雨の夜の別離





霧雨が降る宵の口。


僕は青い布を纏って、街はずれを歩いていた。
日中の喧噪がなりを潜めた夜の街の一角の、落ち着いた佇まいの邸の前で足を止める。

庭先へと歩を進めると、窓を見上げた。

僕は2階の窓から漏れる灯りを確かめると、
ごくごく小さな石を拾い、ひゅっと窓に投げつける。
かつ、と微かな音を立てて小石が跳ね返った。

シャッと勢いよくカーテンが開けられ、次いでかたりと窓が開かれる。

そこから顔を覗かせた住人が、僕の姿に気付いて慌てて引っ込んだ。


待つ事しばし。


ぎいっと玄関の扉が開かれ、夜着に軽く上着を羽織った姿の女性が姿を見せた。
この国では珍しい長い黒髪がよく似合うそのひとは、
少なからぬ年齢を重ねても、美しい、と素直に表現出来た。


「………ブルー殿……か?」

語尾に疑問符が付くのは無理もない。
僕の今の姿は、彼女と初めて逢った頃の――数十年前の――姿だったから。

そのことには触れず、僕は瞳を伏せて、彼女に告げた。

「――金の灯火が、消えたよ」

その言葉だけで、彼女には十分のはずだった。
案の定、彼女は僕の言わんとする事を察し、哀しげに顔を曇らせた。

「…………そうか」


またひとり、共通の知人を亡くした。

この国で彼女が星の娘候補であったのはもう遠い昔の話だ。
あの頃の友人知人は、幾人もこの世を去った。

――僕の、妻も。



「では……アクア殿はどうしておる?」

「彼女は……」



――ブルー、わたし、いくわ。


――彼は、寂しんぼうだもの。わたしがそばについててあげないとね。


そういって、空に溶けていった、かつての『半分』。

「……寂しがりやの妹は、彼の魂の軌跡を……追ったよ」

「そう、か」


哀しみの中に、どこか納得したような面持ちで、彼女は頷いた。

これで、かつての『候補』の中で、残されたのは彼女だけだ。
――もっとも、候補がどうの、ということは彼女にとって大きな問題ではない。
僕の妻であった人も、妹として生きた『半分』も、そして彼女にとっても、
ただ、互いがかけがえのない友人であった、というだけで……それで十分すぎる。



しとしとと、雨は降り続けている。



「僕は、海に還るよ」

纏った青の衣を軽く胸元にたぐり寄せて、僕は静かにそういった。



「海に還って……この国の行く末を見守ろうと思う。
彼女が……愛した国だから」

栗色の髪を風に靡かせて、愛おしげに故郷への思いを語った、あの人の。

「ブルー殿……。そうか、それでその姿か……」


愛した人も逝った。
大切だった妹も、空に溶けた。


「アクアは彼の魂を追ったけど……。
僕は、マリンがもう一度生まれてくるのを待つよ」

きっと生まれ変わった彼女は僕を覚えてはいないだろうけど。
でもいいんだ。
覚えているのは、僕だもの。

今度は娘や妹のように愛する事になるのか、
それともまた女性として愛する事になるのか、
それはわからないけれど。

もう一度出逢いたい。あの澄んだ魂の輝きに。

だから、マリンが、新しい命になって帰ってくるのを待つ。
彼女が愛した、彼女と共に生きたこの国を、見守りながら。


「……一人で、か?」

「一人じゃないよ。僕らの子や、あなた達の子もいる。
………ただ傍で生きないだけで、けして一人じゃない」

いつ還るとも知れない『半分』を待ち続けていた、あの時間とは違う。
僕らの遺した、命の行く末を見守るのは、けして孤独なことじゃない。


「そうか……そうじゃな。それも……よかろうな」

彼女は自分に言い聞かせるように幾度か頷きながら、僕の道を肯定してくれた。



「――ごめんね」

「何を謝る」

「だって、何もかもが僕のせいだ。それを……思い出したから」



人が神と呼ぶ身を捨て、人として生きた。
少しずつ、少しずつ思いだしながら、今まで生きてきた。
『半分』だった、アクアのことも、どこまでも純粋に好いてくれたマリンのことも。
そして目の前の彼女を含めた騎士院の人たちと、幾度か諍いを交えたことも。

