Endymion
月の光が音もなく大地を照らしている。
まだ明かりの残る宮殿の女王補佐官ロザリアの部屋。
キィッと耳障りな音を立てて扉が開く。
部屋の主たる蒼髪の女性が、扉に視線を移すと、そこには扉に凭れるような姿勢で、紅い髪の青年が立っていた。
コンコン──。
開いた扉に、遅れたノックが響く。
「月が…綺麗だ。夜の聖地を…少し歩かないか?」
そう言ってロザリアを誘ったのは、炎の守護聖、オスカーであった。
暖かさの残る夜風が、二人を包むように吹きすぎていく。
雲のない夜空から降り注ぐ、冴え渡る月の光を浴びて、ロザリアは庭園の噴水の傍で神秘なまでの美しさで佇んでいた。
「まるで月の女神…だな。そうしていると。
月光に溶けて、消えてしまいそうだ…」
「月の女神…ね…。いっそ…そうなれたら、どんなにいいかしら…」
ロザリアの表情に一瞬よぎった寂しげな瞳が気にかかったが、オスカーはそれを問いただそうとはしなかった。
無理に聞こうとすると、頑なに心を閉ざしてしまう女性だから。
それを、長くなった付き合いの中でよく知っていたから。
「あの女王試験から、もう4年…いや5年になるか。
あのころも…こうして夜空を一緒に眺めたな…」
時の流れは、留まらない。
幾人かの守護聖が任を終えて聖地を去った。
現在、首座として守護聖を統率しているのはオスカーである。
そして、彼と麗しい女王補佐官との仲は、聖地中の公認であった。
だが──。
「ロザリア」
名前だけを呼んで彼女の細い身体を抱き寄せる。
ロザリアは抗わずにオスカーの腕の中で彼に身を委ねる。
「ロザリア…」
もう一度、名前を呼ぶ
そうすると、決まって彼女はオスカーの首に腕を絡めてくる。
月光のもとで、口づけを交わす。
「ロザリア…愛している」
白い首筋に唇を落としながら、オスカーは愛の言葉を囁きかける。
ロザリアは…何も言わない。
幾度も交わしたキス。幾度も重ねた熱い肌。
幾百の朝を共に迎えた。
でも…言わない。言ってはくれない。
この腕の中で、幾度愛を伝えても、言葉は返らない。
自分に身を委ねてくれるのは、愛してくれているからだと、そう自分に納得させてはいるけれど…いや、納得した「振り」をしているけれど。
オスカーの言葉に頬を染めるロザリア。
オスカーの腕の中で「天使」から「女」へと変わるロザリア。
そんな彼女をずっと見てきているのに。
共に過ごした幾百の夜も、オスカーの不安を拭い去ってはくれない。
別れは、近づいているのに。
首の後ろから回した手で、ロザリアの蒼く豊かな髪を梳く。
「…俺の…後任者の選出が行われているそうだな」
ロザリアは一瞬身を固くするが、次の瞬間にはいつもの冷静な補佐官の表情に戻る。
「…………ええ…」
今更隠すことはしない。
サクリアの衰えは、本人も察知しているに決まっているのだから。
「思ったより、早かったな…」
首座につく、ということは、まず例外なくもっとも在任期間が長い者ということ。
すなわち、次に聖地を去る人物だと認識して、まず間違いはない。
守護聖を降りること自体に、未練はない。
だが…「聖地を去ること」は別だ。
オスカーはロザリアを抱きしめる腕に更に力を込める。
──会えなく、なる。
サクリアの消えた守護聖が、聖地に留まることは許されない。
…と言うよりも、聖地に残ったところで、主観的な時間の流れと、実際の時間の流れの差に、通常の人間は耐えられない。
簡単に言えば、一日で数年分老いる肉体に、精神がついていかないのだ。
そして、ロザリアは現女王と共に、聖地に残ることを、すでに明言している。
金の髪をした、彼女の親友を、聖地に残して行くことは出来ないと。
自分はずっと彼女の傍で彼女を支えたいと。
それをはっきり聞いた時からだ。
──彼女が、愛の言葉を口にしていないことに気づいたのは。
「ともに来てくれ」との訴えは無意味だ。
それがオスカーにはわかってしまう。
わからない程に子供でいられたら…躊躇わずに己の心のみに従えたのなら…、この蒼い天使に縋って慈悲を乞うことが出来るのに。
どんなに天使が泣いて叫んでも、この腕に抱いてさらうことが出来るのに。
それすらも──封じられて。
オスカーに許されるのは、ただ淡々と平静を装い、事実を受け入れることだけ。
淡い月光のもと、二人は吐息のみを闇に溶かして、影を重ね合った。
