白き月光のもとで

 白く輝く月は、眩く鮮やかに地上のものたちを等しく照らす。ある者にとっては眩い灯火となり、またある者には、人目を忍ぶ隠れ蓑。静かに広がる宵闇は、恋人達の逢瀬も、悪戯な妖精の闊歩も、闇に逆らい、灯火を以て昼間の喧噪を夜に持ち込む人の小さな抗いも、なにもかもをただ優しく包み、等しくその闇の腕(かいな)に抱く。

 その喧噪の一角――クライン城下のある貴族の邸で行われている夜会の会場から、ふたつの人影が、月光に浮かび上がる大理石のバルコニーへと現れる。
 一人は枯葉色の髪を肩ほどで切り揃え、鮮やかな蒼いドレスに身を包んだ、まだ少女と呼べる年頃の女性。もう一人は嫌みでない程度に装飾のついた上品な服を着こなし、威厳と言うより優しさを感じさせる初老の紳士。
 初老の紳士はバルコニーの手すりに手を置くと、そっと体重をかける。

「…すまないね、私の我が儘でこのようなところに呼び出して。だが正式な場では、どうしても腹を割って話せないからな」

 少女はふるふると顔を横に振る。その表情は、朗らかだがどこか緊張が抜けていないのを、彼女をよく知る者が近くにいたら見抜いたかもしれない。

「『夜会にお忍びでくる』って聞いたときより、シオンが突然やってきた時のほうがよっぽどびっくりしましたから」

「ほう、そんなに驚くことだったのかね?」

 初老の紳士は穏やかな笑みをその唇に刻む。少女は肩をすくめ、その表情に微苦笑を浮かべた。

「シオンがあたしの部屋を訪ねるときって、大抵とんでもないときですから。今回もご多分に漏れず、やんごとない筋からの名代でしたし?」

「はははは。なるほどな。そんなにとんでもないかね。だが君に間近で会ってみたかったのだよ。あの子が好きになった女性というのを、一人の父親としてね」

「…よくここの舘の人、こんなとんでもないこと許しましたね」

「なに、ここの主とは私が即位する前からの親友でな。回数こそ流石に少なくなったが、まだまだお互い頼み事があれば二つ返事で引き受けあえる間柄さ」

「親友…殿下に、シオンがいるみたいに?」

「そうだな、あんな感じだ。もっとも、彼らの方がよりくだけた付き合いが出来ているようだな。我が息子のことながら、うらやましいことだ」

 初老の紳士のその言葉に、少女は口元に手を当てくすくすと笑い出した。先程までの抜けきらなかった緊張はいつのまにかほぐれていた。それから暫し会話を交わしていたが、彼女の生来の気性からか、あるいは紳士の人柄のなせるわざか、口調もすっかりくだけていった。

「………ふふっ、どんな堅物のおじさんかと思ったら、陛下って意外と気さくなんだ。こーなるとお忍び好きは家系なのかしらね。困った王家だなぁ」

「ははは、そうかもしれんな。だが私相手に、そういう言葉遣いをしてくれる人もそういないよ。なるほどな。なかなか貴重な御仁のようだ。セイリオスやディアーナが君を気に入るのも、わかるというものだ」

 『陛下』と呼ばれた紳士は、闊達に笑い声を上げる。その御身は皇太子セイリオス、第二王女ディアーナの父に当たり、クライン王国で最高位にある男性。――すなわち、ここクラインの国王であった。

         ☆★☆★☆ 

 事の起こりは、一週間ほど前のこと。いつものようにレポートに悪戦苦闘していたメイの部屋に、ノックの音が響いた。メイはペンを動かす手を休めず返事を返す。

「ほ〜い、だぁれ〜?」

「…俺だ」

「…げげっ、シオン!?」

 誰何の声に躊躇いがちに返った声は、メイもよく聞き慣れた声。慌てて席を立ち扉に駆け寄る。その扉の向こうには、案の定、よく見知った顔が姿を現した。

「『げげっ』とはご挨拶だな。そう身構えんなって」

 気にした様子もなくからからと笑いながら言うシオンに、メイは苦々しい表情を浮かべた。

「…あんたが直接訪ねて来たとき、穏やかな用件だった例しがあった?」

 敵国に潜り込む算段や、なんと求婚のメッセンジャーなんてのもあった。ここまで前科が重なれば、身構えたくもなろうというものだ。シオンはにやりと笑みを浮かべると、懐から一通の手紙を取り出した。

