移り行く日々

J.Kou


とりとめもなく



雪の写真だなんて、酔狂も程々でなければならないのだが、他に見当たらなかった。次は写真機を持って出かけ、万緑の風景を撮ろう。今回願わくば、北海道と思って頂きたい。
このところ、俳句会にも真面目に出かけている。その中から佳作と凡作を分けてみると次の如くである。
(佳作)わが胸の惑乱の火か蛍舞ふ わが夢のふくらむ如し雲の峰 八月の空に果てにし兵一人 夏菊や日々に少女の病癒ゆ 花茣蓙を広げ娘のストレッチ
(凡作)金魚飼ふ教室ひそと水の音  育みて愛の花咲くカンナ咲く 千日草恋の歌にもありにけり 夏の山揺れるリュックの赤や黄や 栄光と凋落の日か相撲取り
金魚飼ふ・・の句には、自信があったのだが、凡作に終わった。私には俳句の良し悪しはまだ分からない。人さまの句で申し訳ないが、メールにも豆飯頼むと帰国の子、大きな子迄つけたがる天花粉、といった句のどこが佳作なのか分からない。私には生得、芸術への感官が欠乏しているらしい。ヨハンシュトラウスの名曲に飽きあきして、さあ今夜のK−1、曙はどうかな、といった類の辺りである。
カラオケにしても、録音機で自分の歌を聞くのがいやになった。腰のない声、呼吸不全を思わせるかすれた高音、同じく人類にして、五木ひろしと、何故にこうまで天地の差であろうかと嘆じる。しかしこの頃、ようやく乗りかかった舟である。粛々として練習を続けたい。将来この歌が役に立つ日が来るかも知れない。私は養老院に入っても、風船だまやジャンケンポンの遊びを好きになれないだろう。だから代わりに歌うことを主張したい。まあ、おじいちゃんが?看護婦さん達が目を丸くするだろう。で、なにを歌うの?え、カスバの女?あれ女歌でなかったかしら?まあ、おじいちゃん、すっご〜い、みんな聞いてね。パチパチと鳴る拍手に、私はよろよろと立ち上がり、照れくさくマイクを持つことだろう。曲がった腰と入れ歯にうち勝つためにも、今からカラオケの準備を余儀なくされるわけである。

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