「いるか?話があるんだが」
守護聖の交代が刻々と迫りつつある中、ある夜、オスカーはゼフェルの執務室を訪ねていた。
帰り支度を始めていたゼフェルは、煩わしそうにオスカーを見やったが、土産がわりの酒瓶を渡されると、態度を柔和させた。
つまり、仕事ではなく、プライベートの話だということだからだ。
「なんだよ、珍しいじゃねぇか、首座の守護聖さんよ。
あんたが俺のとこにくるなんてよ」
言いながら、ゼフェルは棚からグラスを取り出す。
執務室に飲酒用のグラスを常備させているあたり、アウトローなところは抜けきっていないが、この五年で、一番性格が丸くなったのはゼフェルである、と、当時を知る者は口を揃えて言う。
あの女王試験で、オスカーと同じように、大切な存在を見つけだしたからだ。
酒の注がれたグラスをしばらく眺めていたが、オスカーはそれを一気に呷った。
ゼフェルは無言のまま、ゆっくりとグラスを傾ける。
からん、と音をたてて、氷が揺れた。
「──もうすぐ、聖地を去ることになる」
やっとのことで口に出したオスカーの台詞を、ゼフェルは無言のまま聞いていた。
今までも幾度か経験した、守護聖であれば避けられない、『別れ』。
かける言葉なぞ、今までの別れで出し尽くした。
それに、今オスカーが求めてるのは、ゼフェルの言葉なんかではないのだ。
──言葉でないのなら。
ゼフェルは、オスカーをまっすぐ見据えた。
「──話ってのは、ロザリアのことかよ?」
オスカーは答えず、うつむき加減にすっと瞼を閉じた。
彼がこうして沈黙するのは、「消極的な肯定」のときだ。
皆にはまだ伝えられてはいないが、ゼフェルは彼自身の恋人から、ロザリアがどう身を処すか、すでに聞き及んでいた。
『無理にでも連れ去っちまえばいい』
目の前の人物に、何度そう忠告しようと思ったか知れない。
だがそのたびに、説得の無意味さを悟らざるを得なかった。
そもそもそんなことなど、百も承知のはずなのだ。
「──で、俺になにをしろって言いに来たんだ?」
良かれ悪しかれ、オスカーはゼフェル相手に『言葉』を求めるような人物ではない。
ならばおそらく、自分に求められているのは──。
オスカーは苦笑を浮かべる。
それはおそらく自嘲の笑みであっただろう。
「──お見通しなら、回りくどい言い訳はいらんな」
カラン──
注ぎ足された酒と、新たに入れられた氷が、オスカーの前で音をたてる。
オスカーの話を聞き終えたゼフェルは、
グラスを持ったまま腕を組んだ姿勢で、考え込むように天井を見上げた。
「──結論から言うぜ」
オスカーは向けられた視線を静かに受け止めていた。
「…やって出来ないことはねぇ。
すでに下界でも確立されている技術だしな。
問題は日数的にあまり余裕がねぇってことくらいだ」
「──頼めるか?」
「嫌と言ったところで、ごり押しするつもりだろーがよ、てめぇは。
…それに、俺だって、あいつらの…あいつの哀しい顔を、好きこのんで見てぇとは思わねーよ」
「──すまない」
「けっ、てめぇに謝られても背中がかゆくなるだけだぜ。
…だがよ…いいのか?ロザリアには、なんにも言ってねーんだろ?」
オスカーは自分の手の中のグラスを所在なげに玩ぶ。
「…もし…ロザリアが嫌だと言っても…俺にはやめるつもりはない。
これは俺のエゴだ。だから、卑怯だとわかっているが、彼女には…何も言わない。言ったら…「やめろ」と言われかねないからな…」
ゼフェルが少し驚いたように目を見開く。
「…オスカー、おめぇ…もしかして」
オスカーはゼフェルのそんな様子に気づき、苦笑を浮かべた。
「…お前にはわかったようだな。…笑って構わんぞ。
──そう、この期に及んで、俺は彼女に拒絶されるのが怖いのさ。
想いを確かめるだけの勇気も持てない…ならば、と──。
彼女の将来を縛る権利が、俺にあるかどうかもわかりはしないのにな」
「──本気か、オスカー。下手すると、ロザリアは最後の最後で拒否するかも知れねーぞ」
「…言っただろう。これは俺のエゴだ。
彼女には拒否する権利が十分すぎるほどある。実際、拒絶されるかもしれん。
…それでも…確実に訪れる永劫の別れより…ずっとましだ」
ゼフェルは残った酒を一気に呷ると、空になったグラスを置いた。
「…長年、したくもない守護聖やってたが、てめぇのそんな弱気な発言が聞けるなんざ、夢にも思わなかったぜ」