「なかなか鋭いな。今回もやんごとない筋からの名代だ」


「――――――へ?」

 数分後、メイは少々間の抜けた返事を返していた。

「……陛下が?」

「そう、嬢ちゃんとの面会を所望されている。それも非公式にな。理由は…考えるまでもないだろう。ま、せいぜい将来の舅のご機嫌取りでもしてくるんだな。まったく、セイルがらみの厄介事は全部俺に来やがる」

 ひらひらと片手を振りながら、ため息とともに背を向けたシオンを、メイは呆然と見送った。

         ☆★☆★☆ 

 王は、穏やかな微笑をその表情に刻んだまま、メイと向き合う。メイもなんとはなしに笑い返す。しばらくそんな風に無言でいたが、ふいに王が口を開いた。

「…セイリオスを、どう思っているのかね」

「――大好き」

 メイは躊躇う必要もなく即答した。嘘をつく気もないし、余計な言葉で飾ることもしない。ありのままの自分で応えることが、今の自分の義務だ。うわべの装飾など、あっという間に剥がれるに決まっている。

「セイリオスは突然に求婚しに行ったそうだな。まったくあいつも度胸がよいのかそれとも考え無しなのか…。…ふむ…不躾な事を訊いてよいかな。…君は、セイリオスの、どんなところが気に入ったのかね」

「どこって言われると、わからない。…ただ………」

 メイは瞳を閉じながら天を仰ぎ、冴え渡る宵闇の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。些か冷たさのある空気が胸を満たすと、不思議と落ち着いた。再び瞳を開くと、王と視線をしっかりと合わせる。

「クラインのためにって頑張ってる殿下を見てると…そのほんの少しでもいいから、力になってあげたいって思うの。殿下が疲れた時、安らげるのがあたしの傍ならいいなって、そう思うの。いつのまにか…そう思っていたの」

「皇太子を、支えたいのかね。それとも」

「『セイリオス=アル=サークリッド』を……ううん、『セイリオス』を。あたしは、殿下の肩に付いてる紋章に惚れたわけじゃないもの」


「セイリオスから…」

 王は、歯切れの悪い様子で言い淀みつつ、静かな声で問いかける。

「…セイリオスからその肩の紋章が消えることがあっても、支えられるかね」

 心当たりがあればわかるニュアンスを交ぜて問われた言葉に、メイは穏やかに笑みを浮かべたままこくんと頷く。自分の言葉により微かに漂った緊張感を感じながらも、王はどこか納得した面持ちでそれを受け止めた。


「…知っているようだな。知っていて、なおついていくと言うのだな」

「あたしには、どちらでも意味のないこと。あたしに必要なのは『殿下』じゃなくて、『セイル』。大切なのはそれだけよ」

 メイは気負うでもなく、笑って言った。月光を浴びて自然に笑うメイに、王は眩しそうに瞳を細めた。メイは俯きがちに瞳を伏せる。それはもはや逢うことのない人を思い浮かべた故にか。

「それに……父さんが言ってたわ。『良き統率者であること。統率者として必要な資格はそれだけだ。ほかには何もいらない』って。社長稼業がそう言わせたんだと思うけど、あたしもそれは真実だと思ってるの。血筋が何を約束してくれる?人格者の子供が放蕩息子だとか暗君の後継者が名君だとか、そんな例どこにだって転がってるじゃない。――殿下はクラインを正しく統率できる。クラインにいる、誰よりも。そんなの、あたしじゃなくても、誰だって分かるはずだよ」


「…強いな、君は。羨ましい強さだ。…王家に生きるものが皆、そう割り切れたら良いのだがね…。資質よりも血筋を重視する輩は数え切れぬほど多い」

 王は、深くため息をつくと、ゆっくりと天を仰いだ。白く柔らかな月明かりは、ふたりを緩やかに包んでいる。

「…私がたった一つ国民に嘘を付いたばかりに、あの子に負わせた重責は計り知れぬ。負わなくてもよい血のしがらみを、セイリオスに負わせてしまった責任は、私にある…。……23年間、父と呼ばれ、息子と呼んだ。誰にもなにも言わせぬ。国民を欺いた罪を女神に裁かれようとも――――セイリオスは私の息子だ。だが、最近思うのだよ。あの子は…私の息子として生きたがために、本来与えられるべき幸福を奪われてしまったのではないだろうかとね」

「…ねぇ、陛下。殿下は、陛下が好きだよ?」

 メイは微笑みを浮かべ、そっとその両の手で包み込むように、天を仰いだ王の手を取った。

「殿下は、押しつけられたから皇太子の責務を果たしてるんじゃないよ。クラインと…なにより陛下とディアーナが大切だから、大好きだから、この国を守るために頑張ってるんでしょう?だから、殿下が不幸だなんて、思わないで。ううん、不幸なんてとんでもない。陛下が殿下を息子として愛してるなら、殿下にとって、こんなに幸せな事ってないわ」


