安政7年12月26日咸臨丸は太平洋を越えてサンフランシスコに
到着しました。番組ではこの日を「歴史の動いた日」としています。
しかしゲストの石川 好氏は諭吉がワシントンの子孫がいまどうしているかと
いうことを聞いたが答えの返ってこなかったその日をもって「歴史の動いた日」
としています。これは新しい視点だなと思います。
【諭吉と大分弁】
「けしからん」とは、対象の非を咎める日常用語で、
福沢書簡にも登場する。
「新聞紙の逓送怠慢なるよし、不快事共に候」(書簡集768 全集)
は、『時事新報』の海外郵送が指示通りに履行されていないと知った時の
感想である。
しかし 「不快御世話相成」(書簡集147 全集)、
『不快勉強乃事』 (書簡集560 全集)、
『不快凌能く』 (書簡集)となると、理解が難しい。
くずし字の読み違いかと、随分考えたが解らない。
すると編集員の一人が、大分方言で「甚だしい」という意味に
用いることを調べ当ててくれ、「福沢は大分の方言を使っていたのだ」
と一同大喜び。
これをある大先輩に話したところ、
「昔は東京でもその使い方をしましたよ」と教えられ、
また広辞苑(第五版)にも
「並外れている」という説明があることを発見し、不勉強の早とちりと悟り、
がっかりしたのであった。
以下整理待ち
(福沢諭吉書簡集 月報4 2001.08 p12)
【思想史の立場から】
諭吉の文明観−『文明論之概略』から考える−」
平成10年度武蔵大学「福沢日本思想史講義W学年末課題(2年次)担当:平山 洋
日本政治思想史II慶応大学97年度秋学期 担当:寺崎修教授
【読書と学習】
[福沢諭吉との四〇年ぶりの出会い]
[日本学士院]
学士院が諭吉先生の開設によることを知る人は少ない
[帳合の法] 簿記の手本(小樽商科大学ページへのリンク)
[諭吉の広告論]電通資料より
東京市会議員
特許制度と諭吉
考古学と諭吉
関西大学本山コレクションの成立には諭吉が絡んでいる
雑誌について
横浜正金銀行の設立
丸屋商社の改組
貿易商会の設立(同七月)
保険制度
20世紀歓迎会 by 諭吉
時事新報 明治34年1月2日号より現代語訳
21世紀歓迎会
[電信を伝えた留学士たち] [諭吉の見たアメリカ] アメリカにおける諭吉
欧州における諭吉
フランスにおける諭吉
ロンドンにおける諭吉
[論評] 96年度慶應大学学生レポートより
[諭吉異論] 95年度慶應大学学生レポートより
[諭吉は何をした?] 名古屋大学HPより
[諭吉の至言] 大分県知事・平松語録より
諭吉の発想ひらまつもりひこ・分権文化論
[サンデー時評2001年3月4日号 福沢諭吉よみがえる] [諭吉と北里研究所]北里大学HPより
[規制緩和と我が国産業の展望]
いまなお福澤諭吉福沢 武氏インタビュー
福澤諭吉とジェンダー・フリー児研三田会会長 中川 慎哉
(2)
[福沢諭吉と宗教]小泉 仰・国際基督教大学図書館公開講演集 第8集 1994
[諭吉とグーテンベルク聖書]
ペテルブルグ帝国図書館訪問者名簿に残る福沢諭吉の署名
[福沢家と祠のなぞ]
酒徒 故に命拾いをした話
諭吉の命をねらった郷士たち
[なんでも鑑定団]にみる諭吉
[みやたさんによるおえかき]
[諭吉像、兜をかぶる] 1997年5月3日・上坂秀樹さんのHPより
諭吉はパリで水族館を見たか
倫敦にて未発見の写真見つかる
【諭吉とお酒】
諭吉とビール
福澤諭吉とビール・別考 三田評論 p60 増井 健一
諭吉ラベルのビール
中津と諭吉と酒と焼酎「諭吉の里」
華英通語にみる酒類
岩倉使節団のロシア訪問
切手に見る[慶応義塾建学100周年]
[諭吉の血液型?] 宇佐・高橋さんHPより
[諭吉のお葬式?!]情報誌『デス・ウオッチング』93.6より(みすず書房から復刻版あり)
[今日は何の日?] PHPのHPより 1977年 (昭和52年)五月二十二日
品川の常光寺にある墓から、福澤諭吉の遺体がミイラ化された状態で発見される
『医者のみた福澤諭吉』 土屋雅春 著(中公新書)
今から20年数年前に、諭吉先生のミイラが発掘されました。
これは、福澤家の墓を一つにまとめるために、諭吉の墓を掘り起こしたところ、
地下水につかったお棺の中から、屍蝋化した諭吉の遺体が出て きて、
亡くなったときのままの姿が死後76年ぶりに現れたわけなんです。
身長約173cm、体重が約67.5kgといいますから、当時の人としては、
大きい方だったんですね。
「健康」とhealth 諭吉が最初の訳者?
【調べ学習活動の成果】
[北海道・穂別町立稲里小学校の生徒さんたちのまとめた福沢諭吉]リンク切れ
[東京・三鷹三小の生徒さんの調べ学習による福沢諭吉]
[自身の調べ学習]
平成12年も押し迫った12月のある日諭吉と[交詢社]についての資料を物色していた
ところ諭吉協会の土曜セミナーに関する次のような文章に偶然でくわした。
この日はほかに[明治会館]についての諭吉とのかかわりもみつけることができた
有意義な日でもあった。その文章とは、さるひとの2000年の日記からの記載で、
「その後は福澤諭吉協会の土曜セミナーへ。いつもの銀座交詢社が工事中のため、
日本橋の三井本館へ。久しぶりに**先生にお会いしました。
今日の講師は一橋大学名誉教授の有賀貞氏。お題は、「アメリカ独立宣言と福澤諭吉」
福澤先生が「西洋事情」から「学問のすゝめ」を執筆した当時は先生はアメリカ人の
独立のための戦いと、アメリカの共和政治の原理に強い敬意を持っていた時期であり、
「学問のすゝめ」の初めに書かれている「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずといへり」は
ジェファソン、フランクリン、そして独立宣言を日本語訳した高木八尺に影響を受けた結果ではないだろうか?
という持論を展開されておりました。」とあったことである。
映像にみる諭吉先生
現在電子化未確認の文献集(かつてインターネットで追えていた)
「教育の底流 福沢諭吉 (1)慶応義塾ができるまで」池田 諭
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[福翁自伝]感想文]
「『西洋事情』試論 ―近代啓蒙言説の権力と民権―」(『社会文学』7日本社会文学会1993・7)p.112-120
福沢諭吉『西洋事情』の啓蒙言説は、自己を管理する内面を主体に構築して対外戦争可能な国民国家にとって有用な人材を形成することに目的があり、読者が民権運動の主体たりえる表現上の契機として二つの一人称があることを論じた。