乱暴な動作で上着を羽織ると、扉へと足早に向かった。
扉の前でオスカーを振り返り、いつもの不敵な表情を顔に浮かべた。
「この俺が徹夜で仕事してやるんだ。
できあがるまで、首座の根性でサクリア保たせとけ!」
時は無情なまでに早く過ぎる。
炎の守護聖の後任も決定し、慌ただしい中、引継も行われた。
後は、サクリアの消失と共に、聖地を去るだけだ。
「…ギリギリ、間に合ったか」
オスカーはゼフェルからの一片の通信文に目を通しながら、安堵の声を漏らした。
その日、『元』炎の守護聖、オスカーの姿が聖地から消えた。
何も知らぬ大勢の者たちは、今までの守護聖の多くがそうであったように、『彼が仰々しい見送りを避けるために、一人、人知れず聖地を後にしたのだろう』
といった結論に達し、聖地の公式記録にもそう書き留められることとなる。
「ロザリア、長い間…ほんとに長い間、ありがとう」
オスカーが聖地から姿を消してから、更に数年後。
金の髪の女王が、蒼い髪の補佐官に縋り付くように、
幾度も感謝の言葉を並べている。
その瞳には、止めどなく涙が溢れている。
「ああもう、いいかげんに泣きやみなさい、アンジェリーク!
今日まではあんたはまだ「女王」なんですからね!」
言いながら、ロザリアは親友の目元を拭ってやる。
まったく、この頼りなげな親友がほんとうに全宇宙を支える女王であったことに、今更ながら、ロザリアはギャップにとまどう。
何年も共にいたが、一貫してアンジェリークは少女としての純粋さを失わずにいた。
今はもう、お互いとうに少女と呼べる年齢ではなくなっているが。
「…いくんでしょ、ゼフェルと一緒に。
そんなに泣き腫らした顔で、彼の前に出るつもり?」
ロザリアのその言葉に、アンジェリークはようやく泣くのをやめた。
ゼフェルは、アンジェリークと同時期に、守護聖の交代を行った。
──と言うより、ゼフェルの守護聖退任の時期に合わせて、アンジェリークが次期女王の選出を行ったのだ。
就任の時期がほぼ変わらぬ二人であったから出来たことだ。
守護聖と違い、女王は通常、サクリアに余力を残した状態で次期女王を選出する。
そうしなければ、宇宙の安定を保つことが出来ないからだ。
女王のサクリアが、一時期でも宇宙全体に行き渡らなければ、それはすなわちサクリアの届かぬ空域の崩壊を意味するのだから。
アンジェリークやロザリアの女王試験のように、女王のサクリアが限界に近い時の交代劇などは例外中の例外なのである。
「──行こう、ロザリア」
誰の元に、とはどちらも言わず、肩を並べて歩き出した。
ゼフェルの私邸へとやってきた二人を、扉の前で館の主が迎える。
「ゼフェル!」
彼の元に、小走りにアンジェリークが駈けていく。
ゼフェルは、照れたような笑顔で、アンジェリークをその腕に抱き留めた。
アンジェリークの後から、ゆっくりと歩いてきたロザリアに、ゼフェルは銀色に輝く鍵を放り投げた。
「…長いこと、待たせたな。この鍵は、お前のもんだ。
…あのどこまでも女泣かせな野郎を、許してやる気があるんなら、もって行きな」
ロザリアは、手の中の銀色の鍵を無言でみつめていた。
数年前…オスカーが聖地から姿を消したとされるあの日の、この場にいる3人だけに知らされた真相。
それがこの銀色の鍵一本でありありと思い出される。
キイッと扉を開いて、ゼフェルは館に二人を招き入れる。
明日は新しい守護聖のものになる、無機質さのある館の廊下に、カツン、カツンと3人の足音が響く。
ゼフェルが案内した先は、いつもゼフェルが作業場にしていた地下室。
片隅に無造作に置かれた棚や山のような機材をどけると、隠されていた少し小さめの扉が姿をあらわした。
扉の脇の電子ロックの鍵を、慣れた手つきで解除する。
パシュッという音と共に、扉がひらく。
薄暗い階段を、静かに降りていく。
ロザリアは終始無言だった。
地下室の更に地下。最下層にたどり着くと、再び無機質な扉が立ちはだかっていた。
ゼフェルは振り返ってロザリアの表情を見たが、ロザリアはただ無言で扉を見つめるだけだった。
最後の扉が開かれると、そこに在ったのは、微かな稼動音が聞こえる機械と、棺のような形をした透明なクリスタル・ケース。
その中には…彼が横たわっている。
数年前、聖地から姿を消したときの、そのままの姿で。
