evening glow
「アンジェリーク、先に行ってるよ」
レイチェルが颯爽とした足取りで、研究院の最奥へと向かう。
アンジェリークも数秒遅れで後を追う。
幾度も繰り返してきたこと。
何の疑いもなく、これが私の使命なのだと、素直に受け入れてきたこと。
いつもどおり次元の扉をくぐり、アルフォンシアの待つ新宇宙へとその身を移す。
眼前に広がる、壮大な宇宙。
恒星の輝きを各々の色彩で受け止める、様々な惑星たち。
自分たちが慈しみ、育ててきた大きな「私たちの子供たち」。
「わぁ…ここまで惑星が満ちると壮観だね」
レイチェルが思わず感嘆の言葉を漏らした。
アンジェリークは「そうね」と相槌を打つと、視線を巡らした。
アンジェリークの目を引いたのは、一際輝く真紅の惑星。
視線がその惑星を捕らえたとき、アンジェリークは淋しげな表情を浮かべた。
胸に刺さる、チクリとした痛みと共に。
女王候補の来訪を歓迎するかのように、輝きを見せる惑星たち。
その美しさは心を和ませるのに充分なはずなのに、
アンジェリークの心は沈んでいた。
日が傾き、空が紅く染まり始める夕刻、
アンジェリークは森の湖の岸辺に座り込んで溜め息を吐いていた。
「はぁ…こんなはずじゃなかったのにな…」
女王候補として聖地に呼ばれ、女王となるために励んできた。
それはけして義務感だけではなく、まるで母のように、
宇宙の発展をアルフォンシアや、レイチェルとともに見守っていけるのが幸せだった。
それなのに、自分は「母」から「女」に変わってしまった。
「ごめん…ごめんね、アルフォンシア…」
たった一人の男性に心を奪われ、
新宇宙のことよりも、その人のことを考えてしまっている。
惑星が新宇宙に満ちること、それは試験の終わりを意味する。
惑星が増えれば増えるほど、アンジェリークの心は焦りと罪悪感の狭間で沈む。
アンジェリークは懐からそっと、ブローチを取り出した。
たったひとつ、あの人からもらったもの。
そのブローチをぎゅっと握り締めると、瞳を閉じて呟いた。
「…諦めなきゃいけないよね…」
幾度呟き、幾度自分に言い聞かせた言葉だろう。
それでも、まだ想いを引きずる自分がここにいる。
アンジェリークは若草の薫る大地の上にパタッと倒れ込むと、
四肢を投げ出し、空気を胸一杯吸い込み、空を見上げた。
天頂は雲一つなく、どこまでも蒼く澄んでいる。
そしてその空の端を夕日が赤く染める。まるで焔を掲げるように。
相反するはずのその輝きが、不思議なほど自然に溶け込む。
美しい自然のコントラスト。
アンジェリークが一番好きな表情を、自然が見せてくれる時刻。
「綺麗…。…でも、今はそれが罪だわ…」
この色彩は、思い出してはいけない人を思い出す。
想ってはいけない人を心に甦らせる。
「…だめよ。今度こそ忘れなきゃ」
見つめつづけていると、また心弱くなりそうで、
アンジェリークは空を見上げるのをやめ、勢いよく起き上がった。
「…帰らなきゃ」
夕日の色も次第に闇に溶け込み、周囲も急速に暗くなってきた。
女王候補寮へと足を向けようとしたとき、
アンジェリークの視界に、人影が映った。
蒼氷色の瞳と、炎の髪。
先程までアンジェリークが想いを馳せていた当の人物。
「……オスカー様!」
「…お嬢ちゃん。ここに来ていたのか…」
オスカーは一瞬驚きの表情を浮かべるが、すぐにそれをしまいこむと、
アンジェリークに笑顔を向けた。
精悍で、それでいて甘いその笑顔に、幾人の女性が心を奪われてきたのだろう。
精一杯平静を装って、アンジェリークもオスカーに笑顔を返した。
「こんにちは、オスカー様。
こんなところでお会いするなんて、偶然ですね」
言うなりアンジェリークはオスカーの傍を擦り抜けるようにその場を立ち去った。
「…!!お嬢ちゃん!!」
オスカーはアンジェリークを引き止めるタイミングを逸し、
ただ走り去る後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
そして、足元に光った物を、複雑な表情で拾い上げた。
アンジェリークは逃げるように走りつづけた。
候補寮の部屋に戻ると、肩を上下させ、息を荒げながら、
扉にもたれかかり、ずるっと身体を滑らせ床に座り込んだ。
傍にいたら、あの瞳を見続けていたら、決心が鈍る。
声を聞いただけで身体から力が抜けるようだった。
あのままでい続けたら、叶うはずのない想いに身を委ねたくなってしまう。
あの人にとって自分なんて、今まで逢った多くの女性の一人でしかないのに…!
アンジェリークは闇に沈んでいく空を窓からぼんやりと眺めていた。
焔のような夕映えも、みるみる藍色に染まっていく。
何時間そうしていたのか。
空には月明かりと星の瞬きのみがその存在を誇示している。
夕焼けの残滓はもはや欠片も見当たらない。
アンジェリークはふと無意識に懐を探ると、
先程まで持っていたはずのブローチがないことに気づいた。
「や、やだ…ない…!」
あの人が、想い出と共に、自分に託してくれたもの。
たったひとつの心の拠り所だったもの。
なにがあってもなくしたくないもの。
アンジェリークは部屋を飛び出した。
森の湖でアンジェリークは草をかき分けていた。
「落とすならここだと思ったんだけど…」
人工の灯りもない湖の岸辺は、月明かりのみが頼りとなっていた。
手元を照らす灯りも小さなもので、暗闇への抵抗もささやかなものに過ぎなかった。
しかし、アンジェリークの恐怖は闇にはない。
「…見つからなかったら…どうしよう…」
先刻からその言葉ばかりが脳裏をぐるぐるとまわり、その瞳は涙で潤み始めた。
これは自分の心を偽ろうとした罰なのかもしれない。
どうせ叶わぬ想いなら、いっそ、このまま捨て去ろうか…?
