調べるべきでしょう」

葵はその言葉を素直に受けとり、そうじゃな、と頷いた。

それから数日、少々暇が出来ると書物を紐解いて調べてみたが、
どうやら赤い花をつける薬草らしいということがわかった程度だった。
挿絵でもあればどんな花弁をつけるのか分かったのだろうが、
そもそも専門が違う神殿の蔵書では、たいしたことはわからない。

薬草なら魔法院に行けば少しは分かるかと、
双方時間の余裕が出来そうな日を見計らって執務を早めに切り上げ、葵は魔法院のアクアを訪問した。

「アクア殿は、ホリホックという花をご存じか?」

「研究にもつかうから、薬草はひととおりしっているわよ。
ホリホックならこれからが花の時期。群生地もはあくずみ」

「それは重畳じゃ。よければ少し分けてはもらえぬか」

「……かまわないけど。何にするの?」

「なに、神殿の堅物の部屋に花の一つも飾ってやろうかと」

「……それはまた、でんじゃらすな組みあわせね」



 アクアの案内でホリホックの花畑を訪れた葵は示された花の前で瞠目する。
まだつぼみも多いが、そのうち幾つか綻んだそれは、濃紅の花弁を風に揺らしている。

「――この花のことなのか…。これをここではホリホックと呼ぶのか」

「あら、しっているの?」

問われて、葵はどこか照れくさそうに笑った。
そして、ソロイが含みのある笑みを浮かべた理由をようやく察する。

「故郷にもあった花じゃ。――呼び名は違ったが」

ホリホックの花を数本摘ませてもらうと、葵はその花を抱えて頬を染めて笑んだ。
青と黒を基調にした議長の衣装に、紅の花がよく映える。

「故郷でのこの花の呼び名は――……」






その日の夜。夜半を過ぎた刻限にソロイの執務室にそっとその花を持ち込む。
部屋の隅にある作りつけの棚の上に、水を張った花瓶をそっと置いた。

「――何をしている」

背後から突然かかった声に、葵は心臓を跳ね上がらせる。
振り返ればそこには、紅い髪をしたかつての姿でこの部屋の主がいつの間にやら姿を現していた。

「べ、紅丸っ!…脅かすなっ!」

「何をしている、と訊いている」

「……おぬしが先日したことじゃ」

ふいっと顔を背けて憮然として答える葵に紅丸はふっと意地の悪げな笑みを口の端に刻み、花瓶の花を一瞥する。

「ぬしから賜るものならば、花より――」

途端、ふっと姿をかき消し、次の瞬間は葵の目の前に姿を現す。
そのまま葵の顎を手で掴んで持ち上げると、息が掛かるほどの距離で囁く。

「こちらの『葵』を所望したいものだが」

至近距離でそう言ってのける紅丸に、葵はかぁっと頬を紅潮させた。
紅丸の指が触れる箇所から熱が広がるような感覚に、思考は乱れ、胸が早鐘を打つ。

「――い、いま暫しは、花の『葵』で満足しておれ!」

そう言い放って紅丸の胸板を強く押し返し、その腕から逃れると、
葵はバタバタと足音が響くのも構わず部屋から飛び出した。
それを見送った紅丸は、振りほどかれたことに気を悪くした様子もなく、
むしろ楽しげにくつくつと笑い、花瓶に活けられた濃紅の花を眺める。

――遠き故郷では、彼女と同じ名で呼ばれるその花を。



振りほどきはしたが、彼自身を拒絶はしなかった彼女は今頃、
動悸と火照った頬を持て余していることだろう。

花束の中から、すでに紅に色づき綻びだしそうなつぼみを付けた葵の花を一輪手に取ると、
その今にも花咲こうとしているそれにそっと口づけた。

「――『いま暫し』か。ふん、よかろう。今しばらくは、花を愛でるに留めておこうぞ」


 
――いずれ、ぬしが我の腕の中で花開くまで。

葵アンソロ企画に寄稿したうちのひとつ。「花葵」でした。
そろそろ本も無くなってるだろうし、と公開に踏み切りました。
いずれもうひとつのも。
本に寄稿した文なので、Webで見たときの具合は全然考慮してません。
詠みにくいだろうしまとまりが悪いでしょうが、勘弁してください(笑)