これが、オスカーの出した結論だった。
ロザリアのいない外界に戻って、なんの意味があるというのか。
彼女が聖地に残るというのなら…──自分も残ってしまえばいい。
だから…自分は眠る。彼女がただの女性に戻る、その日まで。
「──冷凍睡眠(コールドスリープ)…」
アンジェリークが息をのむ。
ゼフェルから事情を聞いてはいたものの、目の当たりにして、やはり驚きを隠しきれなかったようだった。
「…装置は、ケースを開くと、連動してオートで止まるよう、設定してある。
ここから先、どうするかは俺の出る幕じゃねぇ。
後は、お前次第だ。好きにしな」
ゼフェルは、踵を返すと、その部屋を後にする。
アンジェリークも、微笑みを浮かべて、その後に続く。
立ち会ってはいけないのだと、誰に言われるまでもなく、二人にはわかったからだ。
ロザリアは、しばらく動かなかった。
じっと、目の前に横たわるオスカーを見つめている。
「…貴方は、馬鹿よ…。ほんとに…馬鹿…」
透明なクリスタル・ケースに手を添え、ロザリアは呟いた。
銀の鍵をその手に包んだまま、ロザリアは横たわる恋人に語りかけた。
ふと、数年前、星空の下で話したことを思い出す。
『月の女神ね…いっそそうなれたら、どんなにいいかしら…』
その言葉が揶揄した事態を、オスカーは過不足なく実現してしまった。
月の女神セレンは、只人であるエンディミオンを愛した。
だが只人である彼と、女神とでは生きる時間が違いすぎた。
彼を傍におきたい、ともに時間を生きたいと女神は願う。
だが、それは女神が女神であるために叶わぬこと。
その違いすぎる時間のために、彼に与えられるべき未来は、死か、永遠の眠りか。
女神が彼を愛するあまりとった方法は、彼を永久の眠りにつかせること。
女神が女神である限り、それしかとるべき道がなかったのだから。
──遙か、神話の時代の伝説。
彼が聖地から姿を消したとされるその日、ゼフェルから真実を聞かされた。
そのとき、その場にいないオスカーに、ロザリアは言葉を零した。
『貴方は、本当にわたくしを月の女神にしてしまったわね…』
結果として、わたくしは貴方を縛った。
だから、言わなかったのに。
愛していると言わないで、好きだと言わないでいたのに。
わたくしの未来に、貴方を縛り付けたくなかった。
自分を愛さない女に、いつまでも縛られる人だとは思わなかったから。
自分のエゴで、アンジェリークとともに聖地に残ることを選んでしまった、こんなわがままな女のことなど、忘れ去って欲しかった。
贖罪──?いいえ、違う。
それが、彼の幸せになると思ったから。
一人の女に縛られることが似合う人ではなかったから。
…わたくしとのことは一時の気まぐれでないか、との不安を振り払うことがどうしてもできなかったから…。
──でも。
でも、彼がそれを望んでくれたのなら。
わたくしが、彼を縛り付けてしまうことを、彼自身が望んだのなら。
言おう。
ずっと言わずにいた言葉を。
煩わしいと思っても、もう遅いわ。
貴方自身が、わたくしから自由になるその道を閉ざしたのだから。
囚われていたのは、果たしてどちらの方だったのだろう。
愛を告げていた方か、告げることを拒んでいた方か。
ロザリアは、クリスタル・ケースにある鍵穴に、銀色の鍵を射し込む。
カチリ──
その小さな音は、ロザリアの耳に、まるで自身で閉ざした未来への扉が開く音に聞こえた様な気がした──。
fin.
オスロザ創作も三作目。今回の話は、ゼフェル大活躍(笑)。
展開上、ゼフェルははずせなかったのですが、実は書いてる途中、某所で「しまったぁぁ!ゼフェル落ちつきすぎた〜!」とか喚いておりましたもので、一部の方々には、オスカーやロザリアより、ゼフェルが楽しみだとか(笑)。
ご期待に沿えてますかねぇ(笑)。それにしても…今回と言い前回と言い、どうも私の書くリモージュのお相手は、ゼフェル限定になりつつありますな。
セレンとエンディミオンの話はギリシャ神話から。ランディ創作でもギリシャ神話使いましたね。好きなんですよ、ギリシャ神話。
今回の話は、ちょびっとだけ不本意。
何が不本意って、あの人とかこの人とか出したかったのに出せなかったこと。必要最小限に人物絞っても、こんなに長くなってしまった。
そのうえ、ラストではまだオスカー起きてないし(笑)。