アネモス
むせ返るような花の香り。
常春の聖地において、それ自体はけして珍しいわけではない。
聖地を歩き回る女王候補。
試験も2度目になればそれもまた今は珍しいわけではない。
『だけど、両方を同時に体験するというのは、初めてだったような気がする』
目の前の状況をぼんやりと把握しながら、
そんなことを考えたのは、風の守護聖ランディ。
「アンジェリーク、どうしたの、それ」
ランディが見たのは腕いっぱいに花を抱えたアンジェリークの姿。
「アネモネの花です。綺麗でしょう?マルセル様に頼んで、分けて頂いたんです」
いつでも花のように可憐な笑顔を見せるアンジェリークは
花の中でもなお可憐に咲き誇る笑顔で微笑みかけた。
花自体はけして大きくはないのだが、腕いっぱいに抱えているので、
アンジェリークはまるで花弁の海に埋もれているようだった。
「…うん…綺麗…だね」
花よりも君が…と、そう続けそうになって、ランディは慌てて口を噤む。
「寮までそれじゃ大変だろ?俺…半分持つよ」
ランディはそう言うと花束を半分取り分けて自分の腕に抱えた。
ランディの腕では片腕に収まるほどだったが、アンジェリークの方は
半分の量になったとはいえまだ両手を使わなければ持てない量だった。
だけどランディが持つのは半分だけ。
大変そうだったから、という理由だけで手伝いを申し出たわけではなかった。
花の中のアンジェリークを…もっと見ていたかった。
候補寮までの帰り道、ランディはアンジェリークに訊ねた。
「こんなにたくさんの花…、どうするんだい?」
「部屋に飾るんですよ」
アンジェリークは、当然、とでもいうように答えた。
だが、とても一つの花瓶に収まるほどの量ではない。
「飾るって…これ全部?」
「そう、ぜぇ〜んぶ!」
あっけにとられているランディに気づいているのか、いないのか、
アンジェリークは愛しそうに花束を抱き寄せ、香りを嗅いでいる。
だが、ここで反対するのも妙なものなので、真意を計り兼ねながらも
ランディは「そうなんだ」と答えるしかなかった。
翌日も、花束を抱えているアンジェリークを見かけた。
その翌日も。また次の日も。
いつも、嬉しそうにマルセルの執務室から花束を抱えて出てくる。
なぜか花は決まってアネモネの花。
ここまでくると、ランディも気にせずにはいられなかった。
ランディは、マルセルの執務室を訪れた。
「マルセル、ちょっといいかな…」
「あっ、ランディ。さっきまでアンジェリークが来てたんだよ。
もう少し早く来てれば逢えたのに」
マルセルがからかうように笑う。
「いや、今日はマルセルに用事が…」
頬を染めながらそう言いつつも、ランディはほんの少し残念な気持ちになる。
アンジェリークに逢いたかったと思う自分が、そこに確かに存在する。
マルセルはランディの言葉を待たずに自分から切り出した。
「いつもアンジェリークがもっていく花のこと…でしょ?
…ランディ。アンジェから直接聞いた方がいい。
…僕に聞いちゃだめだ。きっと、後悔するよ」
マルセルは知っている。
ランディがいつもアンジェリークの後ろ姿を宮殿から見送っていたこと。
ランディの元を訪れた日はもちろんのこと、別の執務室を訪れた日も。
その眼差しが、他のどんな時より切なくなることも。
…自分の淡い好意よりも強い想いで、アンジェリークを求めていることも。
それを、アンジェリークは気づいているのか。
そこまではマルセルは知らない。アンジェリークも何も言わない。
だが、アンジェリークはマルセルから毎日アネモネの花を貰って帰る。
マルセルにとって、これほど雄弁にアンジェリークの心情を語るものはなかった。
アンジェリークが誰を見ているか…。今、知っているのはマルセルだけかもしれない。
アンジェリークは動こうとしない。ただ、アネモネの花に埋もれるだけ。
自分次第でどう変わるかわからない、男女の心の歯車。
そして、マルセルは、歯車を逆に回そうとはしなかった。
マルセルはランディの目の前に、一輪の白い花を差し出した。
「この花、ランディにあげる。アンジェリカっていうんだ。
…大切にして。僕の分まで…」
ランディはアンジェリークの部屋の扉を叩いた。
アンジェリークが花束を持ち帰るようになってから、初めての訪問だった。