「メイの言うとおりですよ、父上」

 聞き慣れた声が、二人の後ろ――夜会会場から聞こえる。メイはびくっと勢いよく、王は落ち着いてゆっくりと振り向いた。長い空色の髪を背に流し、仮面を付けた青年が夜会会場からバルコニーへと歩いてくる。仮面を付けてはいるものの、二人にはその青年が誰であるのか、誰何するまでもなかった。

「……セイリオスか」

「殿下?どうして…」

 対照的な二人の反応に、セイリオスはふっと笑みを零した。顔を隠すようにつけた仮面を外すと、その下から、よく知った綺麗な菫色の瞳が姿を表す。

「私にうっかり愚痴を零したシオンを問いつめてね。私に内緒でメイを呼び出したと聞いては、黙っていられなかったのさ。父上がお忍びで使うならこの舘だというのは知ってたから」

「やれやれ…悪いところばかり、私に似おってからに…」

 そう言って苦笑いを浮かべた姿は、王ではなく、一人の父親だった。セイリオスも、優しげに、そして嬉しげに笑顔を浮かべた。

「それは、やはり父上の息子ですから」


「では、最後は父としてではなく、『国王』として訊こう。異界の少女よ。いかなることがあっても、セイリオスについていけるのか」

 くだけた初老の紳士から、国王としての鋭い表情へと変わる。メイも友人的な気安さをしまい込ませると、その姿勢を正した。微かに擦った足捌きに、蒼いドレスがふわりと風を象る。王の瞳を、臆することなく真正面から受け止める。

「なにがあっても、あたしは殿下を――セイルを守ります」

 その言葉に王は、ほう、と興味深そうな表情を示し、セイリオスは軽く驚愕の色を浮かべた。魔導師としては優秀の部類に入る才能の持ち主だとはいえ、けして荒事に向いていると断言できるわけではない。
 メイは口の端に笑みを浮かべる。その瞳に、強い輝きを灯して。

「元々この世界の人間ですらないあたしが、クラインのために生きるなんて、そんなおこがましいことは言えない。だけどセイルがいなければ、あたしはこの世界にいる意味がない。だから、あたしはセイルのために生きる。何があっても守るの。――たとえばもし…仮に陛下がセイルの敵に回ることがあるとしたら、そのときは――あたしは、全力で陛下に逆うわ」

 その瞬間、雲間から月が一層眩い姿をあらわし、凛然と立つメイの姿を鮮やかに照り映えらせた。それはまるで、英雄詩の戦乙女を思わせた。
 宣戦布告にも近い鋭さをもったその言葉は、王の心中のなにかに、心地よい響きをもって受け入れられたようだった。

「…『クラインの母』にあらず、『王家の妃』にあらず、『セイリオスの妻』となる、か。異世界の少女ならではかな」

 王はしばし瞳を閉じ、何かを考え込むように沈黙が流れる。その目を閉ざしたまま、メイに問いかけた。

「…この国にいて、幸せか?クラインが…好きかね?」

「もちろん!」

 弾けんばかりの笑顔で、メイは応えた。王が再び瞳を開いたとき、その顔には穏やかな満足の表情が浮かんでいた。

「セイリオス」

「はい」

「…よい娘御を見つけたな」

 そのただ一言に込められた思いの深さをはいかばかりであったか。セイリオスはメイの肩を抱き、その瞳を見つめると、父王に向き直り、零れるような笑顔を浮かべた。

「――はい!」


         ☆★☆★☆ 

 父王の前から退出したセイリオスとメイは、再び夜会会場へと戻る。会場ではいまだ舞踊曲が流れ続けている。

「踊ろう、メイ。君といる今このひとときだけは、ただの男としていられる」

 メイは再び仮面をつけたセイリオスの差し出した手を、躊躇いがちにとる。そっと触れた手を、セイリオスがしっかりと握り返した。嬉しそうに微笑んだセイリオスに、メイも笑い返す。華やかな曲の流れる中、セイリオスのリードに身を任せて、メイは軽やかに踊る。セイリオスのその腕の中で、メイがそっと口を開いた。

