憂うつ

J.Kou


花立


わがHPの目次が肥大し、次第に見苦しくなり、なりふり構わぬのもこの辺とばかり、HPの衣替えをはかった。図ろうとしたのはいいが、なかなかうまく行かない。学習塾にしてパソコンの先生の、ご指導よろしきを得たのだが、わが理解力の乏しさには、頭を傾げたくなるばかりだ。そもそも人間は、考える英知の葦である筈だが、私の場合、考えるほどに深い混沌に沈むのである。ここは気分転換とばかり、俳句会へも出かけるのだが、この間、人の句に紫式部なる言葉があって首をひねった。何故ここに平安の才女が出るのかと思ったら、そんな木の実があるそうである。もっと前に、侘助(わびすけ)なる可憐の花を、侘しく暮らす三助さんのイメージを描いて不覚であった。更には某新聞紙の俳壇へ投句もしたが、今のところ音沙汰がない。「歓楽の街も淋しや秋の風」位では通用しないのだろう。
昨日はカラオケの先生の所へ行って、「ベイサイドホテル」を歌った。自分ながら気乗りのしない歌い方で、先生に申し訳なかった。ただ1つ、楽譜のことで先生へ申し上げた。♭3つの譜面から、これはハ短調でしょうと云ったが、先生はホ短調だと云い張られた。だけどCmの和音がいくつもありますよと云っても、先生は笑顔で主張を変えられない。私にも確信があるわけでないし、まあ、どちらでもいいだろう。この次はもっと練習してきますと云って帰った。
飲食欲の秋というか、夜は久留米へ出かけた。この頃あちこちで、そんな秋を過ごすものだから、ズボンのホックが止まらなくなった。閉店近いダイエー店で、胴まわり88センチのものを買ったが、アジャスターが付いていて、91センチ位まで大丈夫だそうである。しかし私も、腹が膨れるに任せている訳でもない。そこそこの運動も心がけている。今のところ、花立の階段3往復が手ごろである。ウォーキングよりハードというか、また違った疲労感が残る。要するに念願とするところは、老いの果てになお、トイレまで歩ける足の力と、ビールのコップを傾ける指の力を、いつまでも保持したいに過ぎない。小心よくよくと生きた老人の、せめてもの一寸の虫にも五分の魂ということであるか。
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