アンジェリークは驚いていたが、いつもの笑顔でランディを招き入れた。
部屋はアネモネの花で溢れかえっていた。
アンジェリークは言ってた通りに全ての花を飾ったらしい。
大小様々な花瓶が壁際いっぱいに所狭しと置かれていた。
「ごめんなさい、狭いでしょう。わざわざこんなところで話さなくても、
外でお話伺ってもよかったのに」
「いや、ここがいい。ここで話したかったんだ」
ランディはずっと聞きたかったことを切り出した。
「君は、毎日マルセルからアネモネの花を貰って帰るよね。
いつもいつも…、アネモネの花だけを」
お茶を出していたアンジェリークの動きが一瞬止まり、
ティーカップがカチャンと小さく音を立てた。
しかし何でもなかったようにお茶を出し終えると、
アンジェリークも席についた。
ランディはそのアンジェリークの様子には気づかず、話を続ける。
「なんでもないことに頭悩ませてるって…、馬鹿みたいだってわかってるけど、
俺は…それが気になってしかたないんだ。
マルセルに聞いても『アンジェに直接聞け』って言われちゃったし…」
「なんでもないことだなんて、どうしてそう思うんです?」
アンジェリークは笑顔は浮かべたまま、そう言ったが、
だけど口調はけして笑っていなかった。
「私にとっては…とても大切なことなのに…。
ランディ様がそれを気にしてくださったことが、とても嬉しいのに」
アンジェリークは花瓶に挿したアネモネの花を一輪手に取った。
「この花に囲まれて毎日を過ごすのが幸せなんです。
この花を見て…いつもランディ様を思い浮かべているんです」
ランディは予想もしないことを言われて困惑する。
自分のことを思い浮かべる?
向日葵だの雑草だのなら言われた事もあるが、
アネモネはどちらかというと線の細い、たおやかな花だ。
何故この花で自分のことを思い浮かべるのか、わからない。
アンジェリークはくすくすと笑う。
「ランディ様、私の言ったこと、わかってます?
私、毎日ランディ様のこと考えてるんだ、って言ったんですよ」
貴方が、好きなのだと。
途端、ランディはかあっと紅潮した。
アンジェリークはランディを見据えて、
誤魔化しを許さない真剣な眼差しで告げた。
「…答えを、ください。
イエスでもノーでもいいですから。
…ランディ様の、本心を聞かせてください…」
ランディはアンジェリークを見つめ返す。
アンジェリークは微かに震えている。
それは恐れ。
けして嫌われてはいないとわかっていても、
愛しいと思ってくれているか…それはわからない。
拒絶の言葉が飛び出すかもしれない。
身構えて、ランディの言葉を待っている。
ランディは一つ呼吸を置いて、気持ちの整理をつける。
自分の本心?
それは、ずっと前からわかってる。
「俺は…毎日、君をみていたんだ。
君の姿を、仕草を、声を、すべて自分の瞳に焼き付けておきたくて。
君が、試験を終えて去ってしまっても、いつでも思い出せるように」
君を、想って想って……。
だけど、もう一歩を踏み出す勇気を持てなかった。
君が、他でもない君が、背中を押してくれた。
「好きだよ」
アンジェリークは幸せそうに微笑んだ。
ランディはその瞬間、ふわっとした感触が自分を包んだのを感じた。
アンジェリークが抱き着いてきたのだ。
「好き、好き、大好き!」
仔猫のようにじゃれつきながら、
アンジェリークも精一杯気持ちを伝える。
ランディもアンジェリークを抱きしめる。
今まで伝えられなかった分も取り返すように。
暫くそうして抱き合っていた後、ランディはアンジェリークに問い掛けた。
「どうしてアネモネの花で俺をを思い浮かべるか、聞いてもいいかい?」
アンジェリークはくすっと笑うとランディの疑問に答えた。
「…アネモネの名前の由来、ご存知ですか?」
ランディが首を横に振るとアンジェリークは、
にこっと笑ってランディの耳に口を近づけて囁いた。
───アネモス……『風の花』…って、言うんですよ───
fin.
ギリシャ神話の、アドニスの神話から題材を得ました。
アネモネが「風の花」なのは、風に吹かれるだけで散ってしまうほど儚い花だからだそうですが。
今回はマルセルがゲスト。花を使ったら自然にでしゃばってました(笑)。
自分もアンジェが好きだけど他人の恋を取り持つマルセル。自分で書いといてなんだが、大人だね。