「セイル。セイルに…ちゃんと言っておきたいことがあるの」

「ん?なんだい?」

「もう帰らない覚悟は決めてるけど…あたしにとっての世界は生まれ育った故郷だって思いが、やっぱりまだ心のどこかにあるんだ」

 セイリオスのメイを抱く腕が、びくっと一瞬震える。――『故郷』。それはメイの中のけして何人も踏み込めない思い。この世界の魔法が、この国が、ひいてはセイリオスが奪ったとも言える、手の届かない、メイの侵し難い聖域。

「……そう…だろうね」

「だからあたしは『クラインのため』には生きられないかもしれない。クラインの王妃にはなりきれないと思う。そんな器も資格もないもの。でも…でもセイルのためになら、この国で生きていける」

 セイリオスとメイは、流れる曲に合わせて踊る人混みの中、だんだんと動きが緩やかになり、そしていつしかその足を止めた。メイの瞳はセイリオスを捕らえたまま、静かな笑みを浮かべる。

「あたしさ、クラインが好きだよ。セイルがいて、大切な友達がいて…セイルが愛してるクラインがとっても好き。そして……セイルが大好き。あたしにあるのは、その思いだけ。……それでも、いい?セイルの傍にいて、いい?」

「メイ……君って子は…っ」

 セイリオスは、ぎゅうっとメイを抱きしめて、その首筋に顔を埋めた。メイは、戸惑いながらも、されるがままに、抱きしめられている。ややあって、メイは首筋に暖かな雫を感じた。

「……セイル?泣いて…るの?」

「ああ…君の言葉が嬉しすぎてね…。君を愛せたこと、君が愛してくれたことが…ほんとうに幸せで…」

 しばらくの間、メイはセイリオスに抱きしめられたまま立ちつくしていた。

           ☆★☆★☆ 

 バルコニーでは、王が夜空を見上げていた。その表情は、随分と満足そうに晴れ晴れとしていた。その傍らに、王と同年齢ほどと思われる初老の男が、その手に二つのワイングラスを持ち、ゆっくりと歩み寄る。

「…陛下、気は済みましたかな」

「…まあな。すまんな、突然無理な頼みをして」

 王はゆっくりと振り返ると、数十年来の友人へと穏やかな笑みを返した。初老の男は、王と肩を並べると、自らも穏やかな笑みを浮かべる。友誼による気安さと老獪さが同居した雰囲気をもつその男は、無言で微笑みとともにワイングラスを差し出した。

「殿下も、なんとも個性豊かな王妃を娶られることになりそうですな。しかもどことなく草木の若芽が芽吹くような…そう、春の息吹のような心地よさを感じる。あの少女なら、王宮の澱んだ空気を吹き飛ばせるやもしれません。それに陛下も、あの少女を殊の外お気に召したようだ。違いますか?」

 王は差し出されたグラスを受け取ると、闊達に笑い声を上げた。

「はっはっは。違わんよ。我ながらあの少女をこれほどまでに気に入るとは、正直思わなんだがね。穏やかな王宮は望むべくもないが、停滞や退歩よりは、幾万倍も良い。何より、セイリオスの手を引ける女性は希少価値さ。我が息子ながら、よい娘御に惚れられたものだ」

 二人はグラスを目の位置まで上げ乾杯の仕草をする。カチン、と澄んだ音を立てて、互いのグラスを鳴らした。

           ☆★☆★☆ 

 流れていた曲が終わり、新たな曲が流れ出す頃、セイリオスはようやく身体を離す。その場に跪ずくと、メイの白く細い手をとり、その甲にそっと唇を落とした。

「どう言葉を飾ろうと、君から故郷を奪ったのは私だ。私の我が儘で、君に故郷を捨てさせてしまった。だから、私の一生をかけて君を愛することを、女神と、この国と、そして君に誓う」

「セイル…」

「君を幸せにさせてほしい。そして私の幸せのために、君に傍にいて欲しい」

「うん…セイル。あたしの幸せは、セイルの傍にいることだよ」

 会場に流れる曲と人々の喧噪が、二人の会話をかき消していく。だが、セイリオスとメイにはお互いの声以外のなんの音も聞こえないかのように、その場でただ見つめ合っていた。

 白く柔らかな光を放つ月はいまだ天空高く在り、恋人達の逢瀬も、人目を忍ぶ者も、すべてを優しく照らし続けていた――。

オールカップリング企画の同人誌「All Lovers」に寄稿させて頂いた創作です。
メイの心情を中心に、国王との語らいを書きたかったのですが、どうも失敗したようです(笑)
ゲーム中では序盤にしか出てこない社長令嬢であるメイを出して見たかったのですが、みごとに玉砕(苦笑)
書いてて何が苦労したかって、国王の名前がわからないことですね(笑)