Anniversary
―――どうしてこんな事態に。
千尋は混乱する思考の隅でそんなことをちらりと考える。
先ほどまではたしかに平和な時間が流れてふたりで穏やかに話していたはずだったのに。
そうだ、たしか今日はアシュヴィンの誕生日だから何がほしいかと訊ねていたはず。
なにしろ相手は一国の皇であり、欲しいと思ったものなど千尋が贈るまでもなくたやすくその手にできる存在なのだ。
そうでなくても彼は思いのほか物欲には薄く、何かを欲しいと意思表示をしたことがほとんどない。
迷った末に数日前から訊いていたのに『当日教える』とはぐらかされ続けていたそれを問いただして…………次の瞬間、視界がひっくり返って。
座っていたはずの長椅子に慣れた手つきで自分を押し倒した夫の身体を押しのけるように腕に力を込めるが、憎たらしいことに鍛え上げた武人でもある彼は千尋の細腕での抵抗などものともしない。
たやすく両手首を捉えられ、首筋に顔を埋められると、くすくすとくぐもった笑い声が耳元に届いて千尋の羞恥を煽る。
「ア、アシュ、待っ―――」
「待たない。―――祝ってくれるんだろう?奥方殿」
「やっ、そうだけど、だからってなんで、こんな」
「ならばかまわんだろう。俺がほしいものは―――お前なのだから」
「な――――」
「物品なんぞに興味はない。欲しいもの要るもの手にせねばならぬものは自力で手にできる。常世の国の平和とて、俺自身の力で如何にでもしてやるさ。
……だが、千尋。お前だけは、お前がいなくてはこの手にできないだろう?
ああ、そういえば日の高いうちにお前を抱くのは初めてだな。
降り注ぐ太陽の元、光の比売神をこの手で花咲かせる。うむ、実にすばらしい贈り物だ」
アシュヴィンはものの見事に手前勝手な独自理論を展開し、皇妃の衣装は贈り物を包む包装とばかりにいっそ鼻歌でも歌いだしそうなくらいに楽しげに千尋の衣装を剥いでゆく。
あらわになった象牙色の肌を悪戯に撫で、薄紅に染まる目元や唇に口付けの雨を降らせて、千尋の理性を突き崩そうとする。
―――だめ、このままじゃ流される!
千尋はありったけの理性を総動員して、なんとか言葉を絞り出した。
「―――だったら!記念日以外はあげなくていいのね!?」
千尋の意外な抗弁に、アシュヴィンはさすがにその動きを止めた。
勝った、と千尋は勝利を確信したが、次の瞬間、アシュヴィンはにやりと人の悪い笑みをその口の端に浮かべた。
「……いいぜ?」
「え……」
「よし、これでなんの問題もないな。さて存分に堪能させていただこう」
「ちょ―――んっ」
反論も抵抗も唇ごと封じられ、千尋はなすすべもなく、自らを貢物として半強制的に美味しくいただかれてしまったのだった。
そして、このとき言い放った自分の台詞を、千尋はしばらくの間後悔することになる。
なぜ―――誕生日以外は、と言っておかなかったのかと。
翌日の夜、寝所にて当然のように千尋を押し倒してきた夫に、千尋は流石に反抗をした。
「記念日以外はあげなくていいんでしょ!」
やや怒気を含んだ声でそう言い放つ。
しかしアシュヴィンは引き下がる気配など微塵も見せず、不敵に笑みを浮かべた。
「記念日だろう?―――お前と出会ってから、今日で300日目だ。実に切りがいいじゃないか」
「…………。―――はぁ!?」
翌日。
「今日は違うでしょ!」
「いいや?二度目の結婚式からちょうど3月だ。」
「ええ!?」
さらに翌日。
「笹百合の谷に5回目に共に行ってから80日だな!」
「5回目の80日って半端!!」
さらに翌日。
「最初の結婚式から半年目だ」
「ちょ―――!」
さらに以下省略。
「お前が初めて岩戸に閉じこもった日から半年だな」
「そんなものまで数えないで!」
中略して最近。
「お前との出会いから333日」
「ぞろ目まで!?」
直近。
「お前の軍と行動を共にして200日」
「きゃ―――っ!!」
「皇妃様……お疲れのご様子ですわね…」
連日ぐったりとする皇妃の身体を気遣って、少々年嵩の采女頭が香りのいいお茶と甘いお茶菓子を差し入れてくれた。
千尋は暖かな湯気の立ち上る銀杯を受け取ると、杯を持ったまま長椅子に体を沈め、ゆっくりとお茶を口に含んだ。
お茶の味はさすがにリブの技術には及ばないが、采女として年季の長い彼女の技術もなかなかのもので、女同士の気安さと、采女頭として接点の多いことも手伝って、千尋は彼女の淹れる茶をよく好んで飲んでいる。
「疲れるというか……た、体力の回復する暇がないというか……」
はあ、と疲れたため息とともに愚痴がこぼれる。
若い采女は色ごとに色めきたって興味を示す中、年嵩の彼女は理解と遠慮との兼ね合いがうまく、かえってこうしたプライベートに突っ込んだ相談もできる千尋にとって希少な相手だった。
連日の出来事は彼女も承知しているが、皇が皇妃を寵愛することに異を唱えることなどできようはずもない。
けれど目の前の皇妃の消耗ぶりを見ていると、ちょっと助け船を出してやりたくなるのは同じ女性としての老婆心というものか。
「適当な日付をおっしゃっているのでしたら、それをご指摘になればよろしいのでは?」
「それがね……」
もちろん千尋とて、すべての出来事の正確な日付を覚えているわけではないが、彼との出会いから結ばれるまでの、馴れ初めのどれもこれもが波乱に満ちて印象的なものだ。
真実の夫婦となってからも日が浅く、いつ頃何があったかくらいはさすがに記憶に残っている。
なので、それを試みたことがないわけではない。………そしてその結果はと言えば。
「……一応言われたこと書き出して思い出しながら数えてみたら……少なくとも食い違ってるものはひとつもないのよね……」
どうやら本当に覚えているのだ、アシュヴィンは。
千尋以上に正確かつ詳細に。
「………………」
微妙な沈黙が降りる。
「………………愛されてらっしゃいますわね」
礼を失しない範囲でかろうじてそう言った采女の視線があさっての方角を見てるのは、千尋の気のせいではないだろう。
「……目を逸らして言わないで……」
しかもここでその一言で片づけてしまったら、いよいよ進退窮まる気がしてならない。
はぁぁぁぁ、とひときわ深いため息が零れた千尋の傍で、茶器を片付け終えた采女が何事かを思案して、そしてひとり納得したように頷いた。
「でしたら、残る手段はご懐妊しかないですわね!」
「――は?」
………何か今、ものすごい発言を聞いたような。
恐る恐る采女を見やれば、さも名案を思い付いたとばかりに拳を握り締めて力説する采女が視界に入り、千尋は大粒の汗を零した。
「御子がお出来になれば、陛下も皇妃様のお身体をお気遣いくださるはずですわ!
