carry



「オスカー様、起きて下さい、オスカー様」

アンジェリークがオスカーの名前を優しく呼んで、一日が始まる。

オスカーはゆっくり目を開けると、その蒼氷色の瞳で傍らの少女に微笑みかける。
「おはよう、『奥方殿』」

からかうようなその台詞に、頬を染めながらも、
アンジェリークも微笑み、言葉を返す。

「おはようございます、『旦那様』」




それは、いつの頃からか。
羽根が舞い踊るように優しく微笑む琥珀色の髪の少女の隣に、
紅玉を溶かしたような髪の青年がいつも寄り添うようになっていた。


少女は、青年と共に寄り添って生きていくことを望んだ。

そして、青年は少女だけの騎士たらんと望んだ。


多くの人々の祝福と、ごく一部の人の涙のもと、
ささやかに誓いの儀式を交わし合った。



そして、二人が共に暮らすようになって、一週間が過ぎようとしている。


すでに日は高く、半分開かれた窓からは、
程よく暖められた風がそよいでくる。


「オスカー様、そろそろ支度なさらないと」
「…ああ、そうだな…」

アンジェリークから差し出された服を受け取り、
袖を通しながら、気乗りのしない声で返事をする。


急ぎの仕事はないので、朝から大慌てで出かける必要はないのだが、
それでも執務室へと顔を出さないわけにはいかない。
その間、もちろんアンジェリークの顔を見ることができなくなるので、
このジレンマは、オスカーにとって、毎日の悩みの種であった。

いっそ仕事をサボろうかとも思ったこともある。
だが肝心のアンジェリークから「お仕事、頑張って下さいね」と微笑まれてしまえば、
…仕事に精を出すほかないではないか。


「いつでも顔を見ていられる手はないものかな…。
…いっそのこと、女王補佐官にでもなってしまえれば…。
…ロザリアに打診してみるかな…」

ブチブチと呟きながら、オスカーは身支度を整える。
アンジェリークは、ベッドのシーツを取り替えたり、
花瓶の水を入れ替えたり、と忙しく動き回っていた。

オスカーは自分の傍をアンジェリークが擦り抜けようとしたとき、
軽く腕を掴んで引き寄せ、口唇に軽く触れるだけのキスをした。


「……じゃ、いってくる」


オスカーは口唇を離すと、何もなかったように笑顔を向けた。


アンジェリークは火照った顔を両手で包みながら、消え入りそうな声で言い返した。
「…朝の『挨拶』は…頬くらいまでにして下さい…」




オスカーを送り出した後、アンジェリークは自分の仕事を済ませにかかった。


少々の家事は人を雇えばいい、とオスカーは言うのだが、
元来世話好きで、中流家庭に育ったアンジェリークには、
身の回りのことを人にしてもらうのはどうも落ち着かないのだ。

それに、オスカーの仕事の手伝いは、したくてもすることができない。
ならば、せめて私邸に戻ったときには安らげるよう、
それくらいの手伝いは自分の手でしたいのだ。


取り替えたシーツを洗濯して、部屋を掃除する。
広すぎる屋敷のすべてを片づけることは無理なので、
一日に一部屋ずつ、少しずつこなしていくことにしている。

「…んっと、昨日は応接室掃除したから…今日は、書斎にしようかしら」

掃除道具を抱えて、アンジェリークは書斎へと向かう。


独りで住むには広すぎて、二人で住むには……やっぱり広すぎる。

「もう、…使いもしない部屋がたくさんあるんだから…」

アンジェリークがそんな言葉をつぶやいたのは、
書斎に向かってたはずが、見慣れぬ小部屋にたどり着いた時である。

…あまりに広すぎて、一本廊下を間違えたようだ。

「今更引き返して書斎にいくのもなんだか間が抜けてるわよね…。
…いいわ、書斎は明日にして、今日はここ掃除しましょ」


使いもしない部屋、と評したのは間違いだったようだ。
雑然とした散らかり具合は、ごく最近人が訪れたのを示している。
むろん、この私邸の主、オスカー以外の何者でもある訳がないが。