「…だめ…できない……!!」
アンジェリークは堪えきれずにぽろぽろと涙を零した。
どんなに理由をつけても、どんなに自分を欺いても、
心はただ一人に向かっている。
抗いつづけることなど、もうできない。
「……涙を拭いてくれないか、お嬢ちゃん」
突然背後から聞こえた声に、アンジェリークは身体を強張らせる。
振り向けない。だが、背後に誰がいるのか、誰何するまでもない。
かさり、と草を踏みしめて、オスカーは歩み寄ってきた。
身を強張らせたまま身動き一つ出来ないでいるアンジェリークの小柄な身体を、
後ろからそっと包み込むように腕をまわして抱きしめた。
「…探し物はこれか?」
差し出された手にブローチが握られているのを見て、
緊張の糸が切れたのか、アンジェリークの身体からふっと力が抜けた。
オスカーは左手をそっと伸ばし、アンジェリークの涙を拭った。
「………オスカー様…いつからここに…?」
ようやくアンジェリークは声を絞り出した。
「…夕刻お嬢ちゃんがここから走り去ったときからな」
アンジェリークは抱きしめられた体勢から、
身体を捩って振り向くと驚愕の瞳でオスカーを見つめた。
「──あれからずっと!?」
オスカーはアンジェリークを抱きしめたまま小さな溜め息をついた。
「逃げるように走り去るお嬢ちゃんの後ろ姿と…、
俺がお嬢ちゃんにやったはずのブローチが落ちてたこと…、
…俺自身予想もしていなかったほど打ちのめされちまったんだ。
俺は…お嬢ちゃんの微笑みを見られなくなることに耐えられそうにない。
それを…嫌と言うほど思い知らされた…。
…ブローチ、捨てられたかと思ったぜ」
抱きしめたまま、ブローチをアンジェリークの手にそっと渡しながら、
オスカーは自嘲の笑みをうかべた。
「…不様だと…笑ってくれていいぜ。
自分がなによりも大切に想っている女性が本道を歩もうとするのが、
…至高の高みへ昇ろうとするのが耐えられないと言うんだからな」
アンジェリークを抱きしめるオスカーの腕は微かに震えていた。
そして不意に腕の力を緩めると、アンジェリークを自分の方へと振り向かせた。
深い海の色をした瞳を、オスカーの蒼氷色の双眸が射抜く。
オスカーはゆっくりと言葉を紡いだ。
一言一言、少女の心に染み渡るように、零れ落ちないように。
いつもの軽い口調とは打って変わったその真摯さに、
アンジェリークは息を呑んでその言葉を受け止める。
「これは…許される想いだろうか。
すべてを捨てて、俺のためだけに生きて欲しいと望むのは…。
俺のすべてを、ただひとりの少女のために捧げたいと望むのは…」
オスカーはアンジェリークの頬に手を添えて、
その滑らかな肌をすっと撫でる。
「…誰も…見つめないでいてくれ。その瞳に、俺だけを映してくれ…」
オスカーはじっとアンジェリークを見つめる。
オスカーの腕の中で、抗わずに抱きしめられていたアンジェリークは、
頬に添えられているオスカーの手に、そっと自分の手を重ねて、瞳を閉じた。
オスカーの口唇がアンジェリークのそれと静かに重なり合う。
背が撓るほど強く抱きしめられる。
「……んっ…」
深く、熱く求められ、アンジェリークは甘い吐息を漏らす。
長い口付けから解放されると、アンジェリークは頬を赤らめたまま、
オスカーの胸板に凭れるように身体を預けた。
「…俺のために、すべてを捨ててくれるか?」
アンジェリークは微笑みを浮かべて、静かに首を横に振る。
「…すべてを捨てるんじゃありません。
私の幸せのために、なにより大切なものを手に入れるんです。
まだ……夢を…見ているみたい…。幸せで…怖いくらい…」
「…夢、か。俺は一夜の夢にする気はないぜ。
…だが、どうせ見る夢なら、共に熱い夢をみよう…」
月明かりに微かに落ちる影が一つに重なり合った。
若草の薫る大地を褥として、小さな息遣いのみが更けゆく夜に響いた──
fin.
焔のような夕映えと、蒼く澄んだ空。この組み合わせはほんっとーに綺麗です。普通の夕映えの何倍も。
すごく不思議な空間の中にいるような気分でした。吸い込まれそう、と感じた覚えがあります。
今回、意図的に「好き」とか「愛してる」とかの言葉を使いませんでした。他の表現は使いましたが。
オスカーは、言葉で伝えるんじゃなくて、態度で相手に「愛されてる」と感じさせられるでしょう。
男なら言葉だけじゃなく行動であらわせ!…つーか、行動のみであらわせ、になっちゃったな…。とくにラスト。
…だってさぁ、『夜』『二人っきり』『想いをかよわせ合い』『アンジェリークに微笑まれる』。
ここまで条件そろってて(特に3番目)、オスカーが我慢できると思えますか?