濁酒



とっぷりと夜も更けて、隊士も寝静まった西本願寺。
その廊下に座り込んで柱に身を預け、まんまるの月を見上げて一人静かに杯を傾ける影がひとつ。




視界の端に一番隊の組長の姿を捉えると、向こうも視線に気づいたようで、
隊士部屋に向かっていた足を翻し近寄ってきた。

「まだ起きてらしたんですか、斉藤さん」

「お前さんもな。……事後処理に随分とかかっていたようだな」

「おかげさまで夕餉を食べ損ないましたよ」

肩を落として愚痴を零す総司に、斉藤は徳利をたぷん、と揺らした。


「まあ、座ったらどうだ。
―――たまには月見酒に付き合え、沖田さん」

促す斉藤の隣に座って杯を受け取ると、総司はちびり、とその杯を傾けた。
清酒より甘みのある味と、なによりその特徴的な白濁した色から中身は濁酒と知れた。



「騒動は片付いたか」

「……ええまあ。
事後処理よりむしろ神谷さんを宥めるのが大変でした」

かつて斬った男の縁者が神谷を仇と狙ってきたらしいということだけは、斉藤も漏れ聞いていた。
目の前のこの男が取り乱していない以上、神谷は無事だったのだろうと簡単に推測はつく。
必要であれば後日に副長あたりから説明があるだろうし、なければ事態は片付いたということだ。
となれば自然、話題は神谷自身のことになる。

「あれは狙われて取り乱すような珠でもないな。
―――仇討ちに真っ向から相手をするとでも言い出したか」

「斉藤さんはほんと何でもお見通しですねぇ」





「どうして、神谷さんはあんなに男らしいんでしょうねぇ」

女子の身であるという動かしようのない事実を抱え、その上で一心不乱に道を追い求める彼女に、
生半可な覚悟の男が敵わないのは、素直に納得できるのだが。

私負けっぱなしですよ、と零す総司に、斉藤はふん、とかすかに笑った。

「それは、あいつが女子だからだろう」

「―――は?」

あまりに相反する答えに、総司の頭に疑問符が飛ぶ。



とくとく、と猪口に酒を注ぐ音が、宵闇にやけに響く。

「沖田さん、あんた雪弥を覚えているか」

「ええ、今は大店のご隠居に落籍されて、御茶屋さんを営んでるんでしたよね」

斉藤を想う姿はまさに恋する乙女。
どうかするとそこらの町娘より女らしく見えることもあった。

「今でもたまに町で捕まると強引に一席付き合わされるんだがな。
いつだったか、ふいに話の種にと訊いてみたことがある。
『お前たちは、どうしてそんなに女性のように美しい仕草ができるのか』と」

斉藤は、杯をぐいと傾けて呑み干して一息つく。

「……雪弥は今更何を聞くのかという顔で言ったな」




『そんなん、うちらが男やからに決まってるやないの』



「女子の体にはどうしてもなれんのだから、女子より女らしく見えるのは錯覚の範疇だ、と笑っていたが」

『そやけどこれだけは胸張って言える。
この界隈に生きるうちらみんな、女子の美しさを体現しようとするんに、一点の妥協もあらへんで。
男の目から見る、理想の女性美ってやつやな』




「……男の目からの、理想の女性美、ですか」

「理想像を追えるからこそ、美しく見えるのだ、と言っていた。
あんただって「男」という生き物が高潔なものだなどという寝言は言うまい?沖田さん」

男も女も、自身が綺麗な存在でないことを知っている。
男の浅ましさ、女の愚かさ、それが自らの性と切り離せぬことを本能的に熟知している。

「―――異性だからこそ、理想の異性美を追求できるのだ、と」


『生まれついての女子なら、努力して女子であろうやなんて考えるわけあらへん。
うちらが女子より女子らしく見えるていわはるなら、理由はその差やろ。
自分の性別に胡坐かいとる輩に、負ける気はせぇへんよ』



「……異性ゆえに、ですか」

「そのときもなるほど、と思ったがな。神谷のことを知ってからはさらに得心が行った。
おそらく無意識にだろうが、あいつは自らに理想の男性像を体現しようとしているんだろう」


「―――そうかもしれませんね」

斉藤のその言葉に、総司は濁酒の満たされた杯の水面をゆらゆらと揺らして口を噤む。

どこまでも優しくて、どこまでも前を見据えるあの人は、
芯の強さゆえに自らの性別を越えて、理想を目指す。
その根底に根ざすものは、きっと彼女にとって自らの命より重いものなんだろう。

「……あの人なら、きっといつか理想に手が届くのかもしれません」


「他人事のように捉えてる余裕はないぞ、沖田さん。
神谷が目指してる理想は、まずあんただろうからな」

「―――え!?」

斉藤の言葉に、手にした杯を取り落としそうになる。

「弟分が兄分の背を追うのは自然なことだろう。
俺も富永の代わりに兄として背を追われてるふしがあるからな。
お互い、神谷の理想を崩さんよう、励み甲斐があるというものだ」

「あ…ああ、兄分としてですね!
そ、そーですね。そーですよね。私なにを勘違いを……」

顔を茹でダコにして何を『勘違い』したのかの想像は容易についたが、
斉藤にはそれを親切に教えてやるつもりはさらさらなかった。



もじもじと杯を指先で弄繰り回す総司にちらりと視線をやると、ふん、と鼻を鳴らして斉藤は立ち上がる。
徳利を廊下の床に置いたまま背を向けた斉藤に、総司は首を傾げる。

「―――あれ、斉藤さん。まだ残ってますよ」

「俺はもう寝る。残りはお前さんにくれてやるから適当に片付けておいてくれ」

背を向けたままひらりと片手を振って、斉藤はぎしぎしと軋みを立てる廊下を歩み去っていった。



夜空の下、一人残された総司は徳利と杯を交互に見やり、とりあえず杯の中身を呑み干した。
焼けつかせるように強い酒が、喉と胸を荒らしていく。

ふう、と一息つくと、今度は手酌で杯に酒を満たした。
白濁したその色は、今の自分の頭の中のようだ。

「すきっ腹に、堪えますね……」

もう一度杯を傾けて、総司はぼそりと一人ごちた。






そして強いのに甘く口当たりのいいその濁酒を一人で干してしまった総司が廊下で寝こけ、
不摂生を怒ったセイに井戸水を頭からぶっかけられるのは、また別の話。


白濁した濁り酒→濁って見えない自分の進む道、みたいな感じで。
自覚はしてるんだけどどう接すればいいのかわかんない、くらいなあたり。いつだそれ。
神谷のことを聞こうと思ってたのにうっかり余計なことまで話しちゃった兄上、自分で機嫌損ねてます。