それで全部だと思っていたのに。


人として生き老いていった身を捨てたとき、より鮮明に甦った、過去の記憶。
その中には、今まで「マリンの友」というだけの存在だった彼女との、接点があった。


人を滅ぼそうとした僕の末路は望ましからぬとして、『未来』がつれてきた、彼女。
『あってはならぬ未来』……いや、『あるいはあり得た未来』。

「僕ではない僕だけど、貴女の人生を無理にゆがめたのはやはり僕のせいだ」

「――歪められたとは、思うておらぬが」

「うん……それでもね。僕がいなければ、貴女はこの世界と関わる事はなかった」


愛した人も、逝った。
大切な妹も、空に溶けた。
彼女たちが遺した子供達も、強く雄々しく生きている。

僕らに連なる子らの行く末を見守るのに、なんの不安も未練もない。

もう、思い残す事は………たったひとつ。


「……たぶん……今の僕なら、帰してあげることも、できると思う」

「なに…?」


人として生きた姿を捨て、再び海に還れば、かつての力もおそらく戻る。
僕がこの地を滅ぼす運命を選び取らなかったことによって『未来』の干渉も消えているはず。

ならば、元在る場所へと道を繋ぐことも、出来る。
――彼女が、それを望みさえするのなら。

「もし貴女が望むなら……帰してあげるのが僕の責務だ。
……貴女を、本来在るべき場所、在るべき時間へ。
それを………言いに来たんだ」




降り続く雨が絶え間なく敷石に打ち付ける音が響く。
他に聞こえるものもない僕らには、むしろそれは互いの間に横たわる静寂を強調する。




「――必要ない」

彼女はふるふると頸を横に振った。
その表情はどこまでも穏やかだ。

「……私は、この国に、骨を埋める。
一生添い遂げるという契りを交わしてこの国に残った。
なのに今なら帰してやれると言われたからとほいほい故郷に帰るなどは、筋違いじゃ」

「……それで……いいの?」

「ブルー殿。私は、ここに来た事を不幸だと思った事は一度もない。
少なくとも、あの地にあってこの歳まで生き永らえることはなかったであろうし、
なにより――あやつと一緒になれたのは、ここに連れてこられたからこそじゃ」


彼女は2階の、既に明りが消えた一室を見上げた。


「私は……あやつを看取ってやりたい」


その視線の先にある部屋には、軽い病に伏した彼女の夫が休んでいる。


「あやつを残してこの地を去るは、裏切りじゃ。
ただでさえ、私がいつか帰るのではと怯えておったからの」

「………あの人が?」

「ふふ、意外か?まぁ、そうであろうな。
あやつは人に弱みを見せるのが耐えられぬ性分じゃったからの。
幾度帰らぬと言っても心からの安堵はせんじゃろうし。
――まったく。子まで成してもまだ不安がる」

夫をまるで手の掛かる子供のように戯けて言ったかと思うと、
ふっと深い笑みを刻んだ。


「だから……あやつの生の終わりまで、傍に在る。
残されることに酷く怯えたあやつのために。
あやつより先に逝かぬのが、最後の私の愛情表現じゃな」


「その後は?」

「その後は……そうじゃな。あやつの墓守でもして、余生を過ごすさ」

「それも……素敵だね」


僕は、心のつかえがとれたように、柔らかく笑えた。




「不思議なものじゃの」

「え?」

「つれてきたのもおぬしなら、帰すと言うのもおぬし。
私が人生を大きく変えるときには、おぬしがいることが多いようじゃ」

「そうだね」

でも、連れてこられたのは彼女の意志でなくとも、帰るかどうかを決めたのは彼女だ。
僕は――その分岐点で、立て札を立てただけ。


今更ながら、面白いひとだ、と思う。

彼女は人一倍、己に課せられたものが多いのに、それに流される事のないひと。
真実選ぶべき道を、自分の足で立って選べるひと。

だから……これからもちゃんと自分の幸せをつかめるひと。


「――『未来』がつれてきたのが、貴女でよかった」

「なんじゃ、藪から棒に」

「ううん……なんとなくそう思っただけ」





「じゃあ……もう、行くね」

「達者でな」

「うん……貴女も」


僕はそう言って彼女に背を向けると、歩きだす。
宵闇と雨に紛れるように。
まるで、ただ家路につくかのように。


別れの言葉はいらない。
海に、波に、川に、雨に、霧に、雫に。どこにでも僕はいるから。
見守っているから。



だから、暖かな雨が降った夜には……僕の事を思い出してくれるだけでいい。



fin.

私的、『なんとなく葵のブルーEDってこうあるべきなんじゃないかなぁ。』創作。ながっ。
(ブルーも葵も別の人と結婚してますけどね(笑))
アクアのお相手は、バレバレだけど伏せてみました。まぁ、いつもの人ですけど(笑)
葵のお相手は――お好きな方をどうぞ(笑)←こればっかしや。
ついつい夜の雨の壁紙を探し回ってしまいました(笑)

書こうかと思いつつ、話の腰を折るので省いた設定(ていうか後日談)もあります。
実は葵のダンナはこの二人の会話を聞いていて、雨の日のたんびに懐かしそうに外を眺める葵に年甲斐もなく妬くのですが、
葵は帰らないと即答してくれたから拗ねながらも許容する、て話。