書斎ほどではないにしろ、幾つか本棚が置かれて、
そのうち数冊が部屋の中程にある机に散乱している。

「意外とオスカー様も本をお持ちなのね」
机の上の本を取り揃えながら、アンジェリークは呟いた。
よく見てみると、主星以外の…他の惑星の経済情勢を記した本だったり、
仕事に関連した本ばかりなことに気づく。
なにかの調べ物の途中だといけないので、本棚にはしまわず、
机の上を整頓した後、重ねて積み上げておくことにした。


本を重ねていると、不意に見覚えのある一冊のノートが目に付いた。

それは、女王試験が中程まで進んだ頃、伝えられぬ想いを持て余して、
ちょっとした悪戯をこめて、オスカーに贈った物。

アンジェリークは口元をほころばせた。

「…オスカー様、こんなのまだとっておいて下さったのね」


アンジェリークはぱらぱらとページをめくる。
贈った時のまま、白紙のページばかり…未使用のまま。
何の変哲もないただのノートなのだが、最後から2枚目のページに、
たった一言、自分の想いを書いておいたのだ。
『愛しています』と。

目に付きにくい場所にこっそり記した言葉。
気づくか気づかないか…それはどうでもよかった。
想いを伝える勇気を持てなかった自分への、
ささやかな儀式のようなものだったから。

そのページを開いた時、アンジェリークの指が止まった。

自分の書いた言葉の下に、別の言葉が書き加えてあったのだ。
『ただ一人の為に生きよう』と。


「オスカー様…」
アンジェリークはぎゅっとノートを抱きしめると、うっとりとした表情で瞳を閉じた。



「…そういう表情は俺に向かってやってほしいんだがな」

背後から突然聞こえた声に、アンジェリークはびくっと心臓を跳ねさせた。

「オ…オスカー様!!…な、なんで…お仕事中のはずじゃ…」

いつもなら夕刻になるまで仕事にかかりきりのはずのオスカーが、
いきなり自分の後ろに立っていたともなれば、驚いて当然だろう。

「ルヴァに返す資料を忘れたから取りに戻ってきただけだが…。
まぁ、そんなことはどうでもいいさ。
予定外に再会できたんだ。離れていた時間を埋めあおうじゃないか」

「え…え!?」

取り乱すアンジェリークを笑いながら抱き上げると、
寝室に向かってすたすたと歩みを進める。

「オ、オスカー様、駄目です、宮殿に戻られなくちゃ…!」
「なぁに、資料を探すのに手間取ったと言えば済むことさ」
「…オスカー様ぁ〜!」


………こうして、アンジェリークとオスカーの一日は過ぎていく。




そして、樹々も眠りに付いた夜。

となりで眠る最愛の人の寝顔を眺めながら、
アンジェリークはオスカーの頬に口唇を落とす。


自分は大それたことを望んでいるのかもしれない。
だけど他の望みなんて、持てないから。

「…いつまでも…貴方の傍に…」

誰にともなく呟いたその言葉は、毎夜変わらぬ祈りの言葉。
願うのは、ただ、それだけ。

アンジェリークが祈りを捧げて、一日は終わりを告げる。




風が吹き込んだ。
誰もいない部屋の片隅で、ノートが風で頁を捲られていく。

開かれた頁には、二人が想いを綴った一言だけが、
ひっそりと月明かりに浮かんでいた──


fin.


新婚ほやほや甘々を、と依頼されて書きました。…しかし、どのへんが甘いって?
なんとか「らしい」のは『抱き上げて寝室へ』のシーンくらいじゃなかろうか。作中では端折りましたが、
あの後オスカーはやることやってから(他に言いようはないのか…)、ちゃんと宮殿へ戻ったんです。

タイトルの「carry」は、『運ぶ』という意味ではなく、この場合、『伝える』という意味です。

そして、ノートのエピソード。藤之はSP2をプレイすると、大抵「立派なノート」は誰にもあげずじまい。
宇宙になるまでは頻繁にお誘いが来るし、宇宙になってしまえば好きなプレゼント買えるしで。
そんな存在感のないノートくんに(あくまで個人的な見解ですが)、桧舞台を(笑)。