常世のお世継ぎ問題も片付きますし、常世と中つ国との関係もよりいっそう盤石になりますし、皇妃様のお立場も揺るぎなくなります。
一石二鳥どころか、三鳥も四鳥も狙えますわ!」
「ちょ」
「皇妃様、はりきってお睦みあそばしませ!!」
「ちょっとぉぉぉ!?」
「そういうことなら、俺も協力を惜しまないぞ」
「アシュヴィン…っ!?」
いつのまに部屋に入ってきていたのか、開かれた扉に凭れかかる形で腕を組み、こちらを見ているのは件の皇本人だ。
アシュヴィンは驚き戸惑う千尋のそばにすたすたと近づくと、ひょいと慣れた動作で千尋を抱き上げ、優しい表情で微笑みかける。
「千尋に子を産んでもらうことに、俺に否やがあるわけないだろう?」
千尋とてアシュヴィンとの間に子がいらぬというわけではない。
………わけではない、のだが。
「や、だって、その、それとこれとは」
しどろもどろになりながら助けを求めるように采女を見れば、彼女は満面の笑顔を浮かべた。
「いってらっしゃいませ」
深々とお辞儀をされて見送られてしまった。
「いやあのちょっといってらっしゃいってどこへ―――っ!?」
千尋の動揺もどこ吹く風に、アシュヴィンは千尋を抱き上げたまま、一人納得顔で頷いた。
「―――よし、今宵は回数重視で励ませていただこう。やれなくなった時の分まで先取りしておかなくてはな!」
ピキリ、といっそ音が聞こえそうなほどに千尋が固まる。
うきうきしてると言ってもいいほど上機嫌に千尋を寝所へ拉致するアシュヴィンの腕の中で、千尋はぷるぷると身を震わせた。
「……ア……」
「アシュヴィンの馬鹿――――――っ!!!!!」
常世の根宮に、皇妃の切ない叫びがこだました。
誕生日にかこつけてアシュが欲しがるものとえば千尋。鉄板鉄板。今後も当サイトは期待を裏切らない方向で進めていきたいと思います(笑)
かっこいいアシュヴィンはどこにいったのだろうとかこの色ボケが本当に皇かとかその辺の疑問は丸めてくずかごに放り込んでとりあえず誕生日おめでとうアシュヴィン!1/31は愛妻の日でもあるし、たっぷりと妻を愛したおしたことでしょう(笑顔)しっかし30行ほどで誕生日が関係なくなる誕生日SSというのもどんなもんか。
ネタの出所は夏のチャットで、「アシュヴィンは何度も千尋と結婚式を挙げて、常世は結婚記念日で祝日だらけ☆」みたいなネタがあがったこと(笑)おうよ他人の褌で相撲とってるぜ(笑)
おまけ。
↓
采女は寝所に消えた皇夫婦を見送ると、ぺこりとその部屋に向かってお辞儀をひとつし、自らも部屋を辞した。
夫のことを話す彼女の表情は、愚痴でも文句でも愛らしく幸せそうでこちらが中てられてしまうほど。
つまりは皇妃の皇への想いもひとかたならぬわけで、皇が突然皇妃を求めるのをやめればよりいっそう皇妃は悩むに決まっているのだ。
どちらにしても悩むのなら、愚痴で済む現状が結局のところ一番よい状態だろう。
自分の言ったとおり、御子ができればそれはめでたいことだ。
去り際の皇の言葉からしても、御子を宿した皇妃に無体を強いる方ではなかろうし。
この二月近く毎夜寝所に籠もらされがらも、なんだかんだで皇妃も口では皇の行動を咎めていようと、翌朝まで怒りを継続させていたことはないのだし―――
そこまで思考を回して、脳裏になにか引っかかりを覚えた采女ははた、と足を止める。
どこに引っかかりを覚えたのかも分からず、改めて今の思考をなぞりなおす。
この二月近く毎夜――――二月近く?
「―――…………あら?」
この後、あわてて典医のもとに駆けていく采女の姿があったとかなかったとか。
今